福間健二さんと、『ビリー・ザ・キッド全仕事』について、語る。

福間健二さんと、『ビリー・ザ・キッド全仕事』について、語る。

小泉 今日はどうもありがとうございます。ずっと福間さんにお話をうかがいたくて、知り合いの編集者の方など自分の少ないコネクションをたどっていたのですが、連絡先がわからない。そこで福間さんのTwitterをさかのぼっていたら、どうやら福間塾なるものをやっているらしい。福間塾というのはもともと国立市主催で福間さんがおこなっていた「詩のワークショップ」から続いているものらしい、というところまで調べて、国立市に連絡したというわけなんですよ。

福間 たいていはさ、思潮社に連絡するよね。詩人のことっていうのは、だいたい。

小泉 え、そうなんですか……!

福間 普通、ね(笑)。

国書刊行会から『ビリー・ザ・キッド全仕事』が出た頃

小泉 マイケル・オンダーチェって、私たぶん世界で一番好きな作家なんですけれども。

福間 うん。

小泉 いろいろな方が訳しているじゃないですか。どれも素晴らしいのですが、私は初期の、『ビリー・ザ・キッド全仕事』『ライオンを皮をまとって』など、福間さんが言うところの「詩を内包する小説」が特に好きで。だから誰に訊くって言ったら福間さんがいいだろうと思って国立市に問い合わせをしたりしていたのですが、やっと福間さんにつながった!と喜んでいたら、ちょうど『ビリー・ザ・キッド全仕事』が白水社Uブックスから復刊するというタイミングだったんですね。

小泉 1994年に国書刊行会から出版されて、現在は絶版になっていた『ビリー・ザ・キッド全仕事』が白水社のUブックスから出るというので、びっくりました。うれしくて、興奮しました。国書刊行会から出た単行本から20年以上も経っているんですね。

福間 はじめ、僕がオンダーチェを知る前に、高山宏とか加藤光也とか風間賢二さんが紹介していた。『ビリー・ザ・キッド全仕事』は、詩が多いから僕がやったらっていうふうに話が来て、僕はそれからから読んだ。

小泉 福間さんはそのころはすでに詩人として?

福間 そう。で、そのころは都立大学の英文学の教員だったのね。高山宏とか加藤光也と同僚だった。僕は詩が専門だった。でも『ビリー・ザ・キッド全仕事』をやらないかと言われてから初めてオンダーチェを読み出した。

小泉 これ、すごく大変だったのではないかと思うんですけど、最後のあとがきに「わからない箇所を人に聞いてまわったし、」と書いてあって。福間さんがオンダーチェの文章もってくるところを想像して、思わず笑ってしまったというか。聞かれたほうも大変だなあと…人に聞いてまわったって……聞いてまわったんですか?

福間 そうですね。まあ、自分で調べればいいのにね(笑)。『ライオンの皮をまとって』と対照的なんだけど。『ライオンの皮をまとって』の頃は、インターネットが発達していて。でも『ビリー・ザ・キッド全仕事』の頃はワープロを使っていたけどパソコンはやってないっていう時期だと思うんだよね。だから本当に専門的なことって、人に聞かないとわからないようなことがあったけれども、今は、『ビリー・ザ・キッド全仕事』で言ったら拳銃のことだってネットで調べればどんどんわかるようになって。

小泉 『ライオンの皮をまとって』はインターネットでいろいろ調べられたと、あとがきにもありましたね。

福間 そう、ちゃんとあとがきで紹介しているけど、ネットで見ると出てくる時代になったので、翻訳の「調べる」っていう意味の部分ではずいぶんやりやすくなっている面があるんだけど、『ビリー・ザ・キッド全仕事』の頃はまだそれ以前という感じで。ただ、これについては、ビリー・ザ・キッドの映画がたくさんあって。たぶん、オンダーチェは、もしかしたらアーサー・ペン監督でポール・ニューマン主演の『左きゝの拳銃』をベースにしていると思うんだけど。映画としてはね。でも他にもたくさんあった。

福間 ペキンパーの『ビリーザキッド 21歳の生涯』とか、これはボブ・ディランも出ていた。

福間 他にもたくさんビリー・ザ・キッドの映画があったんで、映画を観て、そうするとチザムとかっていう人物も出てくるしね。それを観たことでけっこう助かったかなと思いますけどね。

テキストが持つ「意味」と「含み」

小泉 ものを調べるということ以外、いわゆる「詩を内包している小説」を訳すという、そのこと自体の難しさはいかがでしたか。

福間 そうですね。やっぱり詩の部分は、この作品だからっていうことじゃなくて「意味」として100%きちっとわかるっていうことはないかもしれないよね。だけどそれに対して、テキストが持っている「含み」が翻訳にもできるだけ出るようにしたいということで。今、詩の翻訳はとても難しい段階に入っていて、あまりいい訳がなかなか出ていないと思うんだけど、それは意味がわかることよりも、テキスト全体が持っている力っていうか、それを日本語に移し替えるっていうことが、なかなか大変なことだから。『ビリー・ザ・キッド全仕事』についても、意味は完全にわかりきっていないけれども、たぶん英語でネイティブが読んでも、はっきりしないんじゃないかなっていう要素を、相当、詩の部分が持っているので、それをどう扱うかだよね。なんか、訳してしまう、意味としてはっきりしてしまうよりは、詩として力のあるものになったほうがいいとは思ったんだけど。それはけっこう気分的なことなので、今回の新版のあとがきに書いたけど、初稿を出したあと、真っ赤にしちゃったの。なんか違うな~と思って。

小泉 それはガラっと変わったりするんですか? それとも細かいチューニングのようなもの?

福間 う~ん……、ちょっとずつ直していくと変わってきちゃってね。だいたいはその正確さが足りないということと、それから、オンダーチェの詩の感触がね、どうなのかっていうことで、これを訳した後に、オンダーチェのここまでに書いている詩をさかのぼって読んだからね。それでだんだんこういう感じなんだなってわかってきたところもあって……。

小泉 私、ずっと海外文学の翻訳作品を読んできている中で「詩が読めていない」っていう自覚がずっとあって。

福間 ああー。

小泉 たとえば、小説の中に詩がちょこっと出てきたりすると読み飛ばしたりして。それは、今、福間さんがおっしゃったことにあてはめて言えば、小説の中に詩が出てくるとする。読んでいる私は、そこに何らかの「意味」を読み取ろうとして、意味的にそんなに重要じゃないな、と思うと飛ばしてしまう。それって、そこにある「含み」を、とらえきれていないわけですよね。どうも自分には詩を読む能力が備わっていないんじゃないかとずっと思っています。でも、『ビリー・ザ・キッド全仕事』を読んだときに、「詩……詩が読める!」みたいな感動があって。読めるとなると、すごい!ってなって、グサグサ刺さる感じで。でも、じゃあ、他の詩を読んでみようと、たとえばウォレス・スティーヴンズ。オンダーチェが影響を受けたというので読んでみるかと。

福間 ああ、そうだよね。

小泉 でも、あんまり読めなかった、みたいな…。詩を読む筋肉が発達していないのかなと思うんです。詩筋と名付けてみたんですけれども。詩筋、普段使いませんね。でも、オンダーチェはなぜ読めるんだろう?と。福間さんに訊きたいなと思ったのは、詩人として、あるいは詩を教える先生として、オンダーチェが普通の詩人と違うところ、オンダーチェの詩に特徴的なところとかってありますか。

福間 今度の新版でオンダーチェ自身のあとがきが付いていて、それを読むと、結局オンダーチェって、ただテキストを頭っから書いていくということよりも、いったん書いたものをどういうふうに編集するか、いかに組み立て直すかっていうことが大事だと思っているし、それを楽しむタイプであり、あの、映画の編集者とやった本でもしきりに彼が言っているのは「映画の編集と小説を書くことは同じだ」ってこと。

福間 そういう感じ方をしている小説家が、あるいは詩人がどれだけいるかわからないけれど、要するにこの人は、詩を、1回書いたものを組み立て直すとか、編集するとか、そういうことを随分やっているので、ある意味部品として、こう、それぞれがくっきりした要素を持つっていうことが大事なのかなっていうか。ここを頭においても、後ろにおいても、また全然違うところへ行ってもいいような要素から成り立っているのかなというのが、ひとつ特徴としてある。

小泉 映画で言うところの、カット、みたいな。

福間 そうです。これ、原書の昔の版ですごくいいんです。話が前後するけど、国書刊行会から出た単行本はこの版から作った。でもそれもその通りにはならないよね。だけど、これをイメージして、ここから作ったので……。

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小泉 国書刊行会のやつは、ページの組み方や写真の入り方がコラージュっぽい感じですよね。

福間 2008年にヴィンテージ・ブックスから出た『ビリー・ザ・キッド全仕事』はこれとはだいぶ違うの。普通の組み方に変わっている。前の版から考えて作ったものを落とすのが惜しくて、そのデザインを今度の白水社Uブックス版にも使っているんだけどね。元々の原書のデザインは、ええと、簡単に言うと、ヨーロッパ的なエレガントな美意識とは全然違う。ごつごつした要素があるとか、ラフな感じ?そういうのを大事にしているなと思えるし、僕の趣味にもぴったりだったので。英語だともっとそう感じるけど、わざとぎりぎりの感じに詰めちゃって、下が変に開いちゃってもいいみたいな。この無造作な、でも実は明らかに新しい感覚のデザインだった。それを言ったついでにもうひとつ言うと……。僕の恩師の言ったことが僕につよく残っている。もともと東京都立大学って、もう英米文学の翻訳の大家がたくさんいるところで、その中でもいちばん習った先生が篠田一士って人だったの。で、彼のいちばんの名言っていうのがあって、「詩はね、見ればわかるんだよ」と。「その国の言葉なんてよくわかんなくてもじっと見ていればわかるよ」なんて言うような、いい加減というか、豪傑タイプだったんだけど。で、結局アルファベットの詩っていうのは、言葉がわからなくても、字の配置で音が見えてくるっていう感じかな。音が見えるでしょ?

小泉 音が、見える。

福間 だからまあ、表意文字じゃなくて表音文字で、デザイン的に字を配置することが重要になってくるっていうか。表意文字の場合とは違う。表音文字ではどこかで、音が形を取るというところがあってね。この感じを、できるだけ、このまま持ち込みたかったなあというのがあったですね。いつも詩はできるだけ、そうするんだけど、特にオンダーチェの場合はそうかなと思ったんだけれども。これは割とそうだ、その通りにやったんだ。

小泉 『イングリッシュ・ペイシェント』でアルマーシがヘロドトスの『歴史』を手帳代わりに使っているっていうのがあって、本を手帳にするってかっこいいな、どの本がいいんだろうなんていろいろ考えるんですけど、これだけ余白があると手帳によさそうですね。

福間 詩集って意外とそういうものかもね。だからなんていうのかな、これは、ひらがな多めってことだったかな。そうでもないか。

小泉 そうでもないですね。

福間 まあ、そうね(笑)。

間抜けな直訳、ツボを外しかねない意訳

小泉 この『ビリー・ザ・キッド全仕事』で、詩が読める!という気になった、しかもすごく楽しく読んだんですけど、そのあとオンダーチェをどんどん読んでいこう、と。で、『ライオンの皮をまとって』。これは『ビリー・ザ・キッド全仕事』より、もうちょっと、小説っぽいじゃないですか。で、だから、小説っぽくなっている中で、より一層、詩のようなフレーズがまだ残っているとハッとするというところがあったんですけど。これはどうでしたか?福間さんがオンダーチェご本人に「やります」と言ったという感動的なエピソードがあとがきにありましたが。

福間 これは僕がウェールズに1年いたときに、水声社の人が手紙をくれてやってくれないかと言ってきて。まあ、やってみようと思ったんだけど、その人がやめたりして、実はこれは、最初に言った人、次に担当になった人、その次に担当になった人、3人、4人くらいの編集者がかかわっているような仕事になっているんだけど、まあ、難しいことは難しくて、こんなに量もあるしね。どうだったのかな……。ちょっとやりかけたけど、また暇になったらやろう、なんて言っていて(笑)、そしたらオンダーチェが日本に来て、僕は『ビリー・ザ・キッド全仕事』を訳した人間として彼に会って、その時にそういえば今、やりかけてるんだけどって言ったら、ああそうだ、あれはまだ訳されていないからみたいな話になって、それでもう、やらざるをえないなと。

小泉 オンダーチェに会ったことでやらざるをえなくなった。というか、オンダーチェって日本に来ていたんですね!

福間 カナダ大使館かなんかで、カナダの文化人を日本に呼んで、というようなカナダ大使館のイベントの中でっていうことだったので、どうだったのかな、彼ひとりのためだったのか、どうだったのかな。でも、あの、カナダ大使とか少人数で食事をする場面っていうのがあって、それに呼んでもらって、僕も気を良くしていろいろしゃべったっていう記憶がありますよ。

小泉 オンダーチェって、どんな人でした?

福間 けっこう、感じは……これは、みんなも言ってたんだけど、僕と見た感じは似ていた……(笑)

小泉 見た感じが似ているとは……(笑)。フンワリとした雰囲気が……(笑)

オンダーチェと福間さん。似ている

福間 映画が好きだっていうのも同じだったし。

小泉 オンダーチェが映画の影響を受けているっていうのは、先ほども話に出た『映画もまた編集である』を読んで、なるほどと思いました。

福間 彼はね、若い頃は映画も作ってたんだよね。でもそれは全然観ることもできないみたいなんだけど。

小泉 福間さんも映画を撮って、詩を書いて、教えて……と、やっているじゃないですか。だから雰囲気が似てくるんですかね。

福間 そうね。似てくるかどうかわからないけど(笑)。それと、こう、半分アジア人っていうことがね。半分以上か。アジア人だもんね。アジア人でイギリスの教育を受けた人みたいなことで、僕らが英文学をやった感じともつながっているし、どこかで、欧米文化に対する反抗の意識と影響、そういうことがずっと、ビリー・ザ・キッドからずっとそうなんだよね。そういうところが、まず共感するところだし、感じ方も、なんていうんだろう。泥臭いものをどこかに持っていて、でもそれをけっこうかっこよく出すというかな。

小泉 泥臭いものをかっこよく出す!たしかに、美しく描きますよね、なめし革の労働のところとか。

福間 うん。

小泉 移民文学という中でもちょっと特異な位置というか。

福間 だからあれ、翻訳の話で言うと、どうなのかな。今日言われて、これがどちらも初期のものだったっていうことだっていうことは一応あるんだけど、じゃあ、最近の彼が本当に洗練されているなめらかな英語を書いているかというとそうでもないのかな、という気がしていて。

小泉 そうなんですか!ぐんぐん洗練されて、円熟しているのかと思っていました。

福間 特にこれは後になって気づいたんだけど、このゴツゴツ感をできるだけ殺さないっていうのを、しつこく考えてやったところがあるんだけど。

小泉 『ディビザデロ通り』とか『名もなき人たちのテーブル』とかを読むと、もう、小説としてうますぎて、うまいじゃないか!うまいじゃないか!と思ったんですけど。

福間 それがでもね、ここはあんまり起こさなくていいけれども、ちょっと他の訳者は、やっぱりなめらかに訳しすぎている……。

小泉 なんと。それは起こさないといけない部分では……。

福間 ま、それはちょっと微妙なとこでね、ええと、最近の作品については、確かに英語もああいう印象って言えば、ああいう印象かな。ああいうってのは、翻訳から受けとる印象のことです。うーん。言っちゃうと、最近のものじゃないけど、他の人の翻訳では、オンダーチェのいい感じが出ていないなと思ったのもある。

小泉 オンダーチェの詩から小説へ、というあたりで言えば、福間さんが訳してもよかったものがありますよね。

福間 んー、まあね。

小泉 そういうとき、俺がやる!とかってできないものなんですか?

福間 もうどっかで決まってたことだったろうけど。まあ、要するに、翻訳をどうするかで、ひとつの考え方としては、直訳性の良さっていうのは大事にしたいっていうか、せっかく英語でこう書いてあるっていうものをね、意味がこうだって簡単に意訳にしてしまわないほうがいいだろうと、その表現にこだわった部分っていうのがね。その一方で、そうやって直訳にすることで文学として、ふくらみ、表現としてのふくらみっていうのがなかなか出てこないってこともあるから、意味を簡単に言ってしまう意訳じゃなくて、本当の言葉自体の力を伝える意訳的なものっていうのが必要だとすると……。そうすると、間抜けな直訳とツボを外しかねない意訳っていうのが世の中には多くなっちゃうんで、で、自分もそういうふうにやってしまうんで、そこをどう出すかで、『ライオンの皮をまとって』もけっこうね、1回訳してから、また校正でかなり赤くなっちゃったかも。

小泉 それは、福間さん自身がゲラをみて「ああ、ダメだ、違う」ってなるのか、編集者のかたからツッコミが入ったりする?

福間 『ビリー・ザ・キッド全仕事』については、それがあったよね。藤原さんと相談してやった部分がけっこうある。『ライオンの皮をまとって』はそういうことはなかったかな。

詩と散文的なもののぶつかり

小泉 さっき、福間さんの詩の先生が、意味がわからなくても見ればわかるみたいなことをおっしゃったという話と少し似ているかと思うんですけど、私、大江健三郎が好きなんですね。大江健三郎の作品の何が好きかって、まあ、小説が好きなんですけど、小説の中によく詩がでてきて、それもただ、デコレーションのように引用する、ちりばめるというだけではなくて、登場人物がイェーツを読み込んでいたりする。そしてその詩について自分らが陥っている状況と照らし合わせて、解釈したりするんです。そういう中で、詩の読み方として「意味は分からなくてもいいから暗唱できるまでまずは覚えること」っていう読み方が示されるんです。やっぱり、さっきの話とも似ているかなと思うんですけど、詩というものは、意味の理解より先に、まずはそのまま受け入れて……という読み方があるのかなと。だけど、普通に本を読む、いわゆる読書というやり方、頭の使い方の延長で詩を読むと、意味を求めて「読んで」しまいますよね。全然だめなんだな、と思って。なぜかオンダーチェだけは読める、と。あと、大江の小説の中で解釈込み、大江の小説を読む行為の中に入れこまれているイェイツなら読める、とかくらいなんですね。詩の読み方って、どうすればいいんでしょうかね。どうやって読むのか。

福間 大江さんや中上健次のように文学として出発するときに詩も書いていたというか、その後も詩を少しずつ書いていて、というのは、いいよね。大江さんも詩集を出すって言っていた。なかなか出ないですけど。中上健次も最後に詩集を出すと言って、結局出たのか出ないのか……。でもまあ、全集の中には詩が相当ある。大江健三郎も最終的にはそうなるかもしれない。そういう人にとってはやっぱり詩が、表現のおおもとのところにある。自分の詩じゃなくても、大江健三郎の場合は、ああいうふうにいろいろな詩人のイメージを使って書いているってことがあるんだけど。欧米っていうか、外国語の詩を日本語の中にどう入れるかっていう点でね、大江健三郎について言えば、ほとんど、彼としてはある意味では、規範的にいい日本語を崩すくらいに、そういうものを入れてきた人かもね……。後期の大江健三郎の日本語は、変と言えば変なんだけれども、要するに思い切り欧文脈を日本語の中に取り入れちゃうっていうかね。そういう感じだと思うし、中上健次は逆にそれをもっと日本的にねじ伏せちゃうみたいな感じがあったかもしれない。

小泉 大江健三郎の場合は、小説の中に詩が入っていて、詩を読むことで詩をどう読んだかでストーリーが動いていくみたいな書かれ方で、それで、そういう意味で、要は一緒に読書会に参加しているような気持ちになっていたんですけど、オンダーチェは違うじゃないですか。詩が、崩れて、今小説っぽくなりつつありますっていう文章を読む。こういう作家って他にいないのでしょうか。

福間 まあ、いないけど、今回彼は『ビリー・ザ・キッド全仕事』の新版のあとがきで、一応、ゲーリー・スナイダーや、ケネス・パッチェンの仕事を引き合いに出している。アメリカの詩はどこか日本やヨーロッパの詩よりも散文に近い要素を持っていて、詩で物語を語ることは、もともと伝統的にバラッドってものがあるけど、それ以上にね、詩で世界を組み立てるというか、小説的な宇宙を詩で組み立てるっていうことは、オンダーチェ以前にもあったんだろうなとは思うけど、でもそれまでのそういう人たちの仕事以上になんかこう、詩と散文的なものがぶつかり合っている、入り組んでいる状態になっているよね。

小泉 『ビリー・ザ・キッド全仕事』を初めて手に取ったとき、これ、読めるかなあ、大丈夫かなあと思いながら、読んだんですけどね。いちばん最初に献辞があり、タイトルがきて、短い、事務的な手紙の文章が入りますよね。それで次に初めて詩らしきものが出てきます。

これらが殺されたものたちだ。

(おれによって)―
おれの昔の友だち、モートン・ベイカー。

…というところで、ぞわーっとして。このあたりでいきなり引き込まれてしまった。でもこれもオンダーチェの編集の力ですよね。このカットをここに持ってくるとグッとくるぞ、みたいな。すごくいいシーンだけ集めましたみたいな映画を観ているような気になるんです。

福間 まあ、オンダーチェのようにやっているという人はいないし、オンダーチェに匹敵するように詩と散文が組み合わさって、あるいは散文を書いても詩がずっとこう残っているというような状態はね、なかなかないかな。逆にね、19世紀的な小説っていうのを考えると、小説がどんどん進化していった時期っていうのが、ディケンズとかドストエフスキーとか、けっこう中に詩がたくさん入っているなという気もするんだよね。

小泉 ああ、そうか。

福間 うん。そういうふうに思える。だから村上春樹もそういうところがあると思うけど、あとスティーヴン・キング。スティーヴン・キングも19世紀的な小説を現在に蘇らせるためには、ああいう、怪奇的な恐怖的なものにしなければできないと思ってやっているわけだけども、それと同時に19世紀的な小説を引きずっている。彼が引きずっている詩的な要素っていうのがどこかにあって、『IT』とか。

小泉 『IT』に詩的な要素が。意外な気がします。読み直さなければ。

福間 『IT』はITというものからしてすごく詩的だし、詩も書いているんですよね。村上春樹も詩的といえばそうだったかもしれないところがあるけど、今はそれをすごくきれいに混ぜちゃうから見えないよね。村上春樹の『1Q84』にどういうふうに詩があるかっていうと、あってもあまりこう、詩としての負担感がない。詩はどうしてもやっぱり、読む人に抵抗感を覚えさせるところがあると思うんだけど、そしてそれがあるから村上春樹はすごいんだなと思うんだけど、それが感じられないくらいにきれいに溶け合わさっている例。

小泉 だから気づかないのか……。だから、たぶん、福間さんは詩がわかるサイドとして読んでいて、詩センサーが反応すると思うんですけど、詩を読む筋力、詩筋が衰えていると、そこで詩センサーが反応しない。気づかないみたいなところはあるのかなと。

福間 うーん。

小泉 私はオンダーチェはわかるんです。オンダーチェだけがわかる。それで世界で一番好き、みたいな。それなのに、オンダーチェはどんどん小説家としてこう……

福間 そうだよね。

小泉 円熟という感じになっていってしまって……。もうこっちには戻ってきてくれないのかしら、とか。

福間 うーん。でも、独特な詩に対しての意識があって、詩がただ詩であることについては不満があるみたいで。

小泉 詩がただ詩であることは不満。なるほど。

福間 あの、詩集を最近出してますよね。そのタイトルが『The Story』っていうタイトルなんですよ。

福間 物語、というタイトルで詩集を出してる。実物を見てないけど、ちょっと前に。

小泉 それは福間訳で読みたいですね……。訳してから、オンダーチェの詩を読んだっておっしゃってたじゃないですか。その時はどうでしたか。詩人として。

福間 うーん、そうねえ。詩人としてすごいかというよりも、この詩は物語を引き寄せる詩なんだなっていうふうに思った。僕らがディラン・トマスとかオーデン、イェーツもそうですけど、それを読んできた感じからすると密度が足りないかなと。

小泉 密度が足りない。

福間 ポップな要素はあるんだよね、もともと彼はね。レナード・コーエンが好きだっていうことがやっぱり、関係あるのかなあ。

小泉 福間さんが追記で「これに刺激を受け、自分もこういう本を作りたいと私に伝えてきた詩人や表現者が何人かいた。私自身もそう夢見たことがある。しかし、本書に匹敵するようなものが実現したという例はまだないだろう。」と書かれていて。ちょっとグッときました。

福間 これを訳してから20年以上が経っているんだけど、自分もそういうことを思っていたのに、なんかそれを、ちょっと忘れてたっていうか(笑)。

小泉 忘れてましたか(笑)。

福間 やっぱり、詩というものが生きていくひとつの方向だと思うんだけどね。でもなかなか、この、詩と散文を組み合わせて一人の主人公の物語を作るといっても、そういう、オンダーチェにとっての、ビリー・ザ・キッドみたいな存在ってそうは簡単に見つからないだろうみたいなね。そういう気がする。

小泉 題材の選び方がすごいですよね。

福間 うまく出会えたっていうかね。

マケドニアを探して

小泉 『ライオンの皮をまとって』の話をもう少し聞きたいと思います。

福間 これは本当にすごいよね。

小泉 こんな大変なものを毎日、訳していたら、頭の中が、……えっと、毎日、訳してましたか?

福間 そうだったかな…(笑)

小泉 そうすると、頭の中のモノローグがこんな文体になってしまいませんか?日々の暮らしで考えることが、もののとらえ方がオンダーチェっぽくなっちゃったりしないんですか?

福間 うーん、そうねえ。これ、今見てもかなり入り込んでやっているというか、僕が今、普段自分で書く日本語とは違うという感じがすごくするなあ。

小泉 こういう翻訳をすることが、福間さんが自分で書く日本語に影響を与えている、多かれ少なかれあると思うのですが、そういう感覚ってありますか?

福間 そうねえ。うーん。僕はだいたい、規則正しく仕事をしたりしないんだけど(笑)、『ライオンの皮をまとって』に関しては規則正しくやったんでね。この前後、この後っていうのは、これを訳していたときのリズムっていうかね、そういうものが文章という前に生活のリズムとして残ったということはあった(笑)。

小泉 生活が規則正しくなったんですね。

福間 うん。それから、本当に、官能的な、エロティックなところと、プロレタリア文学的な労働の大変さというのがすごくて、なめし革のところは本当にすごかったよね。

小泉 あれはすごいですよね。

福間 家に帰っても匂いが抜けない。

小泉 材木系の労働も出てくるじゃないですか。ダイナマイトを使って爆破したり、木を斬ったり、流したりと。ジョン・アーヴィングの『あの川のほとりで』も出てくるんですが、それですごく面白いんですが、労働の描かれ方が全然違うんですよ、材木の描かれ方が。

福間 アーヴィングも本当にすごい作家なんだけど、アーヴィングは意外と飽きちゃうっていうか、ある種の単調さがある。僕、もしかしたら、どれも読み通してないかもしれない、アーヴィングのは(笑)。

小泉 そんなにすぐ飽きますか(笑)。まあ、アーヴィングはある種の類型があるというか。こんなに変わらない人もいない。オンダーチェは逆に変わらないことがないというか。

福間 こんなに、ビリー・ザ・キッド以来の何かね、そう普通じゃないっていうものがあるっていう気がするよね。最近の3作のように整ってきていても、部分部分がすごく。

小泉 ただ円熟したくらいに思っていたのですが、ちょっと浅い読みでした。

福間 長編としては弱い要素があるかもしれないけどね。全体よりも、部分的にできているもんね。それが合わさっている、連作的でしょう。でもその連作性が資質としてある人なんだろうなと。で、僕、マケドニアに行ったでしょう。

小泉 ええ、行ってらしたみたいですね。それはこの翻訳のために?

福間 それもそうだけど、外国にいろいろ行くのが好きだということもある。でも主にスペインとポルトガル。スペイン行っていた時期、ポルトガルが中心だった時期とかあるんだけど、このときはちょっと違うところに行ってみようということで、よし、マケドニアに行ってみようと思ったんだけど、あまり知識がなかったもんだからね。この小説に出てくるマケドニアの部分って、今、ギリシャ領なんだよね。

小泉 あー。

福間 それに気がつかずにマケドニアの中を探したら、ない(笑)。どこにあるんだっていったら、ギリシャの中だと。でももう名前も変わっていてね。

小泉 そのままオンダーチェの小説に出てきそうなフンワリしたエピソードですね。

福間 ギリシャが1910年くらいに占領したままに、マケドニア側からいえば、奪われたままになっている地域だった。でもそこからはカナダに移民する人が多くて、その近くの村の出身で、カナダに行ったんだけどたまたま里帰りしているという人に会って話を聞くことができて、ああ、そうなんだと。

小泉 福間さんは、ウェールズにいたとか、スペインとかマケドニアとか、わりと世界中をうろついているというか、これまでの旅路について教えていただけますか。まず、ウェールズっていうのは……。

福間 『ライオンの皮をまとって』を訳す前だね。ディラン・トマスとかケルト文化の勉強のために行ったんですけど。1年間。文部省の何か、そういうんだったんで、ちゃんと言えないといけないんだけど(笑)。

小泉 はい(笑)。

福間 1998年から1999年にかけて行って。それで2000年にオンダーチェに会っているんだね。

小泉 ね、って他人事のように。

福間 で、たぶん、そのころは外国で好きなのはスペインで、フランスやイタリアにも行くんだけど、とにかくスペインに行きたくて、というのが割とあったかな。1980年代後半くらいから1990年代にかけてあって、98年から99年からウェールズに1年間いたので、その間もギリシャとかスペインとかドイツとか行っているんだけど。最近は、2005年くらいから、ポルトガルが中心で。

小泉 それは、文学的興味とは別なんですか?

福間 だいたいどっちかって言うと、妻がスペインが好きだったり、妻がポルトガルが好きだったりして、それに付いていくあたりから始まっているんだよね(笑)。

小泉 研究関係ないですね(笑)。

福間 英文学の世界もいいんだけど、アメリカはあまり行ったことはなくて、ちょっと前に35年ぶりくらいにニューヨークに行ったというのがあったけど。

ロック・フィーリング、日本人として

小泉 私は詩が読めないわけじゃないんだって、オンダーチェを読んで思ったんです。思ったんですけど、その先が続かない。この次、どこへ行けばいいんでしょうか。

福間 うーん。どうなんだろうね。

小泉 福間さんが好きだというディラン・トマスを読んでみようかな。他に何かお薦めはありますか。

福間 ディラン・トマスは翻訳を読んでもわからないかもしれないけど、松田幸雄さんの訳が今のところ、いちばんいいいかもしれない。ただ、ディラン・トマスもオーデンも、全部僕が本当は訳したいなと思っていて。

小泉 おお、それはぜひ。

福間 ちゃんとやってなくてあれなんだけど。日本でも、ある時期までは、外国の詩のおもしろさと、日本の詩人たちがそれと競争して書くようなね、気持ちってあったかもしれないけど、今はちょっとこう、分かれちゃってる。ボブ・ディランが詩人かどうか、ボブ・ディランの詩がおもしろいかどうかと言っても、今、みんな日本人が書いている詩とどうつながるかっていうと、なかなか、簡単にはつながってこないだろうということがあってね。僕はたまたま英米詩がおもしろいっていうのと同じくらいに、日本の詩もおもしろいんだけど、ただ、本当のことを言って日本の詩がものすごい好きかって言うと、そうでもないところもあるかもしれないくらいのところもあってね……。

小泉 そんな、詩人なのに(笑)。

福間 うーん(笑)。

小泉 英語で、詩を書こうと思われたことはないですか?

福間 いや、ありますよ、そりゃね。何篇かあるんだけど。

小泉 お。発表はされていないんですか。

福間 ないですね。そこまではやっぱり、なかなか。うーん。日本語の場合、日本の詩ってやっぱり特殊な面があるっていうかね。もともと歴史的にこういう詩があったというわけでもないしね。伝統、短歌、俳句っていうことだけじゃなくて、日本の伝統的なものとのつながりが問題になるところもあって、うーん……。

小泉 ざっくりとした話ですが、最近の若い人たちって昔ほど外国に対する憧れが、比較的、その私たちの世代、あるいは福間さんたちの世代に比べて弱いらしいのですが、私たちの頃、私たちっていうのもなんか大雑把すぎますが、今の若い人より古い人たちはもっと、外国のもの対する憧れがすごく強くて、外国の文化をむさぼるように吸収してきて、でも、そこで日本人として自分の創作にどうやって反映させるかっていうところで、どうしてもゴニョゴニョってなっちゃうところがあって。

福間 ねえ。

小泉 『ビリー・ザ・キッド全仕事』っていうのは、スリランカ出身のオンダーチェがビリー・ザ・キッドをモチーフに書くっていうのが、すごいなと。

福間 だからオンダーチェから学ぶとすれば、オンダーチェの中に、いわゆる正統的な文学に対して、ポップカルチャーとかそういうところから働きかけたいっていうことがあると思うんだけど、そのことが、彼の中の、もともと、アジア人であるという意識とか、西欧的なものに対する抵抗になる部分とかね、重なっているよね。単に純文学は退屈だからポップがいいということじゃないね、そういうだけのことじゃない、気持ちのこもった部分がある。さらに彼は恵まれた環境に育って、イギリスの教育を受けて、カナダに行ってからみたいな時間に対して、それがどういうものだったのか問いかけたいっていうのを、ビリー・ザ・キッドっていう、ある意味で教育を受けているはずもないし、アウトローとして生きた存在に仮託した部分。自分以外の者になるんだということがあり、自分が育ってきたのとは別な環境にいた者に出会っている。二重三重に入り組んでいるでしょう。それがおもしろいよね。で、僕自身も、英文学、結局は嫌いじゃないんですけど、その前にロックってものがあって。

小泉 なるほど。

福間 僕は、ロック・フィーリングっていうものが大好きっていうか、なくてはならないものなんですよ。

小泉 はい。

福間 それは村上春樹だってそうだって言ったらそうかもしれない。

小泉 カズオ・イシグロも。

福間 それと、イギリスの詩、英語の詩を読むことがつながっているんで。

小泉 具体的にはどのあたりのロックですか。

福間 ずっとなんだけどね。僕の子供のときから言えば、50年代のロックンロールから、プレスリーの初期から、その同時代的なもの、ジーン・ヴィンセントとかエディ・コクランから大好きなんです。

小泉 はい。

福間 その後の、ビートルズ、ローリングストーンズもレッド・ツェッペリンも好きだし、そういうものがよみがえるっていうのが何回かあったとすると、グラムロック、T・レックスが大好きで、パンクも大好きで、その後にニューウェーブ的な時代に入るんだけど、そこまでがよくて、そのあとからいまひとつ、乗っていけないかなっていうのがあったんだけど。

小泉 私が好きなのはそのあたりからです。

福間 もう70年代までにブルース・スプリングスティーンもみんな出てきちゃうからね。それが僕の30歳までみたいな感じになるんだけど、結局、エミネム以降のヒップホップに感応できたことで、もう、全部またもう1回、全部好きみたいになってきたんだけど。

小泉 エミネムで全部またもう1回、全部好きって、それは予期せぬ展開です、素敵です(笑)。

福間 ヒップホップはいろいろな要素があるけれども、ある意味でもう1回ロックンロールもリズム&ブルースも、それから今のアフリカ、ちゃんとつながってきているんで。で、そういうことに比べると、朔太郎がどうしたとかね、まあ、中原中也どうなのかな、とかたまには思ってみるけど(笑)、僕にとっては本当は大きくないかもしれない。

小泉 そのつながらなさ、熱量の違い、すごくわかります。福間さんの英語の詩を読んでみたい気がします。あ、でも訳してもらいたい。でもそれは、福間さんが書いた日本語の詩を読めばいいのか。ややこしいな。

福間 まあ、英語で詩を書くというところまで追い込まれてないってことかもしれないよね。日本がもっと小さい国で日本語で詩を書いてもそんなに読んでもらえないとかだったら、英語に訳すか、英語で書くということが、大きな要素になってくる。僕、実は最近スロヴェニアの詩人たちと親しいんだけど、スロヴェニアでは自分たちの作品が英訳される、あるいは英語版を作るっていうことが絶対必要になってきている。日本ではまだそれほどでもない。

小泉 意識している作家さんは多いと思うんですが、なかなか環境というか仕組みが整わないみたいなところが。

福間 日本はやっぱり、ここまで来ても日本映画も日本文学もしっかりある。その国のものがちゃんとない国に比べたらしっかりとあるので、じゃあ、日本の伝統的なものがつまらないわけじゃない、わからないっていうのも悔しいからちょっと考えてはみるけれども……うーん。どうしたものか……、だから時々そういう気持ちにもなるけれど(笑)。

小泉 はい(笑)。

福間 芭蕉、偉いな、とか思ったりして。たまにね。

小泉 「芭蕉、偉いな。」って。

福間 でも、たとえば、芭蕉とか蕪村とか好きなんだけど、これもだいたいどっちかっていうと、短歌的なもの、それより前からある日本の土壌的なものから抜け出すような、ある意味モダンな動き方ですよね。俳句の生まれ方ってね。そういうところがおもしろいと思うね。明治文学は、藤村とか、全然好きになれない。重苦しくて。

小泉 湿った布団みたいなところありますよね。

『ビリー・ザ・キッド全仕事』のほかにもいろいろ

小泉 今回の新装版ではどれくらい変わっているんですか?

福間 あまり変わってないですね。

小泉 見出しとか変わったとか書いてありましたけれども。

福間 架空インタビューのパートの見出しですね。あれはもともとのほうが変わっちゃって。今回自分で直したのは、数カ所くらいかな。うん。『東京日記』っていうブローティガンの本も同時に再版になるんだけど、あっちは、けっこう手を入れちゃったんだけど。

小泉 『ビリー・ザ・キッド全仕事』が出るっていうのは、オンダーチェの新作が出るからとかそういうことではなくて。ふっと担当編集の藤原さんが復活させようと思ったから?

福間 そうだと思うけどね。

小泉 藤原編集室さん、Twitterでいつも貴重な情報が流れてくるのですが、藤原さんって、藤原編集室さんなんですね。

福間 そうなの、そうなの。

小泉 気づきませんでした。Uブックスで出るよ、というtweetも、やー、良く知ってるなあ!と思ってたら担当者だったのですね。フリーの方なんですか?

福間 そうなんだよね。国書刊行会にいて、その後フリーになった。そういうことを言えば、水声社の社長も国書刊行会にいた時期があって、それから自分で今、水声社をやっている。あの一時期、国書刊行会でいろいろめずらしい本を出したとか、僕の同僚だった高山宏を中心にいろいろな幻想文学とかを紹介した時期があって、そのころの編集者だった人間がまた今、国書刊行会を離れていろいろやっているなという感じで。その国書刊行会の時代の前がたぶん白水社の「新しい世界の文学」のシリーズだよね。

小泉 『ライオンの皮をまとって』を出している水声社は国書刊行会の方がスピンアウトして作った会社なですね。

福間 「書肆風の薔薇」っていったんだよね。水声社の前はね。同じところなんだけど。水声社の社長の鈴木君とは、学生時代の友人で、藤原君はいちおう教え子なんだ。

小泉 そうなんですか!

福間 でもあんまり、教えたっけな?と思うような教え子で(笑)。

小泉 そんな(笑)

福間 高山さんの教え子なんだよね。高山さんの教え子っていうことは僕の教え子でもあるけど、教えたことあるかな……みたいな。同じところにいたっていうくらいで。

小泉 藤原さんの尽力で今回の新装版に至ったわけですね。すばらしいです。最近、出てほしい翻訳がなかなか出なくて。

福間 なかなか大変だよね。翻訳も大きいところでたくさん部数が出でるようなものをやれば別だけど、こういうのだと本当に労働的には割に合わない仕事。

小泉 …ですよね。でも、オンダーチェの詩集は出てほしいです、翻訳で。

福間 うーん。そうねえ。オンダーチェの他にも、本当に、詩集出ないよ。出ても、たとえば思潮社で出ても、その内側でしか知られないような形でしか出ないじゃない。

小泉 日本ってすごくきれいに本を作るじゃないですか。でも、ペーパーバックふうの、こういう感じでね。

福間 そうだよね。

小泉 今だったら、プリントオンデマンドってあるじゃないですか。Amazonにすごく持っていかれてしまうんですけど。あれで作ってみたんですよ。こないだ。ペーパーバックっぽくっていいなと思ったんですよね。それで少部数で。

福間 でもKindleも売れないんだよ、僕、Kindleで2冊出しているんだけど、宮本隆司さんの写真もたくさん入った、内容的にはありえないくらいの豪華版で、税別で230円なのに。

小泉 安すぎるんじゃないですか!

福間 全然売れない。

小泉 買います。すぐに買います。私は技術系の出版社で働いているんですけど、技術書なんかはわりとKindleで売れるんですよ。紙だと重くて分厚いので。だけど、詩集って手にもっていたいじゃないですか。ちなみに、これはプリントオンデマンドはしてないんですか。

福間 うん。思潮社でも、その詩集の出し方で売っているんだけどね。大して売れないみたい。でもまあ、『ライオンの皮をまとって』も売れてないからね。

小泉 こんな傑作が売れてないなんて。この本、本当にきれいな装幀で大好きなんですよ。この青。フィクションの愉しみ。これが売れないのはおかしい!

福間 これは、僕が思うオンダーチェの英語はこうだっていうのをやっているんだけど…うーん。ねえ?

小泉 そうですよ!

福間 『ライオンの皮をまとって』は本当に愛着があるんだよ。

小泉 本当に素晴らしいですよね。ハナも出てくるし。『イギリス人の患者』では薄かったハナのお父さん、パトリックが、こういう人だったんだ!っていう。シーンなんですよね。シーンが思い浮かぶ。印象的な映画のシーンのように、ずっと残っているんですよ。たとえば、尼僧が落っこちるシーン。

福間 あれもすごいよね。

小泉 映画になってほしいですよね。

きれいにいくか、ごつごつしているか?

小泉 訳しているときは楽しいっていう感じですか?

福間 『ビリー・ザ・キッド全仕事』はそれほど大変じゃなかったかも。『ライオンの皮をまとって』の方が大変だったかな。いろんなことが出てくるしね。あ、『ビリー・ザ・キッド全仕事』もそうだ。いきなり写真が出てくるし。誰か写真家に訊いて。なんか、全然知らなかったのね。いきなり専門的な用語で、現像の仕方とかさ。

小泉 今だったら、インターネットで済むことが。あとがきで「いろんな人に聞いて回った」っていうところがなんだかおかしくて。詩の部分ではなくて、そういう専門家の方に聞いていたっていうことなんですね。

福間 そうね。うん。うん。

小泉 『アニルの亡霊』もすごく好きなんですよね。

福間 きれいですよね。

小泉 きれいですよね。きれいなんですけど、『ディビザデロ通り』も『名もなき人たちのテーブル』はもっときれいですよね。オンダーチェが円熟したと。『アニルの亡霊』はもうちょっと、そういう意味では、きれいというよりは、まだ、詩の残滓が…

福間 もうちょっとゴツゴツしててもよかったかもね。内容から言ったってね、うん。

小泉 じゃあ、もし、福間さんがアニルを訳していたら、もう少しゴツゴツしていたかもしれない?

福間 そうかもね。

小泉 でも、本当に、あんなに実際に起きていた内戦のことをモチーフにしながら、あんなにファンタジーみたいな。

福間 やっぱりすごいよね。

小泉 あれは、あまりにも政治的でなさすぎるという批判もあったらしいんですけどね。福間さん、オンダーチェの詩集を訳したりしないんですか?

福間 そうねえ。オンダーチェ以外にも詩をね、もっと訳さないといけないなと思うとすると、オンダーチェは詩人としてそれだけ重要な存在かどうかっていうことはあるかもね。やっぱりこうなった人なんで。

小泉 そうですよね。小説へ向かっていったわけですよね。なんかオンダーチェはノンフィクションの雑誌とかもやっているんですよね。それはチェックしてないんですけど、詩集はいちおう、買っているんですよ。シナモンピーラーっていう詩集。こっちにも出てきますよね、シナモンピーラー。ちゃんと読んでいないけど。

福間 うんうん。

小泉 突破口は好きな人からですね。なんだか話があっちこっち飛んじゃいましたが、オンダーチェについては聞けたかな。

福間 オンダーチェは、僕も自信がなくなってきてしまうことがあって、意訳しないとだめかなと思うんだけど、さっきも言ったんだけど意訳しちゃうとやっぱり何かが抜け落ちる。そうならないようにギリギリまでどこまでいけるか。わかりづらいけどやっぱりこう言っときたい、みたいなところがね。『ライオンの皮をまとって』のときはね、遅いから、1章書いたらくださいみたいに付き合ってくれた編集者はもうできた時にはもういなかったのよ。その後、二人くらい交代しているので、あまり、こう、相談するっていうことがなかったから。今そう思うと、オンダーチェの具体的なものを見える訳にはできたかなっていうかね。いろいろな道具とかいろいろなものが見えるようにしたいっていうかね。動きと、アクションと、物が見える訳にしないとおもしろくない。

小泉 見えますよ!オンダーチェって、地雷とか、ダイナマイトとか、爆発するものに魅せられていますよね。なんかありますよね。

福間 そうだよね。

小泉 これは本当にいいシーンだけで作られた小説というか。

福間 いいシーンがいっぱいあって。でも、いきなりパン屋のシーンになったりするから。パン粉?今度はまたパンのこと考えなきゃなって、いちからもう1回考えなきゃなっていうことが多くてね(笑)。

小泉 え、ここでパン?パン粉?みたいな感じに(笑)。おもしろいですね。

福間 場面によって話題が全然違うんでね。マケドニアの料理も出てくるしね。

(終わり)

母袋夏生さんと、『突然ノックの音が』について語る

母袋夏生さんと、『突然ノックの音が』について語る

小泉 私がエトガル・ケレットを知ったのは、小竹由美子さんが訳されたネイサン・イングランダーの短編集の中で、エトガルの話が元ネタっていうエピソードからで。エトガルはこの話を小説にしない、と。だったらそのネタもらっていいか? みたいなやりとりの末、ネイサンが『若い寡婦たちには果物をただで』という短編小説を書いたという。

母袋 そうそう。あれは、「この話、もらっちゃっていい? 」ってなったときに、自分は歴史的な事実を物語る作家じゃないからいいよって言ってあげたって。第2回文芸フェス(東京国際文芸フェスティバル)のときにエトガルが言ってましたね。

小泉 第2回文芸フェスってエトガルも来ていたんですか?

母袋 もともとは、ネイサン・イングランダーが招待されていたんですって。で、ネイサンが「友達連れてくけどいいか? 」と。文芸フェスのほうで「いいですよ、ちなみにお友達ってどなたですか? 」って聞いたら、それがエトガル・ケレットだったっていう話で(笑)。それで、「あれ? エトガル・ケレットね」ということになってお声がかかったんです。

小泉 じゃあ、その時には『突然ノックの音が』が出るっていう企画はまだなかったんですか?

母袋 これ、ちょっと話がややこしいので説明いたしますね。2014年の3月の文芸フェスに、ネイサン・イングランダーが、正式な招待客として登壇することになった。そしたらネイサン・イングランダーが友達を連れて行っていい? と言ってきて、それがエトガル・ケレットだった。

小泉 はい(笑)。

母袋 で、エトガル・ケレットってそういえば…っていうことで、新潮社の編集部の須貝さんと佐々木さんが、「おや、そういえば」と。これは推測ですけどね。

エトガル・ケレットの翻訳が出るまでの長い長い話

小泉 それが『突然ノックの音が』の原稿だったんですか?

母袋 いいえ。エトガル・ケレットは『突然ノックの音が』の前にも何冊か出していて。『キッシンジャーが恋しくて』(注:日本では未訳)が急に人気になったときに、日本に留学しているイスラエルの学生が「これ、すごくおもしろいから読んでみるといいよ」って、お土産に持って来てくれたんですね。パラパラってめくって、その時にはね、おもしろいと思わなかったの。

小泉 なんと(笑)。

母袋 でも、そのあとも出た作品を、誰かが持って来てくれたり、送ってくれたりして、読んでみたら、「おもしろいかもしれない」と思ってちょこちょこちょこいじっているうちに、「あ、訳そ」って思って。

小泉 すばらしい。

母袋 私、暇なんです(笑)。それで、この『キッシンジャーが恋しくて』の中のいくつかを訳しました。

写真 1970-02-11 9 47 05
ヘブライ語版『キッシンジャーが恋しくて』

小泉 これはヘブライ語版?

母袋 そうです。

小泉 エトガルの作品は、全部ヘブライ語で書かれているんですよね?

母袋 そうです。これが、Pipelinesの次に出た、大人向けの作品なんですけれども、よく読んでおもしろいのだけ訳して。その次に『アニフ』っていうのがあって、その次がこの『クネレルのサマーキャンプ』で。

写真 1970-02-11 9 48 00
ヘブライ語版『クネレルのサマーキャンプ』

小泉 あっ。これ、英語版のペーパーバックを持っています!

母袋 あ、そう?

小泉 あ、違うかも。このマークっていろんなところに使われているんでしたっけ?

母袋 そうそう。エトガルは自分のロゴマークみたいに使っていますね。これすごく洒落た表紙だと思って気に入っているんですよ。で、何冊かから、好みのもの、あるいは日本人に向くものっていうのを訳し溜めたの。で、この中に、『クネレルのサマーキャンプ』という、中編くらいのものがあって。

小泉 エトガルにしては長い。

母袋 日本語に訳しても70ページくらいになるんですよね。で、それが、こんな感じにね……。

写真 1970-02-11 9 49 16

小泉 あ、これ漫画ですか? !

母袋 そう。アサフ・ハヌカっていう、作画家と組んだんです。それで『ピッツェリア・カミカゼ』というコミック・ノベルになって。

写真 1970-02-11 9 49 29

小泉 ちょ、ちょっとこの吹き出し! お手製ですね!

母袋 ふふ(笑)

小泉 あ、ちょっと、はがさないでください!(笑)。これ、日本語では全く出版されていないんですよね?

母袋 残念ながら。この『ピッツェリア・カミカゼ』を出してもらおうと思って、ある出版社に持っていったことがあるんです。そしたら、日本ではフランス風のコミックって好まれないんだって。

小泉 たしかにフランスのグラフィックノベルって独特ですよね。

母袋 そう言われて、もう、ぺしゃん…。でも、これは『Wristcutters – A Love Story』という短編映画になってアメリカで上映されたりしました。

小泉 中編小説『クネレルのサマーキャンプ』から、コミック・ノベル『ピッツェリア・カミカゼ』と映画『Wristcutters – A Love Story』が生まれたわけですね。

母袋 そう。『クネレルのサマーキャンプ』っていうのは、この世とパラレルの来世があって、そこは自動的に自殺した人間だけが送り込まれる世界。で、そこに失恋からリストカットした男が送り込まれて、彼は恋人に未練を残しているのね。でもまあ、そこで割合とのんきにビール飲んだり、カミカゼっていうピッツェリアで働いたりしていたんだけど、あるとき「彼女もこっちに来てるぜ」って情報が入って。そこで友達と一緒に元恋人を探しに行くんですよ。友達の車に同乗して、二人で旅をして、途中でまたちょっと自殺者にはとても見えない美しい女性を拾ったり。その女性は「私、間違ってここに来ちゃったの。だからここの責任者に会って向こうの責任者に送り返してもらわなきゃ」っていうような。いろいろあるんですけど、おもしろいの。すごく風刺があるし、おもしろい。で、ラストもいいんですよ。なんとなしに、いかにもケレットらしい哀感の漂う風で。エトガル、やっぱりおもしろい!と思って(笑)。これを含めて、1冊分の分量になった……。

小泉 ……すでにいろいろ訳されていたんですね。

母袋 この14~5年? ケレットおもしろい!って思って、ここから何篇か、ここから何篇かって訳し溜めていって、何社かに持ち込んだんだけど、没になって。あー、まだケレットの時代は来ていないんだって思って、引き出しにしまった。

小泉 引き出しにしまった。

母袋 没になると凹むんですよね、私。

小泉 そりゃそうですよ!

母袋 凹むというか、忘れようとつとめて1年くらい忘れて(笑)。でもふと思い出して、やっぱりもうちょっとがんばろうかなと、また、読んでいただけないでしょうかと、そんなことの繰り返し。でもあるとき、大きな出版社で、一度、まとまりかけたんです。編集部は大乗り気だった。その頃、私は自分で持ち込むという元気をなくしてしまって、代わりにやるっていう若くてありがたい友達がいて、彼女が私がエージェントになるわってがんばってくれて、それがうまい具合にまとまって、そろそろ重役会議というところで、エージェントとの金銭的な問題でポシャっちゃったんですよ。

小泉 それは版権料で合意せず、とかそういう話ですか?

母袋 なんなんでしょうかね。そういう話が全然私には入ってこなくて、だめになっちゃったもんですから、ああ、もう……と思ってました。2013年の夏くらいかな。その友達が新潮社の佐々木さんのところに持っていって。……あ、これ書かないでね(笑)。

小泉 いや、いますごく大事な話を!新潮社の佐々木さんですね。

母袋 それで、まあ、編集部にはいっぱい持ち込み原稿がありますからね。でもたまたま、秋口から冬にかけてっていうところで、文芸フェスの話が、にわかに持ち上がって。そういえば、エトガル・ケレットの原稿あったなって思い出してくださったらしい。それとは別に、たまたまケレットの、英語からの翻訳を出したいっていう人も現れていたようなんですね。文芸フェスは3月だから、間に合う!となって編集部では、ヘブライ語から訳して出そうという話になったんだろうと思います。で、お声がかかって、新潮社をお訪ねしたら、「この、『突然ノックの音が』を、3月に出したいので、大至急取り掛かってもらえますか」と。

小泉 急な展開ですね!

母袋 でも、私、即座にお断りしたんです。

小泉 え(笑)。

母袋 「できません」って(笑)。だって、ケレットって読むのはおもしろいけれど、1篇訳すのにエネルギーがいるんですね。長編だとダーッと訳していける、ある程度の分量のものは。でもケレットの掌編はひとつひとつの世界が違うし濃密じゃないですか?

小泉 それ、小竹さんもジム・シェパードか、アレグザンダー・マクラウドか誰かのときに、同じようなことをおっしゃっていました。短編でさえ凝縮していますからね。エトガルの掌編となるとさらに。

母袋 世界が全然違うから。1~2篇訳すのが精いっぱいだと思いますと。もちろん、須貝さんも佐々木さんも優秀な編集者ですから訳者の事情をすぐに理解されて、じゃあ、いつまでだったら訳せますか? と聞かれて、1年って。

小泉 最初に2014年3月までにって言われたのはいつだったんですか?

母袋 2013年11月下旬。

小泉 ああ、それはつらいですね。

母袋 おまけにちょっと、たまたま自分で仕込んで形にしなければいけないものがいくつかあったり、発表しなければいけないものが重なっていたんで、ちょっと切羽詰まっていて。

小泉 暇なときはたくさんあったのによりによってこの繁忙期に…!みたいな。

母袋 そもそもがケレットの作品について、ちょっと話したいので……って言われたときには、こっちの持ち込みのほうだと思ったんですよ。

小泉 これまで訳し溜めていたものですね。引き出しにしまわれていた、何年ものですか。

母袋 10年から15年くらい? 今日のために友達が持っていった既訳稿を読み返したらやっぱりおもしろいんです、佐々木さん、思い出してくださらないかしら。

小泉 佐々木さん、きっと思い出してくださいますよ。でも、今回訳してくれと言われたのが、『突然ノックの音が』だったわけですね!

母袋 これがヘブライ語の原書。

小泉 要は、最新刊、みたいなことですよね。

母袋 そうですね。大人向けのものとするとね。

写真 1970-02-11 10 04 51
ヘブライ語版『突然ノックの音が』

母袋 私、読んではいるけど訳し切れていないよという作品集。そうしたら、3月までに2~3篇、仕上げてください、それは大丈夫でしょうっていうことで、ハイっていうことで、4篇くらい仕上げて、お渡ししたんですね。それで、では1年後くらいに全部の訳をくださいねっていうお約束になりました。

小泉 ちょっとまとめますと、文芸フェスにネイサン・イングランダーが友達を連れていってもいいかいと聞いた、その友達がエトガル・ケレットだったということで、新潮社ではクレストから最新作を出すことが検討されて、出版が決まり、母袋さんが訳している最中に文芸フェスが開催され、エトガルも来ました、ということですね。長い道のりでしたが、最終的にトリガーを引いたのはネイサンとエトガル自身でもあったのですね。

文芸フェスにて

小泉 文芸フェスでエトガルが来日したときは、母袋さんはお会いしたんですか?

母袋 ええ。翻訳が決まっていたので。通常、私は暇な人間ですから、全訳してから著者に訊くんですけど、今回は訳す前に会うので、とりあえず原文と英文をつき合わせて疑問点をいっぱい並べて、クリアにしておかないと、彼の意に染まない作品になっちゃう、日本語とのずれが生じたりすると大変だと思いました。だから、文芸フェスの合間に、会ってちょうだいとお願いして、それで宿舎であるニューオータニで、眠いっていうのを(笑)、がんばれ!って励ましてお茶を飲みながら。

小泉 なんだか楽しそうですね。ここはどうなんだ、ここはどういうことだと質問攻めに……。

母袋 どう思ってるの? って。

小泉 贅沢ですね。眠い著者本人に直接「どう思っているの? 」って。

母袋 それに対して、小泉さんももうケレットにお会いになっているからお分かりのように、すごく誠実に答えるでしょう? いちいち、なんだろう? 相手の立場を慮って。

小泉 そうですよね。すごく空気を読むっていうか。小説を読んでいてもそうだけど、こう言ったらこうなりそうだから、こうしようかな、みたいな気配りが。

母袋 傷つけちゃいけないっていう心配りのある人で。イスラエル人では珍しいですよ(笑)。

小泉 そうなんですか(笑)。あの、えっと、ヘブライ語で会話されるんですか?

母袋 ええ。

小泉 なかなか、訳している最中に本人に会ってあれこれ聞けるなんてチャンスないですよね。

母袋 そうですね。私の場合は、さっき申し上げたように、訳しながら疑問点を箇条書きにしていくんです。で、つまらないことでも気になったら訊く。言葉ひとつにこだわっちゃって訊くこともあるんです。それで、会うと、明日1日私のためにとっておいてねって。エトガルの場合は、まだ訳してないので、いくつかピックアップしたものの中の質問が多くなり、まあ、会う前にできるだけ読んでおこうと思って、読んでて、ん? と思ったことなんかを訊いて、クリアにしておこうっていうことでしたね。

エトガルと母袋さんの出会い

小泉 エトガルと母袋さんって、その前から連絡を取り合ったりしていたんですか?

母袋 これが出る2年前に、テルアビブで会っています。エージェントの人と3人で会ったんですけど。さらにそれより1~2年前、イスラエルに行ったときに翻訳協会のボスと話していたら、エトガルがあなたを音楽会に招待したいといっているといわれました。その時は、それはすごくありがたいけど、お断りくださいって。

小泉 なぜ(笑)。

母袋 だって、いろいろと。そしたら、じゃあ、あなたが自分で断ってって(笑)。え、なんで、私知らない人よ? っていうと、いや、彼はあなたにシンパシーを感じているし、ちゃんとあなたのほうからご挨拶してくれない? って。私はシンパシーなんてまだ感じてなかった(笑)。

小泉 感じてください(笑)。

母袋 でも強引に携帯番号を渡されちゃったから、電話したら穏やかな、ゆっくりしたトーンでしゃべってくれて。努力はしているんだけど本を出せなくて、本当にもうしわけないですって言ったら、あなたが努力してくださっているのはよくわかっているし、ありがたいことですって。出ないのは本当に残念だけどって。音楽会はJazzかなにかの人とのセッションでケレットも朗読をしてっていう催しだったかもしれないです。

小泉 もったいない。

母袋 で、その翌々年かな。テルアビブで会って。奥さんが映画の仕事で忙しいから、早く家に帰らないといけないながら、一生懸命話してくれて。でも日本語版がなかなか出ないということに関しては、日本人は僕の作品が好きじゃないのだろうかと不安がってましたね。だからそのあとに、秋元孝文さんのブログを……あれは誰に見せてもらったんだろう? ……とにかく、こういうのがあるのよって見せてもらって。ああ、エトガルの作品を好きな人がいるんだってすごく勇気をもらいましたね。

小泉 秋元孝文さん。『あの素晴らしき七年』を翻訳された秋元孝文さんですね。

母袋 そう。秋元さんの訳、いいですよね。『突然ノックの音が』を英語バージョンから訳したいと編集部に言っていたのも秋元さんだった。でも、これはそもそもがヘブライ語で出ているものだからヘブライ語でいきましょうと、編集の方は決断くださったんだと思うんですね。それは本当にありがたいなと思って。で、文芸フェスが終わって、夏前には仕上げました。実際に動き出したのは秋くらいで、翌年のエトガルの来日に合わせて出版しましょうと。初お目見えの作家を招待するなんてすごいことですよね。普通は有名な作家じゃないと招待されませんよね。その辺がすごいなと。

小泉 前の年はネイサンの友達枠だったのに、一躍。文芸フェスの翌年、早稲田に来たときですね!それ行きました。円城塔さんと、都甲幸治さんと、エトガルっていう素敵トリオでしたね。

母袋 そう。あの会は、完璧に新潮社の招待っていうことでした。初お目見え作家なのにすごく熱いもてなしを受けて、本当に感謝なさいねっていう(笑)。ずいぶん、佐々木さんのお世話になりました。

小泉 エトガルも旅行好きみたいですよね。わりとあっちこっち行っていますよね。

母袋 いろいろな理由を付けているけど、たぶん、あの人は、ただ飛行機の旅が好きなんだと思うの(笑)。

ヘブライ語から英語へ、英語から日本語へ

小泉 今日、聞きたいと思っていたのが、エトガルが早稲田に来たときに話していたことなんです。あの日、エトガルが、ヘブライ語ってすごく古い、いにしえの言葉と、最近の建国後の新しい言葉がいっしょくたになっていて、そのおもしろさがあって、それが英語になると失われてしまう部分が少なからずあるんだけど、まあ、それでもいいと思っているというようなことを言っていたじゃないですか。それを聞いて、英訳から日本語にするのと、ヘブライ語から日本語に起こすのとまったく違うものになるのかと思ったんですけど。

母袋 まったく違うというわけではないです。違うものにはならないけど、どうしたって重訳だから、言語を一つ通ると、そこにその言語の訳者の解釈が入りますよね。だから重訳だと、どうしても少しずれていくっていうことがある。この作品にもそれがあったんですね。そのことを、文芸フェスに来たときに、ニューオータニでエトガルに聞いたんです。

小泉 ニューオータニで捕まえて。

母袋 それを聞いたときにね、どこかにノートが……(ガサゴソ…)(鞄をあさる)。

小泉 なんか、ただならぬオーラを発している…表紙だけ撮ってもいいですか、そのノートは。それはエトガル・ノートですか?

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母袋 いや、これは教文館で朗読会をやった時のノートが半分残ってたから(笑)。で、まず、英語版とヘブライ語版を読み比べたら、ん? 原文と違うんじゃないって思う場所がいくつかあったんですね。その点について訊ねたら、彼は英語ができるから、翻訳者と十分に話し合って、納得して英訳版を出してもらっているけれども、アメリカの読者、あるいはイギリスの読者にわかってもらうために、翻訳者の自由裁量も入ってくる。そうすると、訳者の意図が盛り込まれ過ぎちゃって、ピンボケになるというか、ちょっとずれるというケースもある。でもそれは致し方ないことだと思う、と彼はいうのね。とにかくマイナー言語の場合は、例えば日本語の場合だって、英訳されると、他の言語に広がる可能性が大きくなりますよね。たとえば村上春樹がいい例です。村上春樹の場合は、3人だったか、優れた翻訳者がいて、それでその人による英語版が出て、そこから各国語に訳されていくっていうことが多い。

小泉 なるほど。英語版から訳されていくんですね。

母袋 ……というケースが結構ある。村上作品のヘブライ語版は日本語オリジナルからたいていが訳されてますけど。昨日調べたんですけど、村上春樹って、ヘブライ語版で18作出ているんです。ほとんどが日本語から直で訳されてます。イスラエルには日本語ができる翻訳者が5指を超えるんです。

小泉 そんなにたくさん!

母袋 文学が好きですよね。エイナト・クーパーという翻訳者がいて、彼女が大半を訳しているんですけど、英語からの翻訳もある。たとえば、『ねじまき鳥クロニクル』は英訳から。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も英訳版からですね。そういう点では、もう、しょうがないじゃん!っていうところはある。作家にとっては多くの国のいろんな人に自分の作品が読まれるってことが大切で、そのためにエトガルは諸国行脚をしているわけですからね(笑)。朗読会をやって、言葉を尽くして説明して。すごいと思う。

小泉 エトガルって英語で朗読したじゃないですか。『パイプ』を。

母袋 そうだっけ?

小泉 ええ、確か。『パイプ』の英訳を配って。で、私、エトガルのしゃべる英語が大好きなんですけど。モノマネとか練習しているんですけど(笑)。すごくはっきりしゃべるじゃないですか。

母袋 ネイティブじゃないからね。

小泉 エトガルの英語の朗読が本当に大好きで。自分の書いた言語ではない言語で朗読しているのがすごいなと。

母袋 支障なく英語しゃべりますね。

小泉 あの早稲田の日も英語でやり取りをされていましたよね。エトガルが英語で話して、それを通訳の方が訳して、でも、どうしても、ギャグとかがワンテンポ遅れるじゃないですか。そうすると、おもしろい話なんだけど、英語の時点でちょっと若干わかってプって笑っている人と、通訳を待ってからちょっと笑う人と、なんか笑うタイミングを逃した人と……、

母袋 そう、わからないって人もいるのよ(笑)。

小泉 なんか、みんな時間差で微妙な反応をするので、要は、ドッと笑いが起こる、みたいなことがなかったじゃないですか。それで、休み時間に、円城塔さんが会場に早めに戻ってきて「ええと、ケレットが笑いを取れない、これでいいのかと悩んでいるので、もっと気軽に構えて下さい」とか言って、それが一番ウケたりしていて。

母袋 うん、そうだった(笑)。

小泉 エトガルがまた、ニヤニヤしながら通訳の方を見てるんですよね。ウケるかな? ウケるかな? おもしろいところ、もう訳したかな? って。

母袋 通訳の人もなかなかうまかったですよね。

小泉 あの間がユーモラスでしたね。あの、一番最初に『パイプ』を書いた時のエピソードあるじゃないですか。兵役のとき、コンピュータールームでの仕事中に書いて、シフト交代の次の人に「読む? 」って聞いたら、「Fuck You」って言われたっていう。あれ、ヘブライ語でそれに相当する言葉を言われたのか、それとも本当にFuck Youって言われたのか、まずわからないのと、さらに、通訳の人か「彼は言いました、おとといきやがれ」って真面目な顔で通訳するので(笑)。そうすると、どこでどういうタイミングで笑っていいのか、どうしたものかと。

母袋 訳として「おとといきやがれ」の方がよかったんじゃないかしら(笑)。エトガルの本の中にはけっこう英語がちりばめられているでしょう。でも、それに抵抗がある人もいるのよね。

小泉 エトガルは笑わす気まんまんで話していて、都甲さんも円城さんも、私たちも、笑う気まんまんで聞いていて、通訳さんも上手に訳しているんだけど、みんなのピントがちょっとずつずれて、それをエトガルが「ウケてない…!」って思っているっていう、その全体をひっくるめて、いいなあと。そんな大爆笑にならなくても私はいいと思ったんですよね、あの間合いがおもしろくて。エトガルがニヤニヤしたり、不安そうな顔したりしていて。こちら側もちょっとハラハラしていて。

注を避ける

小泉 なんか、例として、ヘブライ語から英語へのプロセスで変わってしまうっていう、そういうのってありましたか?

母袋 ありました。ただ、まず私、エトガルが、英語版で自分の作品が広まったから、それはすごく尊重したいっていう姿勢がわかった。

小泉 だから英語で朗読もして。

母袋 でも、たとえば、この、『金魚』の場合は、英訳者の付け足しがけっこうあるんです。

小泉 補足みたいな感じですか?

母袋 そう。これはネイサン・イングランダーが訳しているんですけど。まず、原題は『金魚』だけれど、What, of this Goldfish, Would you Wish?って補足している。それ以外にも、ネイサンは作家だから、これじゃあアメリカ人にはわからないよって付け足しちゃったところがあるんですね、けっこう。こういうところ。ほら。

小泉 これは、その線が引いてあるところが付け足された部分なんですか?

母袋 そうそう。だから、必要ないのにっていうような、このあたり。

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母袋 で、私はヘブライ語オリジナルからいきますって言ったら、もちろん、それが一番のぞましいですって。でも、たとえば、原文ではティラとあるが、英訳ではヘブロンになっているが、これはネイサンが意図的にヘブロンにした。ティラじゃアメリカ人にはわからない。だから、よく知られている自治区のヘブロンにするって。ああ、それはそうね、ティラじゃ日本人にもわからない。新聞に頻繁に載るヘブロンならパレスチナ自治区だとわかるものね、と私もいって。

小泉 そこはネイサン案採用、みたいな。

母袋 地名に関してはそんな風に具体的に見ていきました。人名はね、アメリカではポピュラーじゃないから、アメリカ人に通じる名前になったっていうのがいくつかあるんです。日本語版は原文通りです。ただ、「アリ」っていう作品。あの「アリ」はオリジナルでは「イラン」なんです。ああいう場面では、「イラン!イラン! イラン!」より、「アリ! アリ! アリ!」の方がピンとくるだろうと。

小泉 あのシーン…そうなんですか(笑)。

母袋 深読みするんですよ、私(笑)。

小泉 その「アリ」っていうのは、英語版での名前なんですか?

母袋 英語版での名前です。エトガルは作品を、イスラエル人の読者や聴衆を念頭において書いているから、効率よく意味が通じる地名や人名を選んでいるわけですよね。あるいは固有名詞や書名はフィクション世界が広がる象徴的なものを選び出して書いている。だけど、日本人にはのっぺらぼうな地名だと言われれば、ほんとうにその通りだと言うんですよね。だから、ティラがヘブロンに変わったように、ちょっと註釈みたいなものを入れてくれないか、ただし、地の文で、と。

小泉 地の文に入れちゃうんですか?

母袋 入れちゃう。注は避けてほしいっていうのが、彼の一番の意向で。注が入るとなめらかな読みが妨げられるからいやだって言うんです。ところで、カッコ括りであっても本文と同じ級数で入っているのは注じゃないんです。作家のテクニックのひとつです。

小泉 どこですか?

母袋 たとえば、「カプセルトイ」。

小泉 ここのカッコ書きのところですか?

母袋 そうです。「(自爆テロ犯に報復することは事実上不可能で)」っていうところはエトガル本人の文章です。で、それでも注を入れないと日本人にはわからないものもあるのよねって言ったら、そういう場合は最低限にしてなめらかな読みを妨げない程度の短い注にしてほしいと。できるだけ地の文に溶け込ませてくれと。

小泉 けっこう高度な要求ですね(笑)。

母袋 そう。すごくはっきりしているのが、たとえばね、なんだったかな、「青い大きなバス」。166ページのところに「クレンボ!」って出てきますね。

小泉 「クレンボ、クレンボ、クレンボ!」

母袋 そう。これは原文ではクレンボだけ。でもクレンボじゃわからない。通常ならカッコで注を入れるんですけど、「メレンゲクリームをチョコでくるんだ」という風に地の文に入れる。英語ではここはチョコレートバーです。

小泉 おお、だいぶ違いますね。じゃあ、さっき、線を引いていた、ネイサンによる補足も、日本語では削っちゃう場合もあると。

母袋 原文に忠実に、です。

小泉 でも、ここは、英語から訳していたらチョコバーになっちゃっていたということですよね。

母袋 あと、私が地の文に溶け込ませながら補足したところは、「鼻水」の91ページの最後の方。「息子は中国人が『お大事に』を『タルギッシュ・トヴ』と単数形でいわないで、『タルギッシュー・トヴ』なんて複数形でいうのは変だと思う。だって、病人は自分だけなんだから」。これも、「なんて複数形でいうのは」っていう部分は私の付け足しです。「タルギッシュ」と「タルギッシュー」の違いは、ヘブライ語を知っている人にはすぐわかる。けれど、日本の読者にわかってもらうべく、地の文に溶け込ませる。私この作品好きなんですよね。

小泉 これいいですよね。

母袋 哀感があって。450シェケルって、だいたい1万2000円なんですよ。高いでしょ?

小泉 高い。

母袋 なのに、通わなきゃいけないのよ。1週間も。

小泉 しかも漢方でっていうのが(笑)

母袋 彼自身がね、漢方にかかっていたんですって(笑)。

小泉 お、まさかのBased on true event だったんですね(笑)。

母袋 そう。鍼やってて。で、どうだった? って聞いたら、なんかね、ケンカして止めちゃったんだって(笑)。

小泉 『あの素晴らしき七年』を読んでると、けっこう怒りっぽいような気も……(笑)。

母袋 それとね、「サプライズ・パーティ」の英語版ではブロックで入れ替えているんですね。どういう具合かっていうと。217ページの「カードには一言だけあった。ごめん」から、219ページの「『すまない』口髭がいう」に続けちゃってるんですね。

小泉 へえ。

母袋 つまり、「ごめん」もSorry、「すまない」もSorryだから、Sorryつなぎにしようと思ったんでしょう。たぶんね。それでつなげちゃった。英訳は。

小泉 つなげちゃっているっていうのは?

母袋 つまりここの「一本眉」のくだりを後にまわした。

小泉 ああ、ここのブロックが順序が逆になっているっていうこと?

母袋 逆になっている。両方ともSorryだから、くっつけたのねってわかったけど、私はたまたま、英訳に頓着しないで原文を訳していて、「申し訳ない」よりも、この男の感じだと「ごめん」だな、と思ったから、カードには「ごめん」で、一方、口髭は支店長ですからね、「ごめん」なんて言わないだろうということで「すまない」とした。ここも原文通りにしました。でも、行変えなどは英訳を参考にさせてもらいました。

小泉 そうなんですか。

聖書と朗誦文化

母袋 ほら、原文は改行がほとんどないでしょう。

小泉 はい。全然読めませんけど、改行してないことはなんとなく察します。

写真 1970-02-11 12 04 54母袋 これね、エトガルは作品を書いたらそれを朗読するのね。

小泉 それはヘブライ語で?

母袋 ええ。で、朗読して、それで読者がウケるかウケないかという反応を見る。

小泉 やはりウケるウケないが大事なんですね。

母袋 その時の朗読は途切れちゃいけない。

小泉 ああ、早稲田のときは、途切れていたから。

母袋 リズムで持っていかなきゃならない。……っていう風にイスラエル人は思っている。

小泉 落語家か!

母袋 そうね。一番顕著に現れているのがこれ。

小泉 表題作、『突然ノックの音が』ですね。

母袋 リズムがあって、その中にスラングがあって、外来語や借用語が入っててっていう中で、高尚な作家ではなくてその辺の作家が立ち往生しちゃっている状況をこの作品は示したいわけですよね。

小泉 そうですよね。書かなきゃいけない、なんか話をひねり出さなきゃいけない。

母袋 でも無から何も生まれないんだっていう葛藤がある。

小泉 「突然ノックの音が、は、ナシだ」とか言われて(笑)。

母袋 そうそう(笑)。そのリズムを続けていきたいから極力行替えしない。だけど日本語の場合ね、行替えしないと、どうしてもストーリーのつながりが悪い作品もあって。

小泉 場面が転換したのがわからなくなりそうですよね。

母袋 それの、いい例が、どれだったかな。ほら、偽装結婚した話があるでしょ。

小泉 「セミョン」ですね。

母袋 そうそう。28ページ。兵士と女性士官とオリットの立場と人物像をはっきりさせるために英語版に準拠して行を替えた。その方がストーリーが浮かんでくるから。

小泉 これは、ヘブライ語版だと、この、この行が、こことくっついているってことですか?

母袋 ほら。

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小泉 ほんとだ…って、全然わかんないけどくっついている感じは伝わってきます。すごいですね、これ。こういうのがずっと続いちゃっている感じですか?

母袋 そうそうそう。立て板に水っていう感じで。

小泉 落語ですね。

母袋 全部続けていく。切らない。彼の朗読ってリズムをつけて続けっぱなしでいきますよね。リズムがあって、聴衆はそのリズムにも感じるところがあるわけです。ヘブライ語って朗読文化の言語なんです。そもそもが聖書ですね。日本はキリスト教的解釈で聖書を旧約と新約に分けるけれど、ユダヤ人にとっては聖書とは、我々がいうところの旧約聖書。その聖書の最初の五書を「モーセ五書」といい、1年かけて朗誦する。小学校から聖書を習うし、「箴言」や詩を暗誦する。朗読会が盛んだし口承文化が残っている。

小泉 なるほど。

母袋 もうひとつ、イスラエルの義務教育は高校までで、大学入学資格試験というか卒業試験を受けないといけない。フランスのバカロレアみたいなものです。で、高校の授業では「聖書」「国語」「文学」が別々にある。「国語」は学校によってアラビア語の場合もありますね。それで、「文学」では推奨本のリストがある。古典から現代文学まで、翻訳ものも入っているし、戯曲も詩も短篇も入ってる。その中からクラスで先生と生徒が相談して、今年はこれとこれを読もうと決める。そして、読んで自由討議するんです。それぞれがほかより優れた意見をいおうと勉強するから、深い読みができるわけです。この討議の仕方が、タルムードの学習に通じるものがあるんです。

小泉 タルムード?

母袋 タルムードは大雑把にいって聖書の解釈の集大成なのね。モーセがシナイ山で神から授かったといわれている「モーセ五書」を筆頭に、聖書には、歴史書や預言書、詩篇や雅歌などがあるけれど、基本はこの五書です。このへん、わたしは詳しくないんです、ほんとのところ。ともかく、五書を丁寧に読み込み、議論して解釈を深めていったわけですね。学者たちはさまざまに解釈して議論した。そして、議論では質問を重視した。多角的な読み解きをすれば、思考も柔軟になる。この、結論を出さずに討論して解釈を深めるという学習法を「文学」の授業でもやっているのね。たとえば、ケレットの、「アリ」について批評をするとしますね。あり得ないけど(笑)。「アリ」について討論し、いや、それは違うだろう、ここの言葉はこういう意味で使っているんじゃないのか? っていう風に「アリ」をこっちから、あっちから、見る。高校の授業でそういうことをやっている。家庭でも親のいうことを聞いてればいいのよなんてことはない。意見を言い合って育っていくんですね。

小泉 なるほど。エトガルを見ていると、つくづく小噺体質なんだなと思っていたんですよ、ずっと。

母袋 引き出せば、ポロポロ出てきますからね。

小泉 なんか、物事のとらえ方が全部小噺単位で、同じ話をいろいろなところでしていて、エッセイにもしているじゃないですか。それで、だんだん磨かれていったり、ちょっと話変わったりするのかなとか思って。

母袋 そう思います。ブラッシュアップしていくものね。スウェーデンに行った話、インドネシアに行った話、日本に来た話、質問に応じて、あ、これを出そうかなってやってるんだと思う。感心したのは、新刊記念で来日した折のインタビューがいろいろな新聞に載ったんですけど、それぞれの記者さんに、それぞれに違う話をしたらしく、みんな違ったケレット像を書いているんですよね。

小泉 それぞれに違う小噺を……

母袋 それぞれに対して、誠実に、丁寧に答えている。

タルムディック!

小泉 ヘブライ語について、もう少しお聞きできればと思います。

母袋 ええっと、まずヘブライ語はセム語族です。セム語には古代バビロニア語、ハンムラビ法典の言語ですよね。それにアラビア語、これはコーランの言語ですね。ほかにフェニキア語、これはアルファベットの元になっている言語。ヘブライ語は、このセム語族の言語で、22文字の子音で成りたっていて、右から書く。紀元前11世紀頃に起源を求めることができて、聖書時代には3万語くらい使われていたそうです。聖書には約8千語が使われていたといわれている。8千語であれだけ膨大な量と内容を書くということは、それぞれの語の含意が多くて、コノテーションが広いということになりますよね。その後、その聖書の解釈について、何世紀も議論を重ねてきた。解釈も時代に合わせて少しずつ動いていく。それを口伝、つまり口承でやってきた。ところが戦争があると教え自体が途絶えるおそれが出てきた。それでまず解釈をまとめたミシュナーが3世紀に、それをまた深めて、6世紀にタルムードにまとめられたんです。タルムードには聖書の法規の説明をしている説話があって、この説話は、あなたもこないだお読みくださったっていう。それも入っているのね。

小泉 『お静かに、父が昼寝しております』ですね。

小泉 これ、不思議だなあと思って読んでいたんです。そういう背景があっての説話集だったんですね。それで、エトガルも小噺だし、小噺民族なのか? !と。

母袋 そう。そういう要素がエトガルの作品にはありますね。多面的に物事をとらえているでしょ? だから私は、そういう風に、この間読み返して、あ、やっぱりタルムディックだなって。

小泉 タルムディック。

母袋 そう、ユダヤ人的だな、と。ユダヤ人の発想には生き延びていくためには、こうでなければいけない、っていうものがない。とても柔軟に、この場合はどうすればいいんだろう、えー、どうする? みたいな。フレキシブルに考えていくようですね。しかも困ったときほど、ユーモアや風刺を駆使する。

小泉 あの、ネイサン・イングランダーの短編に『曲芸師』っていうのがあって。あれもそういえば、とてもユダヤ的な人たちが出てきて、ユダヤ的にありえない苦境に信じられないくらいのユーモアをもって対応する話でした。あれもある意味、タルムディックかもしれない。

母袋 ケレットの場合は、一人で呻吟して、そして、自分の言いたいことはこれだって書いてみる。人にはしゃべらない。そして、それを、うーん、どうも饒舌だなと思って縮める。っていう風に推敲に推敲を重ねて、彫琢して、掌編にしちゃう。わかってもらえるだろうって期待を込めて書き上げて、出版社に送るか、朗読するか。

小泉 ああ、そうすると、縮めているときは、読んだときのことを考えている。縮めてから読んでみる、そしてまた直す、みたいな繰り返しをしている。

母袋 相手にわかる作品じゃなきゃいけないわけですよ。エトガルは、『The Seven Good Years』の中でも、すごく身近な話であっても、削りに削っているという雰囲気があるんですよね。あの本はヘブライ語で書くけれど、ヘブライ語版では出さないとエトガルは決めていた。なぜなら、家族の目に触れるから。家族のことを書いているから、傷つけてしまう。創作を書く分には構わないですよ。だけど自分の普通の生活のエッセイで書く場合は、傷つく人がいるだろうし、何よりもお母さんの目に触れさせたくないっていうのがあったという。

小泉 なるほど、『The Seven Good Years』はヘブライ語で書かれていて、ヘブライ語の原稿は存在するんだけど、それは出版されておらず、英語版だけが出版されているということですね。

母袋 とりあえずは英語版にする過程で、いっぱい推敲して削ってるんだと思います。決定稿が出るまで、けっこう時間もかかったみたいですね。自分の現実の生活に関してのエッセイであっても推敲し、削って、出版する。

小泉 呻吟して、「あ、ここちょっと長いな、ダレるかも」とかやっているわけですよね。おもしろいですね。

母袋 だから、この『あの素晴らしき七年』自体が、読んでいるとすごく客観的ですよね。すごく主観的なことを書いているにもかかわらず、客観的に物事を眺めているなって。

小泉 俯瞰してみている。

母袋 最初にのめり込んで書いたものから、今度は、客観的に読んでいって、ここは削ろう、ここは付け足してっていうようなことをたくさんする。創作は自己との対峙である、とケレットは言っているんですよね。コミックスとかそういうものは仲間内でふざけあう感じで、映画の製作はパーティにでかけるようなものだと。映画の製作は自分ひとりの意思で決定できないわけですよね。お金の問題や、いろいろな制約の中でものを作り上げなければならない。そういう具合に、工夫しながら、絵本だったら絵本で、自分の伝えたいことは十分に伝えたから絵描きさんからどういう具合にあがってくるかわからないけど、任せよう、任せた上で、やっぱりこれちがうっていう勇気も。

小泉 任せ方、関係性が独特だなと。それが、空気を読むっていうか、あの、早稲田のときもそうでしたね。

母袋 そう、そうなのね。それで、新潮社の佐々木さんが、気づかいの人ですねって。ほんとうにびっくりしてらした。

イスラエル作家としてのエトガル・ケレット

小泉 こうやって聞いていると、イスラエルならではのバックボーンがあって、このようなアウトプットになるんだという思いがある一方で、他の作家、たとえばアモス・オズとか、デイヴィッド・グロスマンなどと比べて、読者として、文章が新しい感じがするみたいなのってありますか?

母袋 やっぱり今のイスラエル文学の先頭を切っている人で、20年くらい前には若手、新人、なんて言われていたけど、今はもう50歳ですからね。若手では決してなくて、それなりに責任も生じてきて、責任が生じた部分で、政治的な発言もしているんだけど、文学に限って言えば、もうジャンルが全然別です。アモス・オズやデイヴィッド・グロスマンとは、全然違う。掌編ですしね、超短編の作家。中身も、グロスマンやオズの扱っているものとは違うし、他の作家とも違う。どちらかというと、彼等はユダヤ人の歴史、あるいは、イスラエル人の歴史、自分たちが抱えている問題に取り組んでいる。たとえば、オズは『愛と暗闇の日々』という自伝を書いているわけですね。その自伝は映画化されて、誰だっけ、有名なハリウッド女優が監督しているの。

小泉 あ、ナタリー・ポートマンの、『A Tale of Love and Darkness』

母袋 で、なにゆえに作家になったかということにも触れている。書いている。グロスマンはホロコーストを経験していないけれど、第2世代の年齢として、ホロコーストの問題を掘りさげて書いています。彼の場合は、2006年の対ヒズボラ戦のとき、アモス・オズとA.B.イェホシュアと3人で停戦合意を呼びかける記者会見をした。その2日後に次男が戦死した。なんか、和平活動をしている人だから、その息子は大丈夫だ、と思っていたフシが我々にはあるのね。でも、そんなことはない。そんなことなくて、兵役には戦死と戦傷の危険がある。そういう危険にさらされている状態でケレットも書いている。イスラエルの存続には兵役がなくてはならない。ジレンマです。兵役反対だけど、国の存続には必要。イスラエルのどの家庭もが抱えている問題なんですよね。それをグロスマンは小説に書いた。母親が息子の戦死通知を予感しておびえて、通知が届かないところに逃げてイスラエル国内を旅する、『女は報せから逃げる』という作品です。そこには、兵役の問題やイスラエル人とアラブ人の問題だとか、イスラエルが抱える問題が盛り込まれてます。それでね、グロスマンもケレットも日常語を駆使するけれど、グロスマンはグロスマンらしい造語をするんですよね。それがまた若い人たちにウケる。積極的に和平活動やデモに参加して、何か起きたらペンを捨ててスクラムを組むっていう人だから。他にもすぐれた作家がいっぱいいるんですよ。日本語になかなか訳されないから、なかなかわかってもらえない。

小泉 もっと出てほしいですよね。

母袋 いま、ヘブライ語翻訳のネックは政治。

小泉 あー。

母袋 トランプ政権になって、イスラエルに歩み寄っていろんなことを言うと、「あー、やめてやめて」ってなる。何かことが起きるとイスラエルは叩かれる。そうすると、開いていた出版社の門も閉じてしまう。私がイスラエルから帰ったときは、石油ショックだったんです。作品を持ち込んでも、見向きもされなくて。私が、日本の読者ターゲットを考えて作品を選んでいなかったことも一因かもしれないし、でも、はっきりと、アラブと戦争をしているイスラエルの本は出さないっていう、老舗の出版社もあるんです。戦争が終わらない限り、イスラエルの本は出しません、と。

小泉 今、ひとり出版社を始められている方もいらっしゃるし、プリントオンデマンドという方法もあるし、どうにかして、出したいですよねえ。

母袋 ねえ。エトガル・ケレットだけじゃなくて、もっといっぱい作家がいるのよ!(笑)。ケレットに集中しないで!(笑)。

小泉 いやあ、なんかもう、エトガルが大好きになってしまって。

母袋 それは本当に、すごくうれしいことですね。

小泉 エトガルってFacebookでの情報発信もたくさんしていて。フォローしていると、いろいろなエトガルの最新ニュースが日々のタイムラインに流れてくるわけです(笑)。そうすると私の世界はみんなエトガル知ってるよね? みたいな錯覚に陥るんですけど、それはあくまで私とその周囲の数人の世界で(笑)。

母袋 それはそうと「カプセルトイ」は英語版にはないの。エトガル本人が気づかなかった。なんで「カプセルトイ」は英語版にないの? って訊いたら、え、そんことないよ?! って(笑)。でも、ないのよ、英語版は37点で、ヘブライ語版は38点でしょっていったら、あ、ほんとだ、って。

小泉 いっぱいあるから1個くらい抜けていても気づかない……。

母袋 でも「カプセルトイ」ってすごく評判がいい。イスラエル国内でも評判がいいし、日本語版でも「カプセルトイ」を取り上げる人がけっこういた。

小泉 これね、これ素晴らしいです。

母袋 テロと、癌と、両方とも癌ですよね、言ってみれば。

小泉 この短さでね。それもすごく削いで、削いで、削いだんだろうなと。

母袋 それで公の人たちが「復讐します」みたいなことを言うのに対して、「だけど…」っていう気持ちもわかるし、検視医の心情、どっちにしても同じことなんだって言うその気持ちもわかるというか、よく書けてる作品だなと思うんですよ。これは残念ながら英語版では抜けちゃった。

小泉 エトガルは、イスラエル本国ではもうベテラン作家として不動の地位を?

母袋 今はね。その評判がちょっと落ちたのは、『The Seven Good Years』が英語版だけで出た時。ヘブライ語版で出ないっていうのは、イスラエルの悪口を言っているからじゃない? みたいなとらえ方をする。私のイスラエルの友人がそういうことを言ったんですよ、スカイプで。

小泉 スカイプ通話で。

母袋 それで、「へ? 」と思って。違うよ、言ってみればエトガルって、今のところ、イスラエルを知ることのできる、いい意味での左派のレプリゼンタティブになっている。代弁者になっている。イスラエルの問題点を伝えてくれている。オズやグロスマンの言わんとしていたところを、新たに引き継いで、世界に向かって発信している。それは、エトガル自身が海外に行って、朗読会だの、フェスだのに出かけて行って浴びせられる罵倒だとか嘲笑だとか質問だとかに誠実に答えようとしていく中から生まれてきた話であって、イスラエルを非難するような中身では全然ないよって言ったら、ふーん、っていう感じだったのね。そういうやり取りをした直後に、世界のユダヤ人に貢献した人に与えられるブロンフマン賞っていうのがあって、それをエトガルがもらっているんですよ。賞金もいいの。1万ドルとか。で、それで、世代が認めてくれるんだと友人も納得してくれた。

現代ヘブライ語のおもしろさ

小泉 こうしてお話を訊いていると、本当に現代ヘブライ語というのはユニークですね。

母袋 現代ヘブライ語は、19世紀の終わりごろにベン・イェフダが、民族の存立のためには固有の言語が不可欠であるという考えを、仲間や家族の協力を得て実証した言語です。それまでどちらかというと書き言葉中心だったヘブライ語を、日常語として、子どもたちが学校で使える言葉にした。各地に離散したユダヤ人たちは通常はそれぞれの土地の言葉をしゃべっていたので、当時のオスマン帝国下のエルサレムは多言語の坩堝だった。そのなかで、ベン・イェフダは聖書や文献を渉猟して、日々の暮らしに合う言葉をつくっていった。

小泉 新しい言葉をつくって子どもたちに使わせる…すごい試みですね。

母袋 「汽車」なんて聖書の時代にはなかったし、「黒板」も「鉛筆」もなかった。ベン・イェフダはそういう言葉を、歴史的な典拠を明らかにしつつ、つくりだしていったんですね。

小泉 ベン・イェフダ亡きあとは、誰がつくっているんですか?

母袋 ベン・イェフダの遺志を継いだヘブライ言語アカデミーというのがあって、そこで討議して決めるんです。それで、こういう言葉ができましたって公示をする。たいがいは、借用語を使っていたから、しばらくせめぎ合いがある。で、そのうち、「アカデミー発の新語、いいんじゃない」となって定着する。

小泉 おもしろい! すごくおもしろいです。それは今でもずっと行われているんですか。

母袋 そうです。そうだ、ここにその例を入れてましたね。あ、これ、『ユダヤ・イスラエル研究』という研究誌ですけど、エトガルについてはね、私ちょっと遠慮して1回しか出さなかった。

小泉 なぜですか!(笑)、なんですかその、エトガルは出せないわ、みたいなアトモスフィアは!

母袋 いやあ(笑)、エトガルのことなんてあんまり知らないかもしれなーいなんて思ってポピュラーな人だけを並べたの。

小泉 私の中では、ネイサンも超える勢いで。ネイサン、素敵ですけど、洗練されているじゃないですか。ネイサンと比べるのもおかしな話ですが、エトガルって、土臭い感じが。

母袋 泥臭いわよね。それがいわゆる、ディアスポラのユダヤ人の雰囲気ね。それでエトガルの風貌自体もイスラエル的じゃないですか。

小泉 おお、そうなんですか。ハンサムに見えるときと泥臭いときがありますよね(笑)

母袋 そう。彼の見た目はすごくイスラエル的。で、その研究誌でこうまとめてみました。

ヘブライ語アカデミーは現代ヘブライ語の語彙拡充をめざして、つぎつぎに新語を発表している。「コンピュータ」を表す「マフシェブ」は「考える」の語根に由来するアカデミー発の名詞である。「画面」は英語からの借用で長いこと「モニター」だったが、現在は「展示する」の語根からの「ツァグ」に、「SMS」もしばらく英語を翻字していたが、「伝達する」の語根からの派生語「マサロン」が定着した。一方、「メール」については、アカデミーは「電子郵便」の意味の「ドアル・エレクトロニ」を推奨しているが、現時点では一部の使用にとどまって、「メール」が一般的である。非常時態勢が日常化しているので、家庭でも移動時でもラジオを聞く。人々は必然的に、国営ラジオ局コール・イスラエルの「ヘブライ語のひととき」を耳にする。新語の是非を問いつつも、その言葉が耳に届く頻度が高くなれば浸透度も高くなるのは道理である。こうしたヘブライ語の拡充と純粋性の保護には、多言語国家ならではの側面もうかがえる。コンピュータ用語を英語のカタカナ翻字で間に合わせている日本とは事情がちがう。

小泉 なるほど。

母袋 以前、イスラエルに行ったときに高名な、ヘブライ文学を英訳している翻訳者のヒレル・ハルキンに、「ねえ、日本語ってコンピューター関係の言葉は英語からの借用なんだって? 」って聞かれて、私、なんの迷いもなく、「そうです」って言ったの。私はカタカナで示すからいいじゃないって思っていたけど、イスラエルの人たちは全部、言葉一つひとつの意味を見極めて使おうとしているんだって、あとで気がついた。日本語のようにカタカナ、ひらがな、漢字があるというのとはちょっと事情が違うんですよね。

小泉 でも、昔は日本も野球の言葉とかね、正岡子規とかが作ってたじゃないですか。でもサッカーはもう、蹴球とか言わないじゃないですか。オフサイドとか、よくわかんないですけど、そのままになっているので、だんだん日本人はやる気をなくしていますよね(笑)。

最近のエトガルのことなど

母袋 エトガルの新作はご存じでした?

小泉 あ、『すばる』に載ってた「ヒエトカゲ」ですよね。これは秋元さん訳ということは英語から?

母袋 そう。でね、あの、ケレットって去年の秋に、エージェントを変えたんです。アンドリュー・ワイリー・エージェンシーに。アンドリュー・ワイリー・エージェンシーってネットで検索したら悪名高いんだって? (笑)

小泉 どういう方向に悪名が高いんですか?

母袋 出版社に対して、要求度が高い、その代わり、著者側に立つっていうんだけど、アンドリュー・ワイリー自身がUKのエージェントだから、おもしろい作品があったらすぐよこせ、英語に訳せばネットに乗っけるからっていうんじゃないかって勘繰りたくなる。これはバズフィードに載っているものなんだって。

etgar_buzzfeed

小泉 バズフィードに載っているんだ。エトガルらしい。これはヘブライ語バージョンはまだ公開されていないですか?

母袋 草稿はあるんでしょうけど。ヘブライ語で1冊にまとまる前に英訳でネットに載っちゃうと、イスラエルの人たちが置いてけぼりになるじゃんっていうような、ヘブライ語の読者との乖離が進んじゃうじゃないかという不安を、私はおぼえるけれども。

小泉 ええ、ええ、わかります。

母袋 でも、これはトランプ政権成立前に出たもので、とてもタイムリーな内容ですね。

小泉 最先端ですね。

(終わり)

山形浩生さんと、『ヴァリス』3部作について語る。

山形浩生さんと、『ヴァリス』3部作について語る。

ヴァリス3部作新訳までの経緯

小泉 今回は山形さんにヴァリス3部作について、お話を訊けたらと思っています。私は昔、挫折したんですよ、『ヴァリス』。

山形 ですよね。

小泉 『聖なる侵入』はうへぇ、とか言いながらもなんとか読んだ。『ティモシー・アーチャーの転生』は割と好きだったような記憶があります。でもこの3作、3部作と呼ばれているのは知っていたんですが、あまりこの3作のつながりを意識していなかったんですけど、今回、あらためて3作通して読んでみました。山形さんの新訳ということで、3作とも最初にあとがきから読んで。あとがきから読んだらすごくちゃんと読めてびっくりしました。

山形 ありがとうございます。

小泉 ディックの新装版、つまり装幀が新しくなっていろいろ出ているじゃないですか。よく見ると新装なだけで新訳じゃないものもけっこうあるんですよね。この3部作が新訳になっているっていうのはどういう経緯だったんでしょうか?

山形 いろいろ、諸説聞いたんですけれども、しばらく前は、やっぱりディックは全部、浅倉久志訳にしましょうね、みたいな感じの話があったと聞いています。結構訳されているし…ということらしいんですけど、『暗闇のスキャナー』がハヤカワに入ったときに山形訳から浅倉訳になったのは、そのせいだったという説がある。あとは、大森望さんが、自分が好きな作品を自分で訳したいみたいな陰謀を進めていて、バリントン J ベイリーとか、マイケル・コーニィとか全部自分で訳し直しましたけど、その一環で、自分だけやってるとあまりに露骨過ぎるから、他の人にも新訳やらせようみたいな陰謀があるらしいというのも聞いていますし、まあ、何が正しいのか、よくわからない。ただ、『ヴァリス』に関して言うならば、昔から元の翻訳が読んでよくわからなかったっていうのと、あと旧訳にある後ろの解説が間違ってんじゃんっていうのがあって、それで訳し直して、ちょっと原書と比べてみると、本文の訳も全部間違ってんじゃんお前って。口語表現知らないだろう、とか。たとえば、at the eleventh hourっていう、これは英語の口語表現で、「ぎりぎりになってやってきた」っていう慣用句なのに、「11時にやってきた」って訳していて最後の解説のところでは、「夜の11時にはいかに形而上学的な意味があるか」とか書いてあって、いや全然違うからお前っていう。そういう、どうでもいいところを深読みしてわけわかんなくしているし、肝心なところ間違えているし。それを僕が勝手に訳したバージョンを途中まで訳してWebに上げといたら、そしたらあれを続けろという話が来まして。

小泉 PDFで配布されていましたよね。じゃあ、これは出版が決まる前から訳をされていたんですね。

山形 そうです。で、ひとつやったら、あとも続けてやれやっていう。

小泉 やっぱりこの3部作で一番違和感があったのは、『ヴァリス』ですか?

山形 今にして思えば、一番違和感があったのは、『ティモシー・アーチャーの転生』。ただ昔は、『ヴァリス』があまりにこれだったもので、あと、『聖なる侵入』も基本的には好きじゃないっていうか、面白くなかったんだよね。なんで最後ハッピーエンドで終わるんだよこれでっていうのがあったので、ティモシー・アーチャーもそういう、ティモシー・アーチャーさんが勝手に転生して御託を垂れるような小説だと思っていたので、いいよ読まなくてって思って読んでなかったんですよね。

小泉 読んでなかったんですか!

山形 それが、読んでみたらこれが一番まともな、ちゃんとした小説だっていう。

小泉 確かに。

『ヴァリス』の与太話感

小泉 『ヴァリス』については、一番の発見は、最初にあとがきから読んで、「あ、そうなんだ」って思ったんですけど、この、ホースラバーファットっていう自分の分身みたいな主人公のことをフィル自身が書いているっていう、その設定に気づいてなかった。昔は。そういう基本的なことをわかっていなくて、たぶん出だしでつまずいたと思うんです。今回、あとがきである程度前知識を仕込んで、「ホースラバーファットはフィルが作り上げたんだな」って前提で読んでいたら、『暗闇のスキャナー』―これは浅倉訳『スキャナー・ダークリー』が新訳として出ていますが、今回は山形さんのインタビューなので『暗闇のスキャナー』で通します―とそっくりな世界観なんですよね。

山形 そうですね。

小泉 『ヴァリス』は『暗闇のスキャナー』のあとなんですか?

山形 原作はそうです、『ヴァリス』は『暗闇のスキャナー』のあとです。

小泉 じゃあもう山形さんは訳をしていたりしていて、その中でこの『ヴァリス』の旧訳が出て、「え、なにこれー」ってなった感じですか?

山形 それもありました。

小泉 そもそも、なんでこんな装幀になっちゃったんですかね?

山形 それは大滝さんが、この絵を見て非常に気に入って、これを使えという話にしたと。このあとがきによると、これじゃなくて、『聖なる侵入』の表紙に使ったやつが気に入って、他のも使えみたいな。一方で『ヴァリス』の表紙を見た人は、なんか芸術っぽいけどエロいわー、乳首が出てるわー、とか(笑)、そういうので喜んで買って読んでいたんですよね。

小泉 これ、買った人はみんな読めていたんですかね?

山形 読めてはいないけど、なんか小難しい話をするのはいいみたいな雰囲気はあったですよ。

小泉 私は『暗闇のスキャナー』は、ディックの中でも一二を争うくらい好きなんですけど、当時、山形訳の『暗闇のスキャナー』と大滝訳の『ヴァリス』ってとても同じディックの作品とは思えないくらいに乖離があって。たとえば、『暗闇のスキャナー』はすごく悲しい話なんですが、ジャンキーたちの与太話、自転車のギアがどうとか、みんなラリっていてああいうバカな話をするっていうユーモラスな感じがあったじゃないですか。今回新訳で『ヴァリス』を読んだら、あれに通じる与太話っぽさを感じて、おお!となったのですが、旧訳の『ヴァリス』にはそういった雰囲気はまったくなくて。

山形 ないですよねえ。完全に真面目に神学論争してると思っているから。

小泉 ええ、そう思っていました。『ヴァリス』は真面目に神学論争しているような小説なんだ、と。ところが、そうではなかった。ここで新訳にするときに気を使ったこととかはあるんですか?

山形 そうですね。まず、与太話感をちゃんと出さないきゃいけない。学者の討論ではないので、薬物中毒で頭のイカれたジャンキーのヒッピー崩れの人たちが、妄想に捕らわれているので、そこはちゃんと出そうよ、と。その過程でいろんな陰謀論も勉強しちゃって、なんかそれっぽいこと言うけども、明らかに変な方向に行っている。それが実は意味があるんだと思いたいのは勝手だけれども、やっぱり翻訳では、そのラリッてる感じを捨ててはいけないでしょうという風には思って、まずそれをやると。あとは、一応、翻訳ってみんなそうですけれども、ふつうに、間違えずに訳そうぜっていう。理屈の通らないような訳はやめようっていう、まあ、さっきの11時とかもそうですし、普通に訳すべき。旧訳では、ホースラバーファット君は精神病院へ行って、ショーペンハウエルを読んでる、神の存在を認識して、みたいなことを言ってしまうことになっているんだけども、原書を読むと、そういうことを言うとヤバいからそれは言わないようにしたって書いている。

小泉 真逆ですね。

山形 ラリっている感じは出したいんだけれども、実際以上の気狂いにするのもまたよくないでしょうと。

小泉 モーリスのところですか?

山形 モーリスのところは比較的いいんだけれども、そのあとのところで、もう一人お医者さんが出てきて、そのお医者さんはとりあえずこいつは妄想しているのは自分はわかっているんだけども、それはお前妄想だダメだと言うと本人の自信がなくなると。自信を回復させてあげなきゃいけないってことで、ああ、君はよく勉強しているね、あーなるほどねなるほどね、と。昔、看護婦の知り合いに聞いたことがあるんですが、そういう頭のおかしいときとかお年寄りと話すときは否定しちゃダメで、神様が話しかけてきた、とか誰某が僕の悪口を言っているって言ったら、あー誰某が悪口言っているのねって、なんかこう一応肯定してあげるのが大事なんだそうです。それをちゃんとやっているお医者さんなんだけど、ホースラバーファット君は彼を完全には信用していない。なまじ頭がいいので、こいつに迂闊なことを言うと出してもらえなくなるっていうのはわかっている。だからなるべく抑えようとしているっていう、なんかそこらへんの計算もできる人なんだよっていうのはちゃんと表現してあげなきゃいけないし、そういうのは出さなきゃいけないっていうか、基本的には原文通り訳せっていう話なんですけど。僕はすごく翻訳に色をつける人間だと思われているけど、そんなことはなくて、原作通りやるとそうなるっていう、それを実践したつもりではあるんです。

あとがきから読む

小泉 たぶん、『ヴァリス』の原書も訳書も両方読んで比べたっていう人は日本でもそんなにたくさんいないと思うんですよね。だからもう意味わからん、これはそういう小説なんだみたいな。今回山形さんの新訳で、それでも読んでいるとだんだん辛くなってきて、でも、『暗闇のスキャナー』の登場人物とか思い浮かべたりしながらなんとか読み進められました。

山形 ですよね。

小泉 これ、ヴァリス3部作っていうと、ヴァリスからはじまったみたいな感じになってしまうけど、『暗闇のスキャナー』のほうが人気もあるし、読みやすいので、新訳を機にヴァリス3部作じゃなくて、暗闇のスキャナー4部作とかにしたほうが入りやすいんじゃないかと思いました。『暗闇のスキャナー』の延長として『ヴァリス』新訳を読む。

山形 かもしれない。うん。

小泉 このケヴィンっていうキャラクターも、『暗闇のスキャナー』のバリス―映画『スキャナー・ダークリー』でロバート・ダウニーJrが演じていた役―に通じるものがあって、もしかしたらモデルは同じかもしれないとか、とにかく『暗闇のスキャナー』との共通点が多いのに驚きました。『暗闇のスキャナー』では、覆面捜査官の「僕」が自分で自分を監視するじゃないですか。それと同じ構造なんですよね。

山形 そうそう。

小泉 そのことは当時、全然気づかなかったですよ……!この新訳は、これはもう絶対、あとがきから読んだほうがいいじゃないですか。

山形 そうですか。「山形はよけいなことをあとがきで書きすぎる」っていう話もあるので、そう言っていただけるとうれしいです(笑)。

小泉 『ヴァリス』新訳といっても、また挫折するんじゃないだろうかと不安に思っている読者も多いと思うんですよ。これは絶対あとがきから読むべきと思いました。フィルがホースラバーファットで……っていうのは、当時から読者の間ではちゃんと共通認識はあったんですか?

山形 それは、多くの人は、まあ、わかってたんじゃないですかね。

小泉 私、わかっていませんでした……。でも山形さんは、そのことをあとがきであらためてちゃんと書いていてくれているじゃないですか。あれでまず、最初のつまずきを防止できる。やはりあのあとがきは重要ですよね。

山形 ありがとうございます。

小泉 猫が、3作を通じてちょこちょこ出てきます。ケヴィンが猫のことをずっと気にしているじゃないですか。2歳の女の子のところに聞きに行ったときに、猫の話をしに戻るじゃないですか。2歳の、あの、あれは、神様が乗り移ったんですかね?

山形 …ということになっている。

小泉 …神様が乗り移った女の子に話を訊きに行って、みんなで質問をしに行く。そこでケヴィンは、俺の猫はなぜ死んだんだと聞く。

山形 女の子は、それは車の前に出てきた猫がバカだからだって言うんだよね。バカだから死ぬって。

小泉 それは死ぬべき猫だったと。ひどい答えなんだけど、ケヴィンはすごく猫が死んだことを気にかけていて、ディックの猫への思いを感じました。あと、このピンクの光っていうのはなんなんですかね。

山形 これは本当にあったそうですよ。ディックが実際にそういう体験をしたそうですよ。

小泉 ドラッグの影響でしょうか。

山形 それが何だったのかというのは、余人にはわからないことですけど、そういう体験はあったらしい。

映像化されるディック作品

小泉 ディックの作品は映像化されているものがすごく多いので、ヴァリスも映画化かドラマ化できるんじゃないかな、と思ったりしました。

山形 誰かがしようとしているという話は時々出てきますね。

小泉 ディックってなんでこんなに映像化されているんでしょうか。

山形 まあ、やりやすいからね。

小泉 『マイノリティ・レポート』なんて、今、今日のプライバシーの議論なんかでふつうに引き合いに出されていて。

山形 あれ、ディックの小説のほうは大した小説ではないんだけれども(笑)。

小泉 そうですよね。『少数報告』っていう短編で。

山形 ただあの、ディックは、あまり深いことは考えない。特に短編は、最後に小道具がちょろっと出てきて、ハイ、実はこうでした~って、それで映画にはしやすいんじゃないですか。ペイチェックとか。なんだ~これは~って言っていると、実は使えました、陰謀がありました~!で、おしまい!(笑)

小泉 『ユービック』が好きなので、映画化の話を何年も楽しみにしていたんですが、ミッシェル・ゴンドリーが撮るって言ったまま頓挫したようで、あれはどーなったんだと。でも、ミッシェル・ゴンドリーがユービック? って思っちゃうんですけど。

山形 『ユービック』の脚本版はディック自身が脚本を書いて……。

小泉 『ユービック・スクリーンプレイ』ですね。なんか、当時、女優まで指定していたらしいですね(笑)。

山形 ははははは。原作者にそこまでの力はない(笑)。ミッシェル・ゴンドリーが撮ったらかなり違うものになることは期待したい。『ユービック』は変ですよね、明らかに。

小泉 『ティモシー・アーチャーの転生』も、映画化もしくはドラマ化すべきですよね。

山形 そうなんだけど、難しいですよね、ビジュアル的な見せ場があるかどうか……。

小泉 ポール・トーマス・アンダーソンあたりなら、なんとかしてくれるのではないでしょうか。

山形 んんんー、難しいですね。

小泉 『高い城の男』はドラマ化しましたね。

山形 しましたね。あれは、NYで彼らの広告キャンペーンが批判されてなんか尻つぼみになっちゃったのかな。まあ、ナチスがアメリカの占領してっていう設定なので、ナチス入り星条旗みたいなのをアメリカのあちこちに広告として貼ったらやっぱり当然批判が出て、まあ、そりゃそうだろうな、と。

小泉 『流れよ我が涙、と警官は言った』も映画化してもいい気がしますね。

山形 長編はみんなどう整理していいのかわからなくなっちゃいそうなので、短編のほうが楽かと(笑)。

小泉 なるほど。逆にびっくりしていたんですけど、『少数報告』があんなにちゃんとした映画になるなんて、と。そうか、長編のほうが難しいのか。

山形 原作が名作だといい映画になりにくい。むしろしょぼい2流の原作のほうが良い映画になる。

小泉 『アジャストメント』も映画化されてましたよね。

山形 あー、なんか逃げるやつですよね。

小泉 だいたいディック原作は、なんか逃げるやつですね。

山形 屋上に行ったら、いいよ君たちは好きにしたまえ、ってやつ。甘いよそれは!って(笑)。

小泉 『トータルリコール』もなんか逃げるやつで、数年前にリメイク版が映画化されましたね。

山形 あー、されましたねえ。

小泉 あれはつまらなかった…。

山形 つまんなかったねー。

小泉 ディックは映画化権とか安いんですか?

山形 娘か、元妻だったか、忘れたけど、財団があるのでそこが管理しているんですよ。それなりに売っているんじゃないですか?ただ、アニメ化してキャラクター商品で稼げるってわけではないので、意外とユービックとかはね、キャラクター商品できるかもしれないけど。

小泉 ユービックグッズはいけますよ!なんにでもユービックマーク入れればいいじゃないですか!

山形 えーとね、とはいえ、まだそこまでやりきれた人はいないですね。で、ちょっと、やっぱり、少しずつ人気も落ちてきてますから(笑)、早めにたくさん売っておこうというのは正しいやり方ですね。

小泉 シビアな見解ですね(笑)。私はスタバのマグにユービックスプレー缶のイラストをプリントアウトしたやつを入れてました。でもなんだかんだ言って人気あるんだなあと思うんですけど何でしょうか、人気の秘密は。

山形 わかんない。日本では昔からサンリオでも、なんでディック売れるの?よくわからないっていうのを、さんざん西村さんがおっしゃってて。だけどわかんないからとりあえず、前評判とか全然あてにならないから手あたり次第、出すかと。手当たり次第にとって手当たり次第に出そうっていう方針でやっていた。

小泉 手当たり次第出す、素敵な方針ですね。手当たり次第出した結果、いろんなディックの作品が全部揃って。私、ディックって『暗闇のスキャナー』や『ユービック』のほかに、あとはなんかもっと軽いやつ、『フロリクス8から来た友人』とか『いたずらの問題』とかそういうのが好きで。

山形 あれはいいですよねえ。ディックは昔からそこそこ人気があった。いい加減で安っぽいけどそれがいいんだみたいな話で。『ヴァリス』も日本では特に大滝訳が出たときに、すごい、一大神学体系があってなんかそれを理解しないとディックは語れないのであーる!みたいな。で、そういうのをありがたがる人たちもいるので、それはそれで人気が出た。

世界は誰かにコントロールされている、という感覚

小泉 新訳で『ヴァリス』の苦手意識がなくなりました。テーマはそんなに他の作品と変わらないんだなと。

山形 トニー・タナーの『言語の都市』っていう本があるんですが、それは、昔から、アメリカ文学の共通モチーフというのは、世界が何かにコントロールされている恐怖なんだよ~っていう論点で、それこそ、トマス・ピンチョンとか、ほかのいろいろな、ふつうの純文学作家でも、そういうのが必ずあると。ひとつのあらわれは陰謀論みたいなので、影の組織があってこの世を支配している!みたいな、トマス・ピンチョンとか、あるいはそれこそ、『ダ・ヴィンチ・コード』みたいな話でもいいんですけど、そういう話。

小泉 アメリカ映画やドラマでもそういうの、多いですね。

山形 で、もうひとつのあらわれは、宗教みたいな話。神様や悪魔がコントロールしているっていう、そういう考え方に走る人がいて。その意味では、ディックは昔からかなり、宗教がかったほうで、自分には知り得ないところで物事がコントロールされているっていう強迫観念を持っている。それは一方でアメリカがもっている自由、自分の責任だっていう考え方の背後にどうしても出てくる裏返しなんだっていうのがトニー・タナーの説で、僕はそれなりに説得力があると思っている。その意味ではディックってすごくアメリカ的な作家ではあるんですよね。ずっと宇宙人が操っている、宇宙人だったり神様だったり、それが同じものだったり、あるいはドラッグでもいいんですけど、なんかそういうものをずっと追っているという意味では、同じ強迫観念っていうのは昔からあって、それがその時の時点でどっちに向くか。『時は乱れて』のように政府の陰謀にするのか、神様のせいにするのか、それが結合した何か変なものになるのかっていう……。

小泉 『ヴァリス』でいうところのシマウマですね。

山形 その時々のディックの関心によって変わってくる、そんな感じだと思っています。

小泉 『ティモシー・アーチャーの転生』は、私はキリスト教のことはよくわからないんですけど、割とアメリカ人というのは、そういう神様のことを本当にああいう風にとらえているのかな、と。「神が限界を決める。人が何を信ずるか何を知るかは最終的には神に依存する。同意するかしないかについては自分の意志では決められない。それは神からの贈り物であり私たちの依存の一例なのだ。」というところなど、他の小説家、たとえばフラナリー・オコナーなどを読んでいても、それだけ読んでいるとわかりやすい宗教観、キリスト教っぽさはあまりないんですけど、アメリカ人ってわりとこういう考え方なのかなと。ティモシー・アーチャー主教だけが特別おかしいことを言っているわけではなくて、そういうもんなのかな、と。

山形 そういうものみたいですよ。なんか、すごく変な考え方している人ばっかりで。

小泉 ティモシー・アーチャー主教も実際にモデルがいたんですよね。

山形 なんだっけな、人が良いことをすれば天国に行って、悪いことをすれば地獄に行きますよっていうお話があると。それに対して、それって神様が事前に決めちゃってるんだよね? っていう話になって、じゃあ、俺が何しようが関係ないじゃん、それ神様が決めてんじゃんって話になってしまって、でもそれに対して、お前は神様が何を決めているか知らないわけだよね、だから、要するにひょっとしたらいい方にさだめられているかもしれないけど、悪い方にさだめられているかもしれないので、なるべくいい方を選んでいかないと、自分が、本当に悪い方に運命づけられてるんだっていうことをどんどん証明しまうことになるとか、なんかすげえわけのわかんないことを言い始める。だから自分が悪い方にさだめられている人でも、それを露わにしないために、良いことをしないといけないんじゃないか? みたいな話をずっとしていて、あー、わけわかんねえ!って(笑)。

小泉 わけわかんないですね。そう考えると、『ヴァリス』は、なんかディックが変なこと書きだしたみたいなところもありつつも、そこそこアメリカ人に根付いている価値観でもあると。これは、アメリカでは売れていたんですかね?

山形 そんなに売れてない。商業的にはそんなに成功したわけではない。話題にはなりましたけど。

 『聖なる侵入』を読み直す

小泉 『聖なる侵入』についても触れておきたいと思います。『ヴァリス』を読んだ後に、『聖なる侵入』を読むと、すごく読みやすいんですよ。

山形 それはそうですね。

小泉 『ヴァリス』が養成ギブス的効果を果たして、『聖なる侵入』が読みやすい!しかもこれはけっこうSFSFしてて。

山形 そうですね。ごく普通の。

小泉 でも、山形さんは、はあまりおもしろくなかったと先ほどおっしゃっていましたね。

山形 あー、うー。あんまり筋が通っていないというか、せっかく全能の子供を置いておきながら全然全能じゃないじゃん、君っていう。

小泉 また、猫が出てきます。猫は死ねばいいとか書いています。猫が嫌いなのではなくて、愛ゆえに、たぶん、猫の悲しみが反映されているというか。「猫はネズミがいてほしいと思うが、それでも猫はネズミを軽蔑していた」とか。

山形 ディックは猫好きなはず。

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ディックと猫

小泉 あと、スマホみたいなのが出てきますね。

山形 タブレットみたいなのが。

小泉 「情報スレート」っていうのが出てくる。Siriみたいな。IBM製の情報スレートっていうのに、Siriみたいなのが入っていて。

山形 レノボになっているとはさすがのディックも予見できなかったですね(笑)。

小泉 ビッグヌードルっていうのも笑ってしまったんですけど。

山形 昔はみんな、コンピューターとお話できると思っていたから(笑)。

小泉 これ、今でいうWatsonみたいなやつですよね。すごいですよね、ビッグヌードルって。ビッグはわかるんですよ。ビッグブラザー的な、神にとって代わる大きな存在みたいな。ビッグはともかく、ヌードルってなんだと。ビッグヌードル、訳だとそのままカタカナ表記ですが、どういうニュアンスなんですか? 極太麺みたいな?

山形 えー、なんか、ごちゃっとした、ぐちゃっとした知性みたいなのがあるっていう、そういうイメージじゃないかと思うんですけどね。

小泉 今の時代に、まあ、こういうのって当たってなければ当たってないし、ちょっとでも似ていれば、未来を予言している!みたいになりますけど。ディックは数のせいもあるしけっこう当たる率が高いかなと。

山形 時代が一巡したから。しばらく前はそういう巨大なマザーコンピューターがあってー、みたいな、70年代はそういうSFが中心で、その後、いやー、今はパソコンの時代でそんなメインフレームの時代は終わったよねとか言ったけど、結局クラウドに戻って似たような話になってきたし、だから70年代80年代の雰囲気が、逆に一巡したので、なんとなく当たっているように見えるっていう話だと思うんですけど。

小泉 なるほど。当たっているように見える。

山形 別にクラウドを予見していたわけではない(笑)。

小泉 そんなこんなで、私は結構楽しく読んだのですが、山形さんとしては、筋が通らないということで、あまり評価されていないのですね。確かに、突っ込みどころはいくつかあるなと思いました。ディックの他の話にもそういうところありますけど、ハーブ・アッシャーがライビスを愛しているわけでもないのに、妻だっていうことにして地球に侵入するんだっていう話になったとたん、僕の妻が!とか半分本気で言い出すあたりがピンとこないし、でもだからと言ってそこで人間が描かれていないとかいうのも、唇寒しみたいなところが。でもまあ、ところどころ不自然なところはある。たとえば、このハーブ・アッシャーが入れ込んでいるリンダっていうのは実際はそんなにかわいくないっていうことなんですかね? それとも見る人によって違うっていう話なんですか?

山形 見る人によって違う、ということらしいですねえ。何なんだ。

小泉 ベリアルをなんでこんな簡単に開放したんだ、とか。

山形 なぜでしょうねえ。全能と思っていたけど全能ではなかったっていう話なのかなとも思うし、一方で、偉そうなこと言ったわりにはすぐ殺されちゃうし(笑)。

小泉 あとがきで指摘されてましたけど、生理中だからやらなかったぐらいで煩悩に打ち克ったエラいみたいな評価をされる部分も片腹痛いというか……。

山形 ねえ?

小泉 ねえ。なんか、そうですね。そういういろいろ突っ込みどころ満載ですけど、3部作のなかでは一番SFっぽい。

山形 はい。宇宙から来て、地球を救って、ハイ、おしまい。このころはとにかく、前渡し金もらっちゃったんで、早く書かなきゃって焦って、お話の破綻とかあまり考えずに書いていたはず。でもまあ、話が破綻するのはディックではふつうのことなので、まあ、なんとか納めたんじゃないですか。かなり下手な納め方だと思うけど。

小泉 これ、あまりおもしろくないと思っていたものを訳すことになって、どうでしたか?

山形 個人的な趣味からすると、取ってつけたような話だと思っているんで、そんなにおもしろくない。だからせめてあとがきくらいは楽しく読めるようにしようっていう、そういう趣旨で。

小泉 あとがきは最高ですね。

山形 最初に大滝訳で読んでいた時よりは、まあ、筋が通ったかなと、だから少しおもしろさが上がったかなとは思っています。ただ、ちょっと人によりますよね。

小泉 あとがきは、ベリアル君の一人称で。あれから読めば大丈夫ですね。っていうか、これ新訳といえども、本当にあとがきがないと脱落する人、多いと思うんですよ。

山形 ありがとうございます。大滝さんの『聖なる侵入』の解説もすごくわけがわからなくて、え、こんなに難しい思想が表現されているんですかこれはっていう。

小泉 ええと、ええと、この大滝さんっていうのは…、この新訳にあたって大滝さんと何らかのやり取りは発生したんですか。

山形 ない。以前、サンリオ文庫総解説の座談会をやったときに、実は席にいらしたっていう話なんですけど、だれだかわかんなかったです。あと、聞くといろいろ、サンリオSF文庫にラテンアメリカ文学系の作品を入れたりとか、いろんな別の翻訳家連れてきたりとか、そういうので、かなりレベル向上には尽力された方なので、あまり悪く言うのもどうかねえ、みたいな感じも若干あるらしいんですけど、しかし!

小泉 しかし!

山形 翻訳に関しては、ちょっと言わせていただきましょう。

小泉 旧訳は装幀もちょっとちぐはぐでした。新装版では装幀も中身に合ったものになっているじゃないですか。『ヴァリス』はフィルとホースラバーファットですよね。『聖なる侵入』もちゃんと双子で。これは装幀の方に説明されたりしたんですか?

山形 いや、してないです。たぶん、お読みになったんだと思います。ふつうに以前から、ハヤカワが判型変えて、表紙をこの系統に以前から直しているので、その同じ方がずっとやっていらして。

小泉 土井さん。お会いしたことはあるんですか?

山形 ないですね。

小泉 会ったりしないんですね。すごいですよね。読まれたのでしょうね。こんなに、ちゃんと中身通りの表紙に。

山形さんイチ押し、『ティモシー・アーチャーの転生』

小泉 では、そろそろ『ティモシー・アーチャーの転生』の話を。これが私、本当に好きで。女性の一人称が素敵で。あの頃の、ジョン・レノンが死んで、っていうあの時代の空気が……って私はあの時代のことを知らないし、何の思い入れもないのに、すごく懐かしいっていうか、身に覚えのないノスタルジーを感じてしまって。

山形 いいですよねえ。

小泉 これはあとがきに書いてあって、へえ、と思ったんですけど、ル・グィンに女性が描けていないって書かれたのを受けての女性の一人称であると。すごくいい一人称だと思いました。ル・グィン、ディックに謝れ!って思いました。

山形 うーん。はっはっはっは。まあ、ル・グィンはル・グィンなりに彼女の女性像があるので、彼女はフェミニズムの旗手なので。

小泉 そのあたりをすごく意識したのか、フェミニズム団体に所属している女性、キルスティンが出てきたりしますね。背景にル・グィンの発言があったことを思うと、ちょっとわざとらしい気もしますが、キルスティンも素敵です。一方、エンジェルは複雑というか謎めいていて。ジェフがキルスティンのこと好きだったとかそういうことをあんまり気にしていない、怒ってないあたりが、その辺、みんなそうなのかなとか、ティムのことが好きだったのかしらとか。

山形 フフフ……。そこはいろいろ邪推ができるところですよね。

小泉 ベイエリアのインテリ崩れ女性の一人称っていうのは、こういう感じだったんですね。こういう女性が類型のひとつだったんですか?

山形 どうでしょうね。いそうな感じではありますよね。リベラル人文系で、妙に勉強してしまって、いろいろ知ってるけどこれどうしよう? みたいな。

小泉 そういうインテリ崩れの女性がジェフという、何の取り柄もない男性と結婚をしているのも変にリアリティがあります。ジェフ死んでもノーダメージだし。

山形 お父さんへのコンプレックスでかわいそうに……って。

小泉 この、サドカイ派のキノコの話とかは、本当なんですか?

山形 そういう学説はある。で、その学説を述べた本とか翻訳も出ています。だから、まあ、そういう説はある。それがどのくらい一般的なのかは僕は知らないけど、あんまり、万人が認めるというものではないみたい。

小泉 この作品にも猫が出てきますね。

山形 よく出てきますよね。飼っていたんじゃないですかね。庭木はやたらに、鉢植えをいろいろ植えては枯らしていて、ディックの家に行くと、「これは僕の枯れたチューリップ」「これが僕の枯れた~~」って、枯れた草花をいろいろ説明してくれるっていう(笑)。で、みんな頭がおかしいと思っていたっていううわさはありますが。

小泉 いい話ですね。3冊訳してて、どれが一番楽しかったとかありますか?

山形 一番、訳すこと自体が楽しかったのはティモシー・アーチャーかなあ。

山形さんは、仕事が速い

小泉 今回、ハヤカワは全部出すんですか? なんか、創元からもちょこちょこ出ていませんか?『未来医師』とか、『ガニメデ支配』とか、『ヴァルカンの鉄鎚』とか。

山形 創元の権利を全部ハヤカワがもらったはずです。買ったのか、もらったのか。で、創元で出ていたのを、訳しなおしで売っていると。

小泉 山形さんには、他にもディック作品の新訳の話とかは来ているんですか?

山形 ええと、『さあ、去年を待とう』が出るのか。

小泉 ああ、『去年を待ちながら』ですね!

山形 早く手をつけなくちゃ……。それは出ることになっていて、そんなに翻訳悪くないんで、訳し直さなくてもいいんじゃないかと思っているんだけど、まあ、そういう趣旨なので。

小泉 誰かの旧訳があって、それを翻訳し直すときって、事前にあらためて参照したりするんですか?

山形 まったく見ない。訳し終わった後でこいつは何書いてたっけ?って読んでみて、違うじゃんこれって、そういう見方をしているけど、あまり参照はしないです。で、今度1月に『動物農場』、オーウェルの新訳が出るんですけど、その時も、まあ、やっぱり訳しているときは旧訳は見ませんよね。

小泉 オーウェルは『1984年』も数年前に新装新訳で出ましたよね。

山形 あれはトマス・ピンチョンの序文もついて出ましたよね。

小泉 山形さんは、普段は野村総研で働いてるんですよね。

山形 そうですね。

小泉 今は子育てもある。消防団のご活動などもある。

山形 ありますね。

小泉 いつ訳しているんですか?

山形 出張したときとか、今はイギリス大使館の仕事で名古屋に出張に行くんで新幹線の中とか。ヴァリス3部作をやっていたときは出張先が多かったですね。

小泉 海外出張が多かったんですよね。

山形 ずっと、ラオスのホテルにずっと1日することがなくていますとか。向こうの役人が頼んでいた資料を作ってくれていなかったからすることないんですけど、とかそういう環境で訳していることが多かったですね。

小泉 訳すのが早いんですか?

山形 早いですよ。

小泉 即答ですね。

山形 自慢ですけど、やたらに早いので、それは珍重されています。

小泉 この連載の1回目に登場していただいた小竹由美子さんは、翻訳家修業時代から山形さんのファンだったそうで、白水社からおもしろい本が出ると山形さんが訳しているとおっしゃっていました。白水社の編集者の藤波さんの話なども出てきて。

山形 藤波さんというのは、白水社で変な本を出そうというのを一生懸命やってらっしゃる方で、今ですと、分厚い伝記物を次々に出されているのはだいたい藤波さんですね。読まなきゃ。読んでないけど、上巻だけで1万円近くするヒトラーの伝記とか。で、上下巻なんですよ。18000円。だーれーがー買ーうーんーだー(笑)。

小泉 山形さんは、どういう経緯で翻訳を始められたんですか?

山形 大学のSF研で。大森望とか、柳下毅一郎とか、中村融とかみんなそうなんですけど、当時は海外翻訳のSFが全然出ない時代だったので、学生が自分たちで勝手に翻訳して、自分のファンジンに載せると。で、僕もそれで、ああ、あいつがこんなのやるならこっちも頑張んなきゃって、半分競争しながらやっていたっていうのが最初ですね。英米圏だけやっていると競争が多いのでドイツ語圏のSFとかやろうかとかいって探してチマチマ訳していたら、SF研系統の人から当時のSF系のトレヴィルっていう会社に話が行って、彼らがギーガーの画集の翻訳をしたいと。ドイツ語から翻訳だったので、ドイツ語の翻訳ができる人がみつからなくて苦労してて、そしたらドイツ語のSFを訳しているやつがいるから、と紹介されて、それで訳した。それが最初です。

小泉 翻訳家デビューがギーガーのドイツ語からの訳……。というか、山形さん、ドイツ語も訳せるんですか?

山形 ええと、かなりレベルは下がります。ものすごい時間をかけて。

小泉 ちなみに本のタイトルは?

山形 えーと、『ネクロノミコン2』。今はパン・エキゾチカというところから再刊されていますけど、1は他の人が訳して、それがいまいちだったので、2は別の人に頼もうということになって山形に回ってきた。

小泉 それが初めての翻訳っていうのは、在学中ですか?

山形 在学中、22くらいですかね。

小泉 でも就職もされるんですよね。

山形 そうですね。大学のあと大学院に行って、そこでギーガーの本をいくつかやって、次に、ティモシー・リアリーっていうアメリカのLSDの先生の本をやって、それまでギーガーの画集で学生としては数十万円とかもらうと、すげえ大金が入ってきた!これで生活できるぜ!ってなりますよね。で、こういう調子で来るなら、これで僕は大学院の学費も払って、ひょっとしたらこれで食っていけるかもと思って、そしたら、ギーガーの本の編集の人が凝りすぎて。彼ね、なんか装幀の線まで自分でロットリング引いてたって(笑)。で、僕が大学院に入る前に原稿をとっくに上げてたのに、卒業するまでそれが出なかった。で、親には大見得切ったのに、やっぱり学費出して~みたいな。で、こんなに不安定な生活では、たぶん飢え死するぞ、と。やっぱり就職したほうがいいよねと思いまして就職した。

小泉 最初から野村総研ですか?

山形 実は1回公務員試験を受けまして、当時の建設省に決まっていたんですけど、卒業設計が仕上がらなくて、留年して、それがダメになって。あとで聞いたら、お前白紙でもいいから出しておけば卒業させてやったよとか言われて、それを今言うかお前は今言うかって感じだったんだけど(笑)。それがおじゃんになって、それで野村総研に入った。

小泉 就職すると、忙しいだろうし、翻訳はちょっと……ってなりそうじゃないですか。そこからガンガン翻訳も執筆もしているっていうのがすごいと思うのですが、これはいったい、どういうことなんでしょうか。

山形 ちょうど西武系でバロウズが盛り上がり始めて、ペヨトル工房からいろいろ来ていて、まあ、他にできるやついねえよな、俺がやらずに誰がやるという感じではありました。

小泉 俺がやらずに誰がやる!かっこいい。

山形 ちょうどそのころ、『暗闇のスキャナー』の訳し直しの話とかも来ていたので、まあ、おもしろくなかったらやらなかったんだけど、非常におもしろかったのでどんどんやりましょうという感じで翻訳をやっていったんですね。当時、会社も申告すればよいということで適当に認めてくれたので、それが続いていると。

小泉 エッセイとか、ブログとかすごく書かれるじゃないですか、量を。

山形 あー、はいはい。

小泉 もう、量がすごいじゃないですか、量が。圧倒的な量で。ピケティとか。

山形 うーん。

小泉 しかも読んで、書くわけじゃないですか。いつ寝てるのかな、と。睡眠時間は短くても平気なタイプですか?

山形 いや、そんなことはない。ちゃんと寝ないと。

小泉 3時間くらい寝れば大丈夫系の人かと思っていました。

山形 6時間はきっちり寝る。

小泉 じゃあ、作業が異常に速いとか…?

山形 速いですね。文章とかも、書くことが決まればガーッと書くので。ずっとダラダラ頭抱えて書き続けているわけではない。

それぞれの新訳、あとがきから読む前提で大丈夫

小泉 3つ通して読んでみて、これが3部作って言われると、たしかに連続で読むのはといいなあと思ったんですけど、山形さんはどう思いますか。

山形 連続しなくてもよいんじゃないかと思います。どれか1つ読むなら『ティモシー・アーチャーの転生』じゃないかと思う。

小泉 1つでいいんですか。

山形 ただ、本当に人によっては、小難しい話がしたいならヴァリスだし、『聖なる侵入』はどこら辺に需要があるのか僕はわからないんですけど(笑)、あれはまあ、その中間ぐらいがほしければ読むのかなあ。

小泉 『ヴァリス』を読んだ直後に読むと、すっごく読みやすいので、けっこう薦めてもいいかなと思うんですか。

山形 じゃあ、そうかもしれませんね、はい。

小泉 iPhoneみたいなのも出てくるし、Siriみたいなのも、Watsonみたいなのも出てくるし。

山形 はいはい。

小泉 でもこれ、ふつうのSF、ふつうのSFって言ったらアレですけど、読んでた人が『ヴァリス』読んだらびっくりすると思うんですよね。

山形 うん、びっくりする。

小泉 『聖なる侵入』はその点、SFじゃないですか。『ティモシー・アーチャーの転生』はSFじゃないですね。

山形 そうそう。

小泉 まとめるつもりもないのですが、まとめますと、どれか1冊薦めるなら『ティモシー・アーチャーの転生』。

山形 はい。

小泉 『ヴァリス』は、やっぱり私の周囲にも挫折組がいるので、そのかたがた達が読み直すっていうのは意味があるかと。

山形 そう、もう少し気楽な話ですからっていうか。

小泉 あとがきから読むことっていうのが重要なポイントですよね。これ、いいんですよね? あとがきから読む前提で?

山形 いいんじゃないですか。こっちもね、本体読まないであとで解説だけ読んで、難しい神学が書いてある、とか思ってたし。

小泉 あとがきだけでもいいくらいですね。あとがきは、全部こういうスタイルなのでしたっけ。

山形 こういう、と言うと…?

小泉 なんか、こう、とってもフレンドリーな感じというか。

山形 書くものだいたいそういう感じで書くので、まあ、ふつうに書くとそうなる。まあ、それを余計なことを言い過ぎていると批判する人もいるし、嫌う人もいるけれども、まあ、嫌なら読むな!と。

小泉 そうですよね。

(終わり)

円城塔さんと、SF的な宇宙、その他について語る。

円城塔さんと、SF的な宇宙、その他について語る。

SF的宇宙とは何か

小泉:今日は円城さんが翻訳された『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』についてお話を聞けたらと思っています。これはそういうことをインタビューする連載で。いつも変なお願いばかりしてすみません。

円城:全然大丈夫です。前の仕事に比べると、はるかにふつうだし……。

小泉:実は、まだ1本しかインタビューしていないんですけど。

円城:ジム・シェパードでしたっけ。

小泉:そう。小竹由美子さんにお話を聞いてきました。たまたま、ジム・シェパードの場合、刊行したばかりというのもあったのですが、小竹さんはいろいろな人を訳していらっしゃるので、また何度も出てきていただく予定なんです。でも、あまり発行時期とかは関係なくですね、まあ、翻訳した人とか、その周辺にいる人とかにインタビューをしていこうかなと思っているところです。

円城:はい。いかようにも。どうでも。

小泉:で、チャールズ・ユウ。あの、私、グレッグ・イーガンとかもまったく理解しないまま読んで感動するような人間なんですけども、

円城:何の問題もないですよ。イーガンの『白熱光』とかクロックワーク・ロケット三部作とか、学術誌に出せよ、って感じだし。

小泉:この人は、さらにSF的な知識がなくても全然大丈夫ですね。

円城:これ別にSFて言わなくていい小説ですね。ただ、この人はこういう人だっていう。

小泉:見た目はすごくSFっぽいですけどね。ハヤカワから出てますし。タイトルにSFって書いてあるし。でも、あとがきには「一般文芸の世界で活躍するSF的な小説の作家」と紹介されていますね。

円城:本人もあんまりSFって意識しないで書いていると思うんですよ。

小泉:でも、読んだときはSF的なことはあまり気にしないで読んでいたんですけど、でもちょっと、あまりにもSF的な部分がわからないのでですね、もうちょっとわかってもいいんじゃないかなと思いまして。

円城:でも、特にわからない部分って、何かありましたっけ?

小泉:まず、SF的宇宙っていうのは、何なんでしょうか。

円城:特にないと思いますよ。考えてないと思う。

小泉:えー。考えてないんですか。

円城:チャールズ・ユウにとってはもう、世界はこういう世界だっていうことなのでは。

小泉:この、最後に「はじまりの宇宙:宇宙13」ってあるじゃないですか。ここで世界は1回崩壊しているんですか?

円城:これは、なんだっけかな、電子版か、豪華版みたいなやつについていた「おまけ」なんですね。だから、そんなに本筋には絡んでない。

小泉:すべてを読み解く鍵かと。よく映画や海外ドラマの演出で最初に最後のシーン出すみたいな、それの逆パターンのようなものなのかと思っていたんですけど、おまけなんですね。

円城:まあ、宇宙に番号が付いてたりするので、この番号の宇宙ではこうっていう。

小泉:ああ、宇宙13では壊れたと。

円城:なんでしたっけ、割れちゃうんですよね。おまけに出てくる宇宙。

小泉:SF的な宇宙以外の宇宙っていうのは、どうなっているんですか。

円城:たぶんあるんだと思う。ミステリ的な宇宙とか。宇宙は、エンタメ施設なんですよね。この世界では。っていうか小説1冊1冊が宇宙みたいなイメージですよね。だからこれは、そういう宇宙。SFっぽい小説1冊っていう宇宙。それくらいの意味だと思います。

トウがユウを訳すことになった経緯

小泉:読む側としてはあまり気にしなくて、まあ、わからなかったら飛ばして読んでしまってもいいようなところも、訳す側としてはそうもいきませんよね。これ、訳しているときにつらくなかったですか。

円城:特には。なんだろう、理数系の大学院生のホラ話って、ほぼこういうノリなので。

小泉:ああ、同じ穴のムジナ的な理解があったんですね。

円城:これ僕が訳さなくても全然よかったんだけど、確かに何が何だかわからないかも、院生とかやったことがある人のほうがいいかもねっていうのはありました。ユウもどうも調べるとそういうバックグラウンドなんですよ。理論屋さんぽい空気を感じる。

小泉:これは解説にもちょっと書いてありますが、円城さんが最初に見つけて。

円城:何かの賞の候補になったりで、アメリカの賞を見ている人の間では知られてたんですが、翻訳はされていなくて。賞を獲ったときは、リチャード・パワーズが選んだはず。僕はたまたま、サンフランシスコにいたときに、フェリーターミナルに入ってる本屋さんに行って手にとって。ああ、バカなタイトルだなあ、と。

小泉:円城さんが翻訳する経緯になったのはどういうきっかけで?

円城:『本の雑誌』に、こういうのがあって、おもしろかったっていうのを書いて、誰か訳してくれないかなと思ってて、その後、東京創元社から「どうアレ、訳さない?」って聞かれて。「本業の翻訳の人にやってもらいましょうよ」って言って。なんだかうやむやなうちに断った形になったような。

小泉:え、断ったんですか(笑)

円城:で、ハヤカワから出てる。「訳せるでしょ」「訳せないですよ」みたいなやりとりががあって、それがあやふやになっている間に早川書房のほうから「下訳もつけますから」って言われて、「下訳がつくならその人が訳せばいいじゃないですか」って言ったんだけど。

小泉:身もふたもない……そこは、いや、やっぱりそこはトウがユウを訳すっていうのが大事なんだと思います。

円城:下訳ついてもらったことは全然隠してなくて、むしろ公表してほしい。共訳とかにしてもらって構わないんですけど。まあ、下訳までつけてもらえるんだったら……というのもあって、やることになりました。なんか「お前がやらないと出ない」みたいなムードになって、それならしかたない……っていうことに。

小泉:翻訳するまでにまず、原書を紹介されていましたね。その後、さらに、すごく変なかかわり方をしていますよね。訳が出る前にこの本をネタに小説を書いているじゃないですか。『松の枝の記』。これ、読みました。

円城:はいはい。二人で交互に勝手に翻訳を書いちゃう話ですよね。僕は基本的に身の回りに起こった事を書く人なので。

小泉:あんなことが身の回りで起こっているんですか。

円城:だいたいそんな感じ。ユウとはやりとりしたことないですけどね。

どっか行っちゃう系

小泉:こないだ小竹由美子さんにジム・シェパードの話を聞いた時に、ジム・シェパードが明らかに勘違い、間違っている部分は勝手に直して訳してしまうという話を聞いて、ふと思ったのですが、『松の枝の記』はそれをさらに、極端にした話ですよね。これがあっての、『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』となると、これ、本当に訳しているのかな? みたいな素朴な疑問が。これまでの円城さんの活動などからも察するに、もしかしたら……。

円城:でも、あんまり変える余地がなかったんですよね。そうだよなあ、みたいな感じでそのままです。

小泉:下訳からこの本の文章になるには、どういった手が加わるんですか?

円城:まあ、一応全部変わっている。訳が間違っていないかどうか確認するために使わせてもらったというくらいで。最初は自分で訳してから下訳を見て、間違ってると、あああ~って直す。そういう感じです。書き直すのが前提だったので、下訳の人も小説っぽくはしていない。でも、内容面で特に変えたところはない、はず。

小泉:ふーん……。すごく、円城さんが書いているのかなっていう部分もありましたけども。もう、全然違う話だったりして…

円城:しないしない。ただまあ、チャールズ・ユウが思っていなかったことを、僕が勝手に思っている可能性があるんですけど、まあ、それはチャールズ・ユウが間違っているってことでいいかなって。

小泉:間違っているのはチャールズ・ユウのほうであると。最初、読んだときに軽妙なパワーズ、あるいはふざけすぎない『銀河ヒッチハイクガイド』みたいな印象を抱いたのですが、パワーズに選ばれたりしていたんですね。

円城:パワーズが選びそうだなっていうのはありますね。ボンクラ感が。

小泉:「こうして僕らはかつて一度も出会わなかった。」とか、どことなくパワーズっぽいフレーズですよね。

円城:一度も出会ったことのない恋人ですね。

小泉:円城さんもパワーズ好きじゃないですか。

円城:好きですね。

小泉:私も好きなんですけど、パワーズって、ちょっとエモいところがあるじゃないですか。

円城:あー、パワーズの英文はちょっとおかしいらしいですよ。パワーズを訳している人から聞いたことがあるんですけど、ふつうはこうは書かないだろうっていう英文らしい。

小泉:英文がおかしい?

円城:書き方がやっぱり理数系の人のっぽいらしい。僕にはよくわからないですけど。

小泉:理数系ってエモいんですかね。

円城:なんでしょうね。エモ耐性は低いかも知れないですね。

小泉:パワーズを読んでると、時々、エモいから無理~って思うときもあるんですよ。好きなんですけどね。

円城:パワーズはありますね。最近特にそういう傾向が強い。最初のほうはそうでもなかったはずなんだけど。

小泉:チャールズ・ユウは、パワーズより軽妙で読みやすいですね。この人もパワーズ好きなんですね。

円城:一応謝辞には書いてありますね。

小泉:チャールズ・ユウも、そこそこエモいじゃないですか。

円城:まあ、ギークですからね。ギークはどうしても色んな耐性が低くなる……だって、彼女だってコンピューター。OSに惚れてる。

小泉:パワーズの描く人工知能ヘレンみたいのと同じじゃないですか。でも、私は円城さんの作品に、パワーズやチャールズ・ユウのようなエモさを感じたことはなくて。

円城:え、でも結構同じ方向ですよ。

小泉:え、あれはエモいんですか。

円城:まあ、僕はたいてい、小説でどっか行っちゃいますね。まあ、この本もどっかいっちゃいますね、これも。どっか行っちゃう系ですね。

小泉:どっか行っちゃう系。

円城:同じ場所で一回り大きくなるとかじゃないんですよ。どっか行っちゃうの。ほとんどどっか行っちゃうの。あ、また今回もどっか行っちゃったって。旅立っちゃう。それはかなりエモ要素のはず。

小泉:でも円城さんの小説は全然エモエモしくない感じがするんですけど……

円城:いや、そうでもないと思いますよ。かなりエモいと思います。ヴォネガットをどう読むかみたいな。角度によっては異様にエモいっていう。でもそういう感覚がない人にとっては、シニカルなおじさんじゃないですか。

小泉:エモ方によると。パワーズ好きなのも、チャールズ・ユウを訳したのも、円城さんはそんなにエモくないのになんでかしらと思ってたんですけど、円城さんもエモいということなんですね。

円城:趣味的なものはありますよね。いつもそういうものばかり読んでるとつらいけど、定期的に読まないとつらい。

だれもわかっていないかもしれない結末を語る

円城:あ、SFじゃないって言いましたけど、けっこう大仕掛けは大仕掛けで、でもそれは誰もわかってないっぽい。で、僕はわかった気になっているんですけど、チャールズ・ユウもわかってないかもしれない。

小泉:なにがわかったんですか?

円城:なんで2回繰り返すのかっていうことですよね。同じ話をなんで2回繰り返すか。しかも、解決はよくわからないですよね。どうしてそれで回避できるの? っていうのがわからない。わからないんだけど、ふつうに考えると回避できていない。この手のお話の中で、ああいう設定にしちゃったら回避できるわけなくて、そこはSFじゃなくて、なんかちょっとエモ語りだからいいことになっているんだよね? っていう回収だと思われている。でもたぶん、チャールズ・ユウが書いているのは多分ソウテンイの話で、がっちり物理の話なんじゃないかなと。

小泉:…ソウテンイ?

円城:相転移。フェーズ・トランジションですね。あれですよ、氷が水になるとか、水が水蒸気になるとか。

小泉:氷が水になることが相転移?

円城:固体、液体、気体っていうのをそれぞれ相って言うんですよ。個相、液相、気相って。それが変化するから相転移。もう、全然違うものにがっつり変わる。で、その時の仕組みっていうのが物理の中の物性理論という分野で80年代くらいに仕組みが一応わかったということになっていて、相転移の場合、システム全体がガッって変わるんですね。これは結構謎なことです。バタフライ効果とか、蝶が一匹羽ばたけば世界の気象が、みたいな話もありますが、現実にはそういうことは起こっていない。世界は膨大なスケールの積み重ねでできていて、どこかのスケールだけが、「ちょっと俺革命するよ」とか言っても、その影響は消えてしまう。スケールっていってるのは、原子のスケールがあって、分子のスケールがあって、ミクロのスケールがあって、統計力学的スケールがあって、熱力学的スケールがあって、人間のスケールがあって、星のスケールが、みたいなことですけど。上下のスケールが、「じゃあ俺も」「俺も」「俺も」「俺も」みたいに、影響が広がっていく形になっている必要があって、その影響がそれぞれのスケールを通じて、みんな同じ風に「よし、やるぞ」ってなったら相が変わる。っていう理解ができたんです。

小泉:なるほど、全然なるほどじゃないけど、なるほど。

円城:くりこみって言うんですけど。

小泉:なに? くりこみ? どういう字ですか?

円城:くりこむはけっこう、日本語としてこなれてないので、ひらがながいいんじゃないかと思うんですけど、繰り込み、ですね。

小泉:ははは(笑)。くりこみ。

円城:ウフフ(笑)。くりこみと呼ばれるんです。くりこみ相転移なんです、これは。

小泉:なるほど、これはくりこみ相転移。ええと、私たち、なんの話をしていたんでしたっけ。

円城:お話がなぜ二重になっているかっていうと、なんかこう、こういうリアルの上にもう一個リアルがあるわけですよね。

fullsizerender-5

円城:上の視点から、こっちを見ている、タイムマシンで。

小泉:はい。

円城:で、箱も中にもう1個箱が入っていたりしますね。

小泉:箱、入ってますね。はい。

円城:で、そういう多重化のプロセスは一回で終わるのかというと、終わらないで、無限に続いている。ふつうに考えると、ループから抜け出せないってことは、このプロセスがずっと続くってことだから。

小泉:じゃあ、もう何度も繰り返してきているってことですか?

円城:全部無限にあって、全部が、「よし、がんばるぞ、俺変わるぞ」って言ったときに、全ての階層において、バーンて変わるっていうので、今言った話みたいになる。

小泉:バーンて。この本、このSF的な宇宙では結局相転移するんですか?

円城:あの、撃った瞬間が、変わるとき。で、そこまではみんな、メタから見ても同じことを繰り返しているんだけど、そこで、それも気持ちって言えば気持ちなんですけど、そこでこういう全部のメタの階層の中で、バーンって1本筋が通って、液体になりますよみたいな感じで、人が変わる……。

小泉:撃たれることも繰り返してたじゃないですか?

円城:それはこの中で繰り返している。で、相転移なので、その前と後はあんまり関係ない。全部の階層で同じ事が起こって、ゴーンって変わるっていうのが大事。相転移したあとはその前のことは知らない。相転移だから(笑)。あ、この笑いはなんだかわからないと思うんですが、笑えるんです。

小泉:ゴーンって。なるほど。いや、わからない(笑)。

fullsizerender-6

小泉:ユウは何に変わったんですか?

円城:撃たれたけど、ケガしただけで済んでますよね。死なないところに弾丸が突き抜けるまでには、あの、いくつも死んでいる階層とかはあって。それはいっぱい、メタメタメタって見ているときに、この辺では生き残りました!とか言っても、他のところではいっぱい死んだりしているので、変われない。

小泉:メタメタメタって。なんで今回は変われたのか? 相転移が起きたから?

円城:たぶん、そういう話。

小泉:ふーん…。

円城:だから、お父さんが箱の果てにいるとかもそうなはずで。お父さんが箱の果てにいますよね。

小泉:いましたね。

円城:お父さんが箱の箱の果てにいるというとかいうのも、極限はやっぱりちょっと違うのでっていうイメージがたぶんあるんだと思うんですよね。

小泉:お父さんは、これは、どういう状況になっちゃってるんですか?

円城:お父さんは、入れ子の入れ子の入れ子の入れ子に潜っていって、よくわかんないところに着いちゃったんですよね。で、帰ってこれなくなっているんですよ。有理数列の極限が有理数じゃないことがあるみたいに、お父さんも極限、物語の限界にまで突き抜けてしまっている。収束先から収束列に戻ろうとしても戻れない、みたいな。

小泉:ユウは、いちおうお父さんのことは探してはいる。

円城:ずっと探してはいる。でもその世界にはいない。

小泉:これ、自分を撃ってしまうっていうところがけっこう始まりのポイントというか、トリガーじゃないですか。でもけっこう撃つの遅いですよね。撃つまでの話がけっこう長い。

円城:そうですね。冒頭に書いてある割には遅いですね。

小泉:これ、撃たなくてもよかったんじゃないですか? 撃たないと始まらないんですか?

円城:撃たないと深刻な状態にならないからじゃないですかね。

小泉:撃たなくてもお父さんを探せたのかしら、とか思ったのですが。

円城:引きこもりが解消されないといけないので、引きこもりが解消されるためには自分に撃たれるくらいしないとだめってことでは。

小泉:なんで撃ったんですかね。自分を見たら逃げろっていうルールがあったのに。

円城:撃った理由はわかんないですよね。そこは面白さ優先で撃ってしまったんじゃないですかね。物語的な面白さではなく、生き方としての面白さ優先で。

小泉:生き方としての面白さ優先!ところで、これはマトリックスみたいに映像化するといいのではないかと思ったりもしたんですが。

円城:けっこう、映像でやると最後のほうが説得力がないかもしれない。そこらへんが今一つ、難しい。

小泉:この「くりこみ相転移」が起きたっていうのは、チャールズ・ユウもわかっていないかもしれないところなんですね。

円城:思ってないかもしれない。でも、チャールズ・ユウはくりこみ自体は知っているはず。どうも経歴を見ると。

小泉:くりこみっていうのは、そもそもなんなんでしょうか。

円城:Renormalization. それをいまいちうまく訳せないのでくりこみって言っているんですけど、それ自体は朝永振一郎がノーベル賞とったやつですよ。それです。チャールズ・ユウは、この本の中で経路積分の話とか、いっぱい「*」がついているページとかあったじゃないですか、ああいうものを書いているので、たぶん知っているんですよ。統計物理の話なんですけど、そういうのがイメージや発想の元にあって書いている。で、想像ですけど、タイムマシンって楽しいなって思っていて、自分が出てきたらどうしよう、撃つと面白いんじゃない? 撃ったらどうなるんだろうとかずっと思って、でもそれだけじゃ書けないんですよね。タイムパラドックスを解消できないから。でもその時に、あ、相転移とか使えばきっとうまくいくはず! とか思ったと、僕は勝手に想像しているんですけど。たぶん、そう。そうじゃないとただ2回繰り返しているだけなので。あまりそう進むと思わないじゃないですか。SFなら絶対こうは進まないはずで、何かあるんですよ、たぶん、こうなるはずの形が。

小泉:なるほど。

円城:僕もこれふつうのSFとして読んでいたら訳さなくてもいいなと思ったんですけど、きっとそういう背景がある。ほんとかどうかは知らないですけど、そういうことを考えさせてくれただけで十分だともいえる。

小泉:この本には、くりこみ相転移があって、それはチャールズ・ユウもわかっていないかもしれないと。

こまごまとした、読みどころ

小泉:でもやっぱりSF小説として読むには、文章がなんていうか、上手すぎるというか。あ、それは円城さんの訳だからなのか!

円城:あ、でもこんな文章ですよ、本当に。ああ、意識してあんまり長さを変えずに訳したんですけど。チャールズ・ユウの文章って異様に長いんですよ。切れない。自分の文章なら切る。

小泉:原書を読んだわけじゃないんですけど、なんていうんですか、すごく大雑把な言い方するとジャンルものSFの文章じゃないな、みたいな印象を受けました。

円城:まあ、本人もSFという意識がないみたいだし、SFマニアでもないみたいだし。

小泉:エドがいいですね。犬のエド。

円城:存在しない犬。捨てられてる。

小泉:お母さんの描写も素敵で。

円城:ずっと同じ時間を暮らしていてね。訪ねて行くと、ちょっとあんた、とか怒られる。

小泉:ずっと同じ時間の中に入るまえのお母さんを回想しているじゃないですか。

円城:昔のお母さんね。

小泉:お母さんがなんかどんどん退行していくと。それはお父さんとユウがタイムマシンを作っているせいなのか、それともお父さんとの夫婦仲のせいなのか、単なる更年期障害なのかわからないんですけど、「ましな1年がすぎた後、母は一定のパターンに陥っていた」。これ、前払い済みのタイムループに入る前の話なんですよね。タイムループに陥る前にすでに一定のパターンに陥っている。「金曜日の夜に自室へと退場していき、週末中出てこないこともあった。月曜日の朝に再登場し、全てはまた正常に戻った」。このお話は父-子の話なんで、ちょっとお母さんは本流からそれた感じの扱いなんですけど、なんだか妙に共感してしまいました。

円城:今のお母さんはぐるぐる回っている。いいですね。養老院がすごくいいんですよ。

小泉:本人もわかっててちょっと外に出てきちゃうあたりも。外って、タイムループの外に。

円城:「外に出てるの?」って(笑)。同じ時間を何度も暮らしてるはずなのに。

小泉:出れるんだ、みたいな。本当に老人ホームから出てきちゃう感じで(笑)

円城:そういう、細かいところがよかったですね。

小泉:SF的な宇宙の世界観がわかっていないなりにも、読み進めていって、あの宇宙のサバイバルキットが出てくるとちょっと感動しますね。

円城:感動しますね。お父さんがすっごく不器用でいい人なんですよね。いや、全然いい人じゃないんだけど。すごいだめな人なんだけど。失敗した研究者っていう感じの人ですよね。

小泉:これ、お父さんは、今、いちおう、チャールズ・ユウが生きているマイナー宇宙31とかそういうのが、娯楽施設としてできたりするような概念を、ヘマをやったにせよ、発見しかけた人の何人かのうちの1人ではあるんですよね?

円城:でもマイナー宇宙31への移民ですよね。宇宙の仕組みを見つけた人ではある。

小泉:そういうのを見つけちゃったから、世界は、宇宙13では壊れた?

円城:これ、そんなにつながりはないんじゃないかなあ。そんなにないと思う。まあ、でも宇宙が壊れるみたいな題材とかいうのを考えてしまう人ではある。だからなんか、タカヤマ=フジモト排他原理とか出てくるじゃないですか。それっぽいんですよ。なんかね、物語工学があるんですよね。継時上物語学。

継時上物語学とは何か

小泉:最初に出てきますよね。継時上物語学。これはなんなんですか?

円城:これ、日本語版の最初のほうに誤字があって、誤字があってはいけないところに誤字がある。これ第何刷かな。一応2刷があって、2刷では直っているはずなんだけど……。あ、ここだ。「記憶と想定」とあるところ、これ、「想定」じゃなくて「想起」なんです。(54ページ)。記憶と、思い起こすことが区別できなくなるから、自分は今、過去形の物語を読んでいるのか、過去にいて現在形なのかがわからないっていう、謎の等価原理なんですけど。

小泉:これがちょっとよくわかんないなあと思いながらスルーして読んでいました。

円城:そこは一般相対性理論のパロディなんですね。

小泉:あー、なるほど。なるほどじゃないけど、なるほど。

円城:一般相対性理論では、自分は地球の上に立っているのか、1Gで加速するロケットの中にいるのか区別できない。継時上物語学的には、登場人物は自分がどういう語りをされているのか判断できない。区別できないし、それは視点次第、みたいな。だから、相対性理論の一般向け解説書みたいなものとあんまり変わらないところもある。

小泉:そうなんですか。そういう小説なんですか。

円城:そういうことが、あるっぽい、みたいな雰囲気でおすところが。

小泉:これ、円城さんが観測できる範囲での読者の反応はいかがでしたか。

円城:あんまりいないですね、読んだ人は(笑)。これSFを読む人が読むと混乱すると思うんですよ。というのも、半分まではSFっぽいけど、その後の処理がやっぱり家族小説っぽくなるじゃないですか。だからどうしても「えっ」って、なる。もっと冒険に行くのかと思ったら、繰り返すだけだったっていうのと、解決がよくわからないっていうので、SFとしてはそんなに評価されないのではないかなと。

小泉:なんか、SFと主流文学という言い方もあれですが、SFっぽいんだけどSFじゃない、少しSFみたいなせいで読者を獲得しかねているもったいない良作といえば、リチャード・パワーズの『ガラテイア2.2』が思い浮かびます。たとえば、私の夫はパワーズが好きなんですけど『ガラテイア2.2』はちょっと、みたいな……

円城:だめ? 僕、ガラテイアが一番好きなんですけどね、そういう人少ないですね。

小泉:私もあれが一番好きなんです。

円城:ガラテイアもだいたい起こっている通りのこと、当時の研究のことが書いてある。パワーズは基本的にそうで、だいたい起こっている現在の科学の最先端より、ちょっと先くらいを書くんですよね。だから割と本当のことが書いてあって、ガラテイアとか、当時のニューラルネットワークとかも、ふつうに、そうだよね、やろうと思えばこういうことやってた人いたはずだよね、やってた人いるよねっていう話だったんですよね。

小泉:あれは起こっている話だったのか、あれ。そういう話だったんですか。それにしても、あれもエモいですよね、あれ。なんでそういうことを書く人があんなにエモくなるんでしょうか。

円城:なんでしょうね。しょうがないんじゃない?(笑)。『舞踏会に向かう3人の農夫』とかは、そんなでもないですよね。その後、研究者や大学人ものになって、まあ、最初のやつも自分のこと書いているんだけど、だんだん自分のことを書いていくことになっていくと、孤独な男、みたいになっちゃう。

小泉:なるほど…。『SF的な宇宙~』に話を戻しますと、訳してて訳しづらかったところとかありますか?

円城:特に訳しづらいところはなかった……から引き受けたというのもあるけど。

小泉:楽しかったですか?

円城:割と自分が書いたんじゃないか疑惑ですよね(笑)

小泉:やっぱり!

円城:だいたい書いた、みたいな、そんな感じです。

小泉:そうなんですか。

ラフカディオ・ハーンを直訳に戻す

円城:自分にぴったり感がないとなかなか、僕は翻訳の人ではないので……と言いながら、いろいろなものをやっていますけど。

小泉:翻訳もする小説家、たとえば、村上春樹とかは翻訳するモードと創作モードは全然違う、きっかり分かれているみたいなことを言ってるじゃないですか。円城さんはそういう境界が極めてあいまいというか、デロ~っと混じっているというか。それもすごいですよね。あんまり翻訳したい!っていう感じではない。

円城:まあ、翻訳する人はいるんで、やってくれるといいなって。そんなに面倒な英語じゃないんですよ、チャールズ・ユウ。長いけど。面倒なやつは訳そうとは思わないですよ。それは誰かが訳してくれれば。といいつつ、ラフカディオ・ハーンの翻訳とかもやっていますが、これは、ちょっと楽しいかな。

小泉:それも下訳ありで?

円城:ハーンはもう翻訳がいっぱいあるので、それが下訳代わり。ただ違うのは、直訳するっていう。

小泉:なんでハーンなんですか?

円城:ハーンは英語で書いているのに、みんな日本語に訳して、日本語が、まあ、あの人は20世紀の頭の人じゃないですか。で、初期の翻訳は朴訥なんですけど、日本語に他の人が訳して……ハーンは日本語ができないから……翻訳が出るんですけど、だんだん翻訳がうまくなってくる。この100年くらいかけて、すごく洗練の度合いが上がっていて、みんななんとなく、小泉八雲はちゃんとした日本語で怪談を書いていたのだなあ、みたいなイメージがあるんですけど、全然違いますからね。

小泉:あ、そうなんですか。私、小泉八雲がちゃんとした日本語で怪談書いているのかと思ってました。

円城:英語で書いてる。しかもあんまり英語も美しくはない。怪談っぽい。怪談だからですけれど。だから今も、河出から、えーと誰だっけ、個人全集が出始めているんですけど、それとかも今までもハーン研究の成果を踏まえた美しい訳ですけれども、ハーンはそんなにきれいに書いてないし、そもそも日本人向けに書いていない。

小泉:なんと!

円城:20世紀頭に、アメリカ人に向けて書いている。っていうのを直訳すると、かなり楽しい怪談。しかも、日本語の語彙がまったく説明されていない。これ、当時読んでてどうなのっていう。たとえば「耳なし芳一」だったら、「ミミ・ナシ・ホーイチ」とカタカナで訳す方針です。だってローマ字でそう書いてある。注もない。

小泉:では、100年をかけてだんだん洗練されていったハーンの怪談を円城さんはまた戻している、直訳に戻している?

円城:直訳に戻して、当時のアメリカからは日本はこういう風に見えていて、今の日本と過去の日本と同じくらいの距離がある感じにする……

小泉:なんか、鳥を野生に帰すみたいな……。そんな素敵なことをやっていらしたんですね。どこでやっているんですか。

円城:角川の『』っていうところでやっています。。それは1回終わってっていう感じですね。

雨月物語について

小泉:河出の現代語訳で思い出しましたが、円城さんは、『雨月物語』を訳してやっていますね。あれも翻訳といえば翻訳ですよね。あれはどうでした?

円城:そうですね。あれは難しかったですね。疲れたかな。あまりオフィシャルに言えることはないですね。

小泉:おっ。

円城:河出とかなり仲が悪くなりました(笑)

小泉:なんと、まあ。

円城:いや、悪くなってはいないんだけど。あんまりオフィシャルには言えないことが結構ありましたね……。

小泉:必要に応じてカットしますのでお聞かせください。

円城:やっぱり現代作家が現代日本語に訳すのは、あらかじめの統一した方針が決められないし、やり方も暗中模索だから、どうしてもモメがちになる。校閲さんは原文に忠実にいきたいわけだし、あの人がやってよかったものがどうして自分ではダメなのか、とか、そりゃなりますよね。そういうのでふらふらすると、編集部と書き手の意見が収束しないから、同じところを赤で消して、復活させて、赤で消して、みたいなやりとりになったりですね。

小泉:それは、円城さんが「作家性」を求められて現代語に訳したもの、その過程において現代風にアレンジされた言葉なりフレーズなりに関して「雨月物語にはそんなことを書いていません」っていう、平行線が続くという感じですか?

円城:その辺の落とし所が決まらないのと、ここはこういう風にアレンジしますって合意していたはずのものに赤が入ってくるとか、こっちが赤で直したものが、向こうの赤で返ってくるとか、分量も多いので起こるわけですよ。

小泉:まさに赤字で赤字を洗う……

円城:そういうの続けたら仲、悪くなるよね。だから悪くならないように手順を先に決めないと。

小泉:あの、町田康さんが『宇治拾遺物語』をやったじゃないですか。すごく面白くて、あれはもう文学的事件だくらいびっくりしたんですけど。

円城:あれが出たあとに、他はどうするかっていう話ですよ。(以下削除。)

小泉:あのシリーズは、現代語への飛躍みたいなものが、ある程度作家にお任せという感じなのか、それとも編集側である程度のラインが決まっているのか、そのレベル感はどう決まるのかなと思ってました。

円城:場合場合。

小泉:じゃあ、『雨月物語』は円城さんとしては道半ばでリリースしてしまった感じではあるんですか?

円城:うーん……。かなり怒ってた時期もあったんですが、内容としてはいいところかな、と。僕は幸いに『雨月物語』だから、元々、何かすごいことをするつもりはなくて淡々といけばいいや、と。ただ、作業プロセスはよくなかった。

小泉:この本はそういうことはなかったですか?

円城:本当はもう1回、通したかったかな。でも言い出すとキリがない。それも作業プロセスの決め方次第なんですよね。

もう一度、SF的な宇宙と相転移と継時上物語学について

小泉:『SF的な宇宙~』の訳のほうに話を戻しますと、翻訳作業そのものはチャールズ・ユウと円城さんの感覚が似ていて割とスラスラいったと。

円城:うん。感覚はすごく似ていて、ただ、文章があまりにも長いって言われたら自分の呼吸で切りなおそうかと思ってたんですけど。

小泉:英文が長いと切って短くするんですか?

円城:けっこう、みんな短くしてますよね。従属節のありかたが違うから、切ったほうがいい場合は多い。でも基本的には切らないでいきました。あの、架空の彼女のところとか、長いですよね。やめろよって感じなんですけど。冒頭も長いですよね。チャールズ・ユウはいつもそうで、冒頭が変に長い。そこに掛け言葉とかも入ってるんですけど、長文にされると掛け言葉が訳せないので、短ければ無理やりやったりとかできるんですけど。同じ形容詞がたくさん並ぶところとかも、できるだけ数を合わせたりはしていて、そんなしなくていいことを割としているので、もうちょっと、僕のリズムでって言われたら短くなったでしょうね。基本、直訳型ですね。こういう話なので、チャールズ・ユウの間違いとかはないはず。間違えているんだか、ギャグなんだかわからない。

小泉:さらに円城さんが訳すとなると間違いなんてないんだ、という気になりますね。

円城:それもいいんじゃないかと。

小泉:最初はこの「SF的な宇宙」なるものを把握しようとがんばったんですが、

円城:けっこう早い段階で、まじめに考えようかと思っても無駄なんだなってわかるじゃないですか。

小泉:まあ、2回くらい読み直して頭を整理すれば、そっかそっかってなるんですけどね。ああ、マイナー宇宙31っていうのはタイムワーナー社が……

円城:タイムワーナータイム社。作っている途中に放棄したところなんですよね。

小泉:こういうところがいっぱいあるっていうことですよね。

円城:こういう宇宙がいっぱいあって、アトラクション用に作ったんだけど、ちょっと失敗して。作りかけの宇宙なんですよ。小説としても作りかけ、ということかも知れない。だからいろんな変なことが起きる。

小泉:それを「SF的な宇宙」って名付けたセンスがいいですよね。

円城:Science Fictional Universe.

小泉:タイムマシンの中でタイムマシンを修理しているの? ってなって。で、それが、どれくらいの大きさのところなのかっていうのが、靴箱と水族館の間、とか書かれていて、想像して絵を描いてみたりして。

円城:どれくらいのスケールのところにあるかっていう話ですね。それも物理的な発想で、スケールってなんとなく、10倍、100倍、1000倍みたいな、そういう上がり方をする、分子・原子…倍倍みたいなスケール。だから、靴箱と机、とかじゃなくて、靴箱と水族館の間くらいのスケール。

小泉:スケール。

円城:でも、そのあとに「電話ボックスくらい」って出てくる(笑)。電話ボックスくらいっていう割には手を伸ばせたりするんですよ。そんなに電話ボックスは大きくないはずなのに。適当。

小泉:まあ、最初は絵を描いてみたりして想像しようとしていたんですけど、だんだんそれもやめていって。

円城:どうでもいいんです。時間の行き止まりのところで寝たりしていますからね。そこでは何も起こらない。

小泉:ええと、まとめますと、2回繰り返すことが大事で、

円城:2回繰り返すことはたぶん必要なんですよ。

小泉:2回繰り返して、相転移が、そろう……?

円城:きっかけみたいなものがバーン!って。

小泉:バーンって。

円城:撃つっていうので終わります。

小泉:今日はもう少し、SF的な宇宙について掘り下げようと思ったんですけど、円城さんと話しているとなんだかそれもどうでもよいような気持ちになってきました。とりあえず、最後がどうなったのかわかったのでよかったです。わかったのかな。

円城:全然、違う人になった。

小泉:そうなんですか?!

円城:人格が変わった。タイムループも解消された。で、お父さんを助けに行って、お父さんも助かったと。お父さんを戻したところでどうなるんだとか、そういうのはあるわけですが。お母さんもあの状況だし(笑)。

小泉:お父さんもあそこにぶち込むのか(笑)

円城:とりあえず、まあ、助かった。一堂に会することはできる。とても辛い体験にはなるだろうけど。

小泉:だからやっぱりこれはSF小説として読むんじゃなくて、一風変わった、家族小説として。

円城:まあ、発想にきっとそういう物理的な現象があって、それを元に、でもまあ、このタイムマシンが動く原理も継時上物語学なので、ちょっと物語論小説。タイムマシンが動く原理は、記憶の中の光景と現実の光景が区別できないっていう原理で動いているので、その時点でふつうのSFではないよね、と。

小泉:フンワリした原理ですね。

円城:記憶と想起は区別できないっていうのは、現実世界と思い出が区別できないっていうのが、タイムマシンの原理と、物語が成立するのはそういう概念があるからだよねっていう発想ですね。

小泉:その設定だといろいろ書けそうですね。やり方によってはカズオ・イシグロ的な、なにか……

円城:うーん、他の短編集を読む限り、そういう人ではない(笑)。

小泉:これ、他の短編集は出たりしないんですか?

円城:こないだ一つだけ訳しましたけど。なんだっけかな。「OPEN」っていうやつをSFマガジンに、訳せって言われたので訳しました。

小泉:なんかもう、チャールズ・ユウ担当、みたいな。

円城:そうですね。でも短編集は難しそう。短編集が2冊あるんですけど。『Third Class Superhero』と『Sorry Please Thank You』。やや前の時代の実験小説っぽいのが多いのでちょっと難しいかな、と。『Third Class Superhero』は、マーベルコミックみたいな設定で、弱い超能力しか持っていない、ものをちょっと湿らせることができるモイスチャーマンとか出てくる。ちょっと湿らせられる(笑)。

小泉:モイスチャーマン、読んでみたいです。

円城:だからそういう、ジャンルの真ん中じゃなくて、ちょっと捻って、という人。

小泉:なんとなくわかってきました。ところでこれ、訳者あとがきがないんですよね。

円城:特に言われなかったんですよね。くりこみ相転移のこと書く気まんまんでいたんですけど。

小泉:あとがきでそれ、書いてほしかったですね。円城さんによる解説がほしかったですね。

円城:そうね、うん。

(終わり)

小竹由美子さんと、『わかっていただけますかねえ』について語る。

小竹由美子さんと、『わかっていただけますかねえ』について語る。

『わかっていただけますかねえ』が、わかっていただけるまでの話

小泉:小竹さんには、ゼイディー・スミスや、アリス・マンローの他に、ネイサン・イングランダーやジョン・アーヴィング、最近だとアレグザンダー・マクラウドとかですね、いろいろお聞きしたい訳書がいっぱいありすぎて困るんですけど、今回はあえてジム・シェパードがいい気がしました。出たばかりっていうのもありますが、他の作家に比べてわけがわからない度が高い。

小竹:わかんない。ええ。

小泉:『わかっていただけますかねえ』ってタイトルなんですけど、わからない(笑)。でも、いいタイトルですね。

小竹:えーと、舞台裏をお話ししますと、最初編集者氏からは、「わかっていただけますかねえ」ではよく「わからない」ので、やはり各タイトルから採用するのがよいと提案がありまして、その候補というのが「ゼロメートル・ダイビングチーム」「エロス7」だったんです。

小泉:なんとなく、それっぽいタイトルですね。

小竹:でも、わたしは「わかっていただけますかねえ」の「わからなさ」がいいような気がしたんですね。タイトルとしないのであれば、たとえば「原題(=Like You’d Understand, Anyway)」として扉に残すとかどうか、と。収録作品のタイトルではないので、作品のなかからタイトルを選ぶとすると、せっかく作者がつけたであろうタイトル「Like You’d Understand, Anyway」が消えてしまうのが惜しかった。各タイトルから選ぶとするならば、内容のインパク トからいっても「ゼロメートル・ダイビングチーム」がいいのではという話だったのですが、それだって、あまり「わかる」タイトルとは言えないですよね。

小泉:「エロス7」も全然わかんないですよね。

小竹:で、結局会議でもこれでいいんじゃないかという意見が多く、そのままになったという経緯でした。

小泉:こういった翻訳書で訳者がタイトルを決められるということはあまりないと聞いたことがあります。だいたい編集者が決めてしまうものだと。でも、これは小竹さん案が通った形ですね。

小竹:ええ。ネットで感想を拾っていると、このタイトルとテレシコワの顔との組み合わせの「わからなさ」に惹かれて買っちゃったという人がけっこういるので、やっぱよかったと思ってます。

小泉:表紙は「エロス7」のテレシコワですね。この装幀も素敵です。

小竹:装幀もいいでしょ。白水社は趣味がいいなーって思って(笑)。

小泉:私、これ人間ドックにもっていったんですよ。人間ドックって、最初に呼ばれるまでちょっと待つ時間があるんですけど、その時に何気なく手にした雑誌を呼ばれたときにラックに戻そうとすると、「あ、いいですよ、そのままお持ちください」って言われるんですね。去年、それで私ずっと雑誌のVERYを持ち歩きながら人間ドックツアーをするはめになったんですね。別にVERYが嫌だというわけではないけど、持ち歩くほどは好きじゃないぞ、と(笑)。それで今年はこの本をもってゆきました。視力、心電図、身体測定、採血、婦人科検診といろいろあるんですけど、そのたびにこの表紙を表にしてドン、と置いて。みんな一度は「ん?!」って見るんです。あの装幀はインパクトが強くて、しかも『わかっていただけますかねえ』って書いてある(笑)

小竹:この表紙にこのタイトルはかなり惹きつけるかなって(笑)。いい宣伝をありがとうございます。Twitterでも、この装幀とタイトルにそそられたっていう人もいました。

ジム・シェパードはジム・シェパード好きしか読まない

小泉:ジム・シェパードについては、あとがきでも詳しくご紹介されていますね。あれもすごく参考になりました。

小竹:ええ。マンローなんかもけっこう自分自身がちりばめられているんですが、ジム・シェパードもそういうところがあるんですよね。ジム・シェパードって日本で紹介されていないですし、それでああいうあとがきにしてみたんですよ。これを元に、読んだ人がどんなふうにいろいろちりばめられているんだろうか、とか考えてくれるといいかなって。

小泉:無粋な話ですが、滑り出しはいかがですか。増刷とかは……

小竹:まだ、全然。なんか、どんどん初版部数が減っております…。そのうち、100部とかになるんじゃないかと(笑)

小泉:そうするともう出版社なんていらないのでは、みたいな……

小竹:いや、やっぱり、編集者の存在っていうのは絶対必要だし、1冊の本をここまで作り上げる作業っていうのは、やっぱり、おいそれとはねえ。

小泉:でも100部とかになったらさすがに悲しいですよね。豊崎由美さんがガイブン読者は日本に3000人はいるっておっしゃってましたけど。

小竹:だから、ちょっと前まではそのレベルだったのが、それからまたなんか減っちゃってるみたいな感じが。

小泉:それはきっと、悪の枢軸、ネットフリックスやHuluなどの登場によってですね、海外ドラマや映画の消化にどんどん時間を削られていくようなところがあってですね…っていうのは私の話ですけど、私の周りの筋金入りの本読みたちも、けっこう話を聞いていると本を読まなくなってきていて……あくまで私の狭い観測範囲の中ですが、ヤバいですよ。

小竹:ジム・シェパードがね、何かのインタビューで、「だいたい俺の書いたもんなんか売れない」とかってぶつくさ言っていて。どうせ売れないんだからって愚痴を言ってるのね、そんなこと言わないでよねって思うんだけど(笑)。「スティーブン・キングとかああいうのは売れるけど、純文学なんて誰が読むんだ?」とか。「あのクッツェーでさえ、俺が教えている町に、ノーベル賞とる前だったけど、あのクッツェーだって集まったのは20人くらいのもんなんだ」とか、ぶつくさぶつくさ言っているインタビューがおもしろかったというかなんというか。

小泉:読む人がどんどん減っていっているんでしょうかね。

小竹:話題になれば純文学系のものでも、ワーッと人が集まるけど、それだけでしょう。 Goodreadsって、Amazonの読者評よりはちょっとレベルが高めくらいの感じの読書系のサイトがあるんですよ。だけどどっちかっていうと、エンタメ系なんかのが多くて。でも一応ね、どの程度読者に読まれているのかなというのを知る一端としてよく見ているんですけど、ジム・シェパードなんかは、ついている評価は高評価なんだけど……っていうのも、結局、ジム・シェパードなんてジム・シェパード好きしか読まないみたいなところがあって(笑)、だからちょっと売れている本なんて、たちまち何千とかレビューがつくんですよ。今回訳したこの本だって、賞なんかもとっているし、ナショナルブックアワードの候補にもなったりで、けっこう認知はされているらしいんですけど、それでも1500には届かない。アメリカでそれっていうとすごく少ないレベルですよ。じゃあ、リディア・デイヴィスなんかはどうかなって見たら、やっぱりリディア・デイヴィスも同じくらいで。結局ああいう作家は固定のファンはいるかもしれないけどそれだけだし、特にジム・シェパードっていうのは作家の間では読まれているんですけど、作家の間で読まれていてもねえ……。

一人称なりきりおじさん

小泉:それでは、そろそろ作品について語っていきましょうか。いろいろな史実に基づいて、渦中の人の一人称で語られる短編集ですね。これね、ググっちゃうんですよね。史実として、本当にあったことなの?それとも創作なの?って。

小竹:けっこうしっかり事実をベースにして、そこから自分でフィクションを立ち上げていて、その立ち上げ方がジム・シェパードの場合はおもしろくて。なんて言うんだろう、強引に自分のほうに近づけていないでしょう。たいがいね、いわゆる歴史小説っていうのは書く人の主観でもって歴史を斬っちゃうみたいなところがあるけど、この人って、なんだろう、これ?……みたいな感じ(笑)。

小泉:あと、歴史ものってだいたい長いじゃないですか。これ、すごく短いんですよね(笑)。あ、え、それで終わりですか?みたいな。

小竹:そう、他の作家が評した書評を読んだら、「僕とか誰それさんとかだったらこれで400ページは書ける。なんでこれだけのページ数でまとめてしまうんだ」って(笑)。しかも、書き方がね、上から目線とか、分析的な目線とか、そういうのが一切なくて、

小泉:当事者意識!

小竹:だから読んでいてすごくリアル。ジム・シェパードがなりきっている人の目に映ったものしか書いていなくて、そのあたりがすごくおもしろい。読者に伝えたいとかそういうことは一切ない。ただ、自分はこういうことを書きたかったから書いたんだ、悪いか?みたいなところが、すごいなと思って。その突っ込み方がね。1冊にまとめるにしても、なんの脈絡もないような感じで並べていて、でもって、間にリアルな現代ものの、それはなんか自分自身の人生を反映したようなものをぺっぺっぺっと挟んでいるんですよ。あの挟み方もなんだかよくわからなくて。

小泉:そうですよね。あ、現代のテーマ、そしてもしかしたら自叙伝的な流れに戻ったかなと思うとまた古代の人とかに憑依しちゃって。ひとつひとつの話は全部違うし、ジム・シェパードの価値観の押し付けもないんだけど、全体としては、なにかつらなりのようなものが……

小竹:なんか全体に立ち上がってくるものがあるでしょう。これはあとがきでも書いたんだけど、お父さんがすごい心配性の人なんですって。で、お兄さんが精神的にもいろいろ問題があったし、ジム・シェパードもいい子の優等生タイプではなかったみたいで、お父さんが息子たちのことをいつも心配していたみたいです。小説に暴力的な父親とか出てくるので、お父さんはそういうタイプだったのかなと思ったら、全然そうではなかったみたい。ただ、ジム・シェパードが「人間、特に男というのは、こっちへ行ったらまともな道、こっちへ行ったら変なことになるっていうAとBという2つの道があったら絶対に変な道をたどる習性がある」みたいなことを言っているんですけど、それはあなただけじゃないんですかっていう(笑)。みんながそんなことはないと言いたくなっちゃうくらい、彼はきっぱりとそう言い切っていて、特にジム・シェパードは子どものころから、「自分にはこんなことができる」っていうことを世間に見せたいがために自分の足をピストルで撃っちゃうみたいな人がいるじゃないですか。そういうようなところが自分にはあると言っている。で、人間のそういう衝動にすごく魅かれると。あれはカトリックの背景から来ているのかなと思うんですけど、周囲のどうしようもない力に押し流されて結局、ついつい、道からそれてしまうっていうのかな。そういうときの、自分の持っているモラルとの葛藤とか、そういうことで苦しんでいる人間の姿っていうのに興味を覚えるっていうことを書いていて。確かに全体がそういう感じなんですよね。幸せに平穏無事に暮らしている人の話は小説にはならないからっていうのもあるかもしれないけど、たぶん、歴史もののノンフィクションなんかを読んでいて、困った状況にズブズブとのめりこんじゃう人を見ると、きっと、興味を感じて……

小泉:憑依してしまう。なりきってしまう。日本では、この『わかっていただけますかねえ』が出る前に『14歳のX計画』が出ましたよね。あれだけポンと読むと、全然わからなくて。ジャーナリスティックな問題提起なのか、ノンフィクション風のフィクションなのか、実話ベースで、若い子が主人公の一人称で、暗めのヤングアダルトなのかな?

小竹:あれは一応ヤングアダルトね。

小泉:あれ以降、この本が出るまで、ジム・シェパードについては何も情報がないままできたんですけど、これ読んだときに、やっとわかったというか。

小竹:つながるでしょう?

小泉:まったく同じですよね。

小竹:書く姿勢が全然ブレてないですよね。『14歳のX計画』でも、スクールシューティングっていうのは、ヤングアダルトでも大人向けの一般書でも割とテーマとしてはいろいろなものが書かれているけれども、あそこまで、14歳の男の子の気持ちでリアルに描かれているっていうのは、あんまりないような気がして。読んでいてなるほどな、と。ごく普通の家庭に育ったごく普通の男の子がズズズズ…っとそっちの方向になんとなく滑って行ってしまうっていうのが説得力を持って描かれているじゃないですか。

小泉:一番の得意というか、「初心者のための礼儀作法」とか、ああいうのを書かせたらうまいですよね。

小竹:あの人の右に出るものはいないですね。

小泉:でもなんか、すぐ、あのローマ帝国のやつとかですね(笑)。なんなんでしょうかね。「ハドリアヌス帝の長城」とか。3番目でこれが出てくるとびっくりしますよね。ただ、語り口がおもしろくて、なんなの?と思いながらも引き込まれてしまう。

小竹:そうね(笑)。淡々としてて、愛想も素っ気もないんだけど、そこからじわっと出てくるユーモアっていうのがあって、けっこうユーモラスな人ではあるのかなと。

小泉:ユーモラスですよね。文章も「目の合った相手に誰にでも頷いてみせた。誰も頷き返さなかった」とか。謹直なユーモアというか。女性の一人称もよかったですよね。

小竹:「エロス7」ね。

小泉:これも調べてしまって。これ、本当にエロス7って名前だったんですか?

小竹:違う違う(笑)。それは結局、皮肉って、でもそれは本当は英語じゃなくてロシア語で言っているんだろうから、そこまでやるとしたら、エロスに相当するロシア語を探さなきゃいけなかったのかもしれないけど、私はそこまではやる必要はないと思って。たぶん、エロスなんて言葉くらいはロシア語にも入っていると思うし。実際にはボストーク何号、とかそういうなんかだったのが。

小泉:すごいナイーブな、女性の心の襞を、「感情というのは手に負えない。感情に向かって何か言うと、向こうは別のことを言ってくる」とか、なんでこんな女心の機微を、このおっさんは!

小竹:テレシコワの人物造形ってすごいですよね。優等生の悲哀というか。

小泉:テレシコワが宇宙で唐突にこう、おかしくなってしまいますね。

小竹:それは実際、宇宙で様子がおかしかったらしいんですよね。で、それがあって、その後、もう、だから女性飛行士が続かなくなったんですって。女性は宇宙向きでないっていうんで。

小泉:あー、そういう史実があって。

小竹:そう。一種の宇宙酔いみたいな感じだったらしんだけど、その時はまだ詳しくわかってなかったんで、結局女に宇宙は無理だみたいなことになってしまったらしいですけどね。でも、なんか、その、表面はいい党員みたいなのを演じている自分をすごく嫌だなって思っているところが滲み出てたりしていて、エロス7はけっこう好きですね。

小泉:連絡取れなくなるあたりは、答えないことにしたというのもテレシコワらしい。

小竹:もう、いいや、みたいな。

小泉:その時にテレシコワが、どう思ったこう思ったとかはぐちゃぐちゃ書かないんですよね。

小竹:書かない書かない。

小泉:そこにかぶさる、「カモメ、聞こえてるのか?」が切ない。

小竹:実際、そういう状態ではあったみたい。あの、当時は、それこそ鉄のカーテンで何も外には漏れなかったけど、そのうちに自由化されてわかってきて、けっこうそういうことがあったらしいです。

小泉:でもこれって、どうとでも描けるというか、もっと宇宙酔いした女性が動揺して、みたいな、もっと愚かしくもそれこそ官能的に倒しても描けたと思うんですけど、まあ、この人、愚かしさを描きたいと言っているけれども、このテレシコワについてはなんていうか…、

小竹:そうそう、そう。一種のふてぶてしさというか、腹をくくっているというか。

小泉:いわゆる男性の描きがちな典型的な女性のヒステリックさとか、弱さを描かない。このテレシコワは素晴らしいなって。

小竹:自分のことも客観的に見ているし、周りのこともシラッと見ているようなところがあって、そこから悲哀がにじみ出てきているのが、私はけっこう好きですね。

小泉:史実を踏まえながら、なりきって書かれた、ソ連初の女性宇宙飛行士の一人称……。まさに、わかっていただけますかねえ、ですね。

未訳の秀作「大アマゾンの半魚人」

小泉:私が一番好きなのが「先祖から受け継いだもの」です。あとがきによれば、これもとっかかりはすごく些細なんですよね。「登山家の回想録でスカンジナビア人種の起源を捜査する傍らイエティを探す文化人類学者にチベットで遭遇した」っていうきっかけで書かれたと。

小竹:そこからバーッて、あそこまで膨らむっていうのがすごいですよね。

小泉:え、一人称そこに置くんだ、みたいな驚きもありました。

小竹:でもツッコミどころは、けっこうあって。綿密に調べ込んでリアリティは書きあげているんだけど、たとえば「オーストラリア中西部探検隊」。あれなんかでも一人称での日記を元にしてずっと一人称の語りをやっていっている。でも、最後はあの人は死んじゃうのに、最後の死ぬ間際までの語りはこれは何が書いてるの?みたいな、そういうツッコミどころはいっぱいあるんだけど、それがまったく気にならないというか。

小泉:そうですね、わからないけど、まあ、いいかっていう気持ちになりますね。「わかっていただけますかねえ(わかっていただけないでしょうねえ)」が、全体にまぶされているような気がするので、多少のわからなさは気になりませんね。

小竹:「大アマゾンの半魚人」っていう、これはまだ日本語では出ていない短編があるんです。これは、半魚人の一人称なの。半魚人は何千年から何億年って単位で、ラグーンの中で生きてきて、なんか最初はこんな生物がいたのに、ふと気づいたら仲間がみんないなくなっていて、自分ひとりになっていて、そのうち人間がやってくるわけですよ。原住民が出てきて、それから英語をしゃべる人間たちが出てきて、最初に取り残されたキャンプしてた男たちに対しては、なんとなく競合の気持ちになってね、体をまっぷたつに引き裂いちゃうの(笑)。で、体をまっぷたつに引き裂いたら、胸の中にウジが湧いてなんたらかんたらと書いているんですけど、なぜかやってきた人間たちがしゃべっている英語はわかっているわけね。なんでわかるのって思うんだけど。半魚人の語りにすごく説得力があって。そのうちケイトっていう人間の女に魅かれちゃってね、自分はなんか知らないけど女に魅かれてしまう、蜂が蜜に寄るみたいに…みたいな感じで、最後は死んでしまうんですけどね。

小泉:半魚人だったり、ソビエトだったり、ローマだったり、国も時代も自由自在ですよね。

小竹:半魚人は実際に『大アマゾンの半魚人』っていう映画があるんですよね。私は映画は観たことがないんですけど、まあ、よくあるホラーだろうと。探検隊が行ったら変な音がして、何か棲んでるじゃないだろうかって思ってたら、ラグーンから半魚人が出てきて、誰かが襲われて…とかいうよくある映画じゃないかと思うんです。でも、そういう時に出てくるバケモノっていうのは、単にバケモノとして出てくるわけじゃないですか。誰もバケモノが何を考えていきているかとか考えないじゃないですか。

小泉:バケモノサイドの視点。

小竹:そういう反転のさせ方とかね。これも未訳なんですが、ジル・ド・レについても書いているんです。ジル・ド・レも最初はジル・ド・レになりきろうかと思ったらどうしてもそれができなくて、ジル・ド・レの召使、結局、幼児虐待の手助けをさせられた人の語りで書いています。ジル・ド・レがどうしてあんなことをしたのか、一方ですごく信仰もあつくて、ジャンヌ・ダルクを助けたりしながら、なんであんなことをしたのか、全然わからない。そういうわけのわからないことを書くんですよね。

小泉:一人称のよさが詰まっている。信頼できない語り手っぽく持っていくのでもなく、この人の一人称の機能の仕方っていうのがすごく……

小竹:独特ですよね。

小泉:古代ローマの書記官の一人称とか、なにも想像できないよ、みたいな。でも細かいところまで、すごくそれっぽいんですよね。

小竹:だから細かいところはすごく文献を読み込んで詰めているんだと思うんですよね。

小泉:古代ローマが好きなのかな。世界史好きなのかな。

小竹:世界史、好きだと思いますね。

売り込み採用率の高い小竹さん

小泉:これ、訳してて大変じゃなかったですか。

小竹:大変でしたよ(笑)。なんか調べものがすごく多くて。この本の担当の編集者が白水社の藤波さんってとても面白い本をいろいろ出しているかたで、今はけっこう上のほうにいらしてるらしいんですが、そのかたが見てくださったあとに、金子さんという若い女性編集者のかたがもう一回見直してくれたんです。私もついつい原文が英語だったもので英語にもっていかれちゃうんですね。そこを、「いや、これ小竹さん、これ古代ギリシャだからカタカナじゃまずいでしょ」とかっていうのがちょこちょこあって、すごく助かりました。これたぶん、ジム・シェパード自身はあんまりそういうのは考えないで、みんな英語で喋ってる感じで書いているんだけど、世界は古代ローマだったり、ドイツ人だったりとか、なんていうか、ベースはきっちりしているわりに、あんまり束縛されずにそういうことは書いている感じはありますよね。

小泉:すごく調べてるんだろうと思うんだけど、切り取り方がすごいですよね。サクッと。

小竹:自分の好きなところだけちょこっとつまんで、みたいな。だから本当に他に類を見ないというか、短編って「この人と似てるな」とかって思うような、なんとなく似た人がいるじゃないですか。でもこの人に似た人は私は知らない。

小泉:私、この前に読んでいた短編集がアレグザンダー・マクラウドの『煉瓦を運ぶ』なんですよ。あの人もバッドエンドな感じだけど、全然違うなと。

小竹:全然違う。

小泉:ジム・シェパードの場合、悲劇っていうのは大前提で、それを解剖していこう、みたいなところがありますね。あと、ひとつ思ったのは、これ、小竹さんが売り込んだやつなんですよね?小竹さんは売り込み上手?

小竹:そんなこともないんですけど、売り込みってなかなか通らないものらしいんですけど、たしかに、その割に、マンローも、もともと私の売り込みでして、なんか幸せだな、と思います。ネイサン・イングランダーもあれも売り込みだったし、そういう点では恵まれている。

小泉:ジム・シェパードも売り込み成功、と。

小竹:いや、それが最初に出たほうの『14歳のX計画』は、もともとは今回担当してくださった藤波さんからリーディングの依頼が来たんです。最初、他の人に振ったらしいんですね、リーディングを。その人には、これはちょっと合わないからって言われたらしいんですよ。だけど藤波さんはもうすでにご自分で結構読んじゃっていて、藤波さんってご存じですか?私が翻訳者になりたいってもがいていたころに、白水社から出ているキャシー・アッカーとかをやっていたのが藤波さんだったんですよ。で、なんか、「うわーこれはすごいな」と思うようなものは、たいてい藤波さんが手掛けているっていうのをね、あとがきで謝辞とかなんとか述べられるので、お名前を覚えて。ああ、だから山形浩生さんとかご存じだとおもいますよ。キャシー・アッカーも確か最初は山形さんが翻訳なさってて、当時からとんがったものをやっていた人なんです。そんな藤波さんが自分で読んでやりたかったらしいのね。で、誰が断ったのかは知らないんだけど、「小竹さん読んでみてくれないか?」って言われて、私は読んで、すごくいいなと思って「けっこういいと思いますけど」って言ったら、「じゃあ訳してくれませんか」って話になった。それからジム・シェパードっていうのは気になっていて、短編集が出たら買ったりしていたんですけど、これはなんとなく読んでなかったんですよ。たまたまネットで発見して。

小泉:私は『14歳のX計画』って小竹さんが訳しているから買ったんですね。逆にあれだけ読んでも、そのすごさがわからなくて、今回の短編集でやっとわかったという感じです。

小竹:そうですね。それは言えているかもしれない。私、このあとに『アーロンの物語』っていうのを読んだんですよね。これも未訳です。『the book of arron』っていうんですけど、聖書のルカ書とかそういうのが全部、英語で言うと、the book of~なんですよ。だからたぶん、聖書のそういうような感じで『アーロン書』みたいな感じで、タイトルを付けたんじゃないかなと思うんですけど、それもこの人お得意の一人称で、ページ数は、あれ200ページ足らずくらいだったかな。ワルシャワ・ゲットーの男の子の話で、ドクター・コルチャックが出てきて、最後はドクター・コルチャックと一緒に収容所に送られるっていう話なんです。あれもワルシャワ・ゲットーの当時の様子っていうのがすごくリアルで。最初、地方暮らしのユダヤ人家庭の男の子が、ワルシャワ・ゲットーに入って、父親と兄はすぐに徴用で働きに出されちゃって、生活も成り立たなくなっちゃって、っていう周囲はそういう状況なんですけど、日本の闇市なんかと一緒で……

小泉:ある種の活気がある。

小竹:ええ。アーロンはたしか、13とか14とかなんですね、そのくらいの子供にとっては、ものすごく自由な天地でもあるわけですよ。で、そのほかにも、ちょっとワルな、少し年上の男の子と、けっこういい家庭の女の子で、それまではそこら辺の子供なんかと付き合っちゃいけませんなんて言われていたようなお嬢様タイプの子とか、けっこうシャカシャカした女の子とか、みんなユダヤ人なんですけど、4人グループになって、盗みはするわ、抜け出すわで。最初のほうはルールも緩くて、ドイツ人の警備兵なんかも特に女の子なんかがニコっと笑えば通してくれたりしちゃうんですよ。で、外に行って、モノを売って、帰ってきて、おかあさんにお金をもってきたり…っていうようなことをやりだして、まあ、母親も見て見ぬふりみたいな感じでね。いっとき、男の子の成長物語でよくあるような、もう本当に子どもたちが自分の力で自由に大人の中で生き抜いていくみたいな、よくあるあのタイプの話にいっとき、なるんですよね。でもその中で結局、ユダヤ人のレジスタンス組織、ほら、ワルシャワ蜂起とかあったじゃないですか。そういう風な状況になってきたときに、アーロンが昔の知り合いかなんかの関係で、スパイみたいな役割を、自分は嫌なんだけど、まあジム・シェパードお得意ですよね、させられてしまうんですよね。仲間を裏切るわけじゃないんだけど、ちょっと情報なんかを出したりなんてことをやりだして、あとはバタバタとドイツの締め付けが厳しくなっていき、結局、仲良くしていた女の子も家族の目の前で殺されて。裏切り者だっていうんで袋叩きに遭うし、自分もこのまま死んでしまったほうがいいんじゃないかと溝の中で瀕死の状態でいるときにコルチャック先生に救われて、連れていかれて、きれいに体も洗ってもらって、コルチャック先生の孤児院で暮らしだして、もう本当にこういう世界もあったのか、といろいろと教わって。でもそこでコルチャック先生も孤児たちと一緒に収容所に送られることになるんです。最後のところでアーロンが「僕なんてだめな人間だから」って言ったら、コルチャック先生が「子供の権利大憲章」っていうんでしたっけ、「子どもには誤りを犯す権利があります」って、それを彼に聞かせるんですね。だからいいんだよ、人間っていうのは間違えるんだからって。で、ジム・シェパードらしく、一人称語りはそれで終わっちゃって、最後にチラッとね、そのまま収容所に送られて死んだっていう話もあるんだけど、実は林の中に入っていって生き延びたっていう伝説も残っているみたいなのがチラチラっと書いて終わりになるんで、あれもすごくいい話で、ふつうのユダヤ人はこんなにつらい目にあいました、っていうのとは、なんかちょっと違っていて、いま、白水社さんに企画は出しているんだけど、返事がないからだめだったかしら(笑)。

小泉:なんかもうすっかり読んだ気分になりました。

小竹:だからね、さっき話したアマゾンの半魚人なんかが出てくる短編集とか、もう1冊出ているのなんかも、どれもこういう感じで、おもしろいんで、もし、だから、2000人でいいから、コアなファンがついてくれれば、日本でも徐々に読まれていくのではないかと。

小泉:未訳の作品には日本を舞台にしたものもあるとか?

小竹:ジム・シェパードって、子どもの頃はお母さんがお仕事をしていたのでベビーシッターに育てられたんだけど、そのベビーシッターがB級ホラー映画が好きでバンバン観てたみたいで、そういうのが染みついちゃって、割と好きみたいなんですよね。で、今は大学で映画も教えているみたいなんですけど、古いエンタメみたいなのも扱ったりしているみたいで、円谷英二さんのことを書いたりしてるんですよ。

小泉:え!それは円谷さんの一人称なんですか?

小竹:あれは三人称だったかな。関東大震災とか、空襲の経験とかがゴジラになったっていう、割と知られているエピソードと、あと奥さんとあまりうまくいってなかったみたいなんで、家庭での不和とか、割とうまく、あの人らしく淡々と語りながら作り上げられていましたね。おもしろかったです。ゴジラの話も面白いし。

おもしろそうなことを考えていそうな顔をしている

小泉:兄弟ものも多いし、男同士の絆っていうか。

小竹:男同士の絆っていうか、むずかしさっていうか、そういうのが好きな人にはけっこう。

小泉:出てくる女性も素敵ですよね。男性作家の描く女性って、ほら、なんか納得いかないところがあるじゃないですか。

小竹:彼はいいですよね。

小泉:テレシコワもいいですし、あの死刑執行人の奥さんも。

小竹:あの奥さんいいですよね。ジム・シェパードはお母さんの影響があると思うから、ああいういかにもイタリアのおっかさん的な。あと、あれはああ、って思ったんだけど、お母さんの間違った英語のおかげで僕は作家になったっていうね、あとがきに書いたんですが、あれすごくおもしろいなって思って。

小泉:これ、短編集の順番はどんな風に決めているんですかね?

小竹:順番も好きなようにしたんじゃないですかね。これにこれを重ねてみよう、みたいな。

小泉:終盤に「初心者のための礼儀作法」がきて、ああ、やっぱり最後はこの人の真骨頂ものだなとおもったら、それが最後じゃなくて、また、最後に「私の父、ジャン・バティスト・サンソンは……」って(笑)。私、これ順番通りに読んでいったんですけど、だんだん話がつらくなってくるな、壮絶に、悲惨になってくるなと思っていて。そういう順番なのかなと思っていて、また最後にまたこれに戻ったかって、これも悲惨な話なんですけど、最後これかよって、なんだかよくわからなくて、ちょっと笑っちゃったんですけど。この話ってよく食べ物の話の話が出てくるじゃないですか。

小竹:そうだね。たぶん、だから、その人自身、そういう日記を残してたんじゃないかなと。

小泉:あー、史実として日記が。

小竹:そういう人いるじゃないですか。

小泉:執拗なまでに、妻がなにかシリアスなこと言ったあと、「夕食は牛肉とキャベツとサヤ豆だった」とかふつうに続いて。だいたい、しんどいことが起きたあとで、食べたものが淡々と記されている。その日の献立が唐突にヌっと入る。

小竹:だからたぶん、それは史実としてあったんじゃないかなと思って。

小泉:どの史実をどう採用したりしなかったりするのか。食事の記述は執拗でもありますよね。死刑、ギロチンという、すごくグロテスクなものと、食事を並べることで、どちらも日常であるというようなことなのかと。

小竹:そういう実生活をちゃんと書いているっていうところで、ジム・シェパード流のリアリティっていうのが立ち上ってきているんじゃないかなという気がします。それは私もすごく好き。なんかところどころで、すごいところが、それに限らず、スっとでてくるでしょ?え、なんでそこでそういう一文が入るわけ?みたいなのが(笑)

小泉:そうそうそう。悲惨な話だな、と思いながらも笑っちゃうんですよね。「彼らの助けを借りて、私はドイツ版ヒマラヤのロレンスになるのだ。」とかですね(笑)

小竹:だからユーモア感覚はすごくある人なんだなって。

小泉:この顔ですもんね。ぜったいおもしろいこと考えてますよね。

jim

小竹:そう、ぜったいある。

小泉:じゃなかったら、こんなひげはやさないですよね(笑)

小竹:(笑)

小泉:ほかの作品もざっと見ていきましょうか。ちょっとわかりづらかったのが、「俺のアイスキュロス」。

小竹:ああっ。なんかね。それってだから、兄弟の話として書きたかったんじゃないかなと思った、私は。

小泉:基本的な人間関係の確認を……。これは兄が二人いるんですよね?

小竹:そう。お父さんは長男だけをかわいがっていて、あとの二人のことはどうでもいいと思っていて、だけどかわいがっていた長男が死んでしまって、で、そのどうでもいい二人がけっこう仲が良かったでしょ。

小泉:うんうん。そうか。

小竹:あんまり親切な書き方はしていないので、そういうところは自分で考えてもらわないと。

小泉:はい。かと思えば、「私は○○である。」とかちゃんと名乗ってくれたりもしますね。

小竹:そうそう。名乗るのがおかしいよね(笑)。必ず名乗るでしょう?出たな、みたいな。

小泉:でも名乗ってない人もいますね。「最初のオーストラリア中南部探検隊」これは一人称は誰なんですか?

小竹:これは、副隊長からしか書いてないから、隊長が自分だから。自分のことは書いてない。名乗ってもいない。ビードルという姓はときどき言及されてますけど、R・M・ビードルという表記が一か所出てくるだけで。

小泉:なるほど。そうなのかな、と思ったんだけど、そうなんですね。名乗らない場合もあると。
あと、「初心者のための礼儀作法」に出てくる、この、「太ったあの子」とか「あの子」「あの子が」っていうのは、とか出てくるのけど、これは全部、太った子なんですよね?

小竹:そうそうそうなんです。

小泉:この太った子は最後まで名前が出てこないですね。

小竹:出てこない。名前が出てこない。だから、その手の、今のティーンエイジャーの語りが本当にうまいですね。

小泉:古代の人の語りもうまいですよね。古代人の語りを知らないので本当はうまいかどうかわからないですけど。新しい一人称の誕生というか。「我々は廃墟を作り出し、そしてそれを平和と呼ぶ」―「ハドリアヌス帝の長城」の締めのセリフですが、これもすごいですよね。

小竹:それは実際に『ゲルマニア』に、そういう言葉があるんですよ。

小泉:あ、そうなんですね。ドクター・コルチャックの言葉とか、名言をうまく使っているんですね。なんだ、これは名言紹介のショートストーリーなのか(笑)。

小竹:おお、これが言いたかったのか、みたいな。

小泉:その名言から着想を得て書いているのかな?

小竹:その言葉も大事なんだけど、ヘタレた、なんか、お父さんがすごく無慈悲で酷薄な。

小泉:無慈悲ですよねえ、お父さん。

小竹:無慈悲なんだけど、その人も結局ローマ人じゃなくて、要するに植民地の人間なわけじゃないですか。で、ああ、なるほど、ローマ軍ってこういう風に成り立ってたんだみたいなのはすごくよくわかったわ、私(笑)。

小泉:名言と関係ないですね、あまり(笑)。でも確かに、訓練で点数が悪いと大麦しか食えないとか。あと、「粥」ってあだ名つけられるところとか最高ですね。

小竹:それも最初、英語通りで、あだ名だから「粥」でもおかしいかなって思って、「ポリッジ」にしておいたら、編集の方に「小竹さん、これ古代ローマ軍ですけど」って言われて、確かにそうだわって(笑)。

小泉:訳ってむずかしいですね(笑)。なるほどなるほど。私は読んでいて、あくまで日本語の感覚でウケてるんですよね。「粥」ってあだ名に。

小竹:私も確かに後から考えてみたらこれは「粥」のままのほうがよかったと思って。

小泉:そういう翻訳とかどこの国のことを書いたとか関係なく通じるユーモアなんですねえ。

データを圧縮する

小泉:これね、今ね、インタビューとかって配信できるじゃないですか。でもなんかすごくリソースを無駄遣いしている気がするんですよ。なんのリソースだかよくわかんないですけど。なんか、すぐ通信制限とかされるじゃないですか(笑)。映像とか音声とか流せるし、観れるし、聴けるし。でも、このインタビューのこの音声ですね、こういう音声ってすごいデータ量が大きいから、このインタビューがですね、だいたい153メガバイトくらいになるんですね、だいたいですよ。それがですね、文字に起こすと、テキストデータって40キロバイトくらいになるんですよ。私の場合、起こしたら、音声消しちゃうんですけど。なんかすごくいいことしたような気になるんですよね。

小竹:ははは。無駄を省いた、みたいな。文字でいい、と。なるほど。

小泉:今、映画とかドラマとかばっかり観てて、インターネットもあるし、本読む量がすごく減っているんですけど、やっぱり文字はエコですよ。だって、このジム・シェパードだってね、これを映像化するって言ったらね、いくらかかりますか。まあ、すごく観てみたいですけど。ショートドラマで是非観たいなーとか思うんですけど、そこには莫大な製作費が。そして莫大なデータ量がやり取りされることに。技術の進歩は素晴らしいですが、やっぱりそれで得られるのと同じくらいの愉しさを、古代ローマの愉しみをですね、この数キロバイトで楽しめるっていうのはすごいと思うんですよね。

小竹:本って1冊の本みんなで読めますしね。やっぱり、私も好きなものは必ず紙で買っておかないと、これ面白かったから読んでみてって、kindleだとそれができないし。そのうちできるようになるんでしょうけど。

小泉:自分がだんだん活字離れしていって、でも、音声を起こしているときは活字にまみれて、ああ、音声データがこんなに軽くなる、究極の圧縮技術じゃないか、そうだ、もっと話を聞こう!それを起こそう!みたいな。

小竹:なるほど。それでこれを始めたのね。

小泉:はい。これ、もうちょっと圧縮しろよと言われそうな長さですが、せいぜいが45キロバイトくらいのものですよ。

小竹:あれ、文字起こしは聞きながら書いているの?

小泉:そうです、聞きながら書いているんです。

小竹:私、前に頼まれて、文字起こしの翻訳っていうのを頼まれたんだけど、もちろん逐語訳じゃなくて抄訳で構わないからって言われたんだけど、私、そこまで英語耳じゃないから、いやあ、聞きながら起こすのは無理ですよ、って言ったら、じゃあ、ちょっと英語に文字起こしだけはしてもらいますからって、結局、文字起こしを頼んだ先からそこを経由して私のところに英文が送られてきたのね。代金まで出ちゃったのが見えちゃったんだけど、それでびっくりしたんだけど、あれ、たぶん機械でやってるんだと思う。ものすごく安いの。だから、かなり長いインタビューなんかも、1回分が4~5千円くらい?今、YouTubeなんかでも自動的に出てくるでしょう。だからあのレベルなんじゃないかなって。だから、ところどころ変なところがあったんだけど、ところどころ変っていう程度なら私でもだいたいわかるじゃないですか。だからその程度、十分それでこちらの役に立つ程度には文字起こしはできていて、で、代金があんなに安いっていうのは、たぶん、人間を使っていたら、ああはできないから。

小泉:人間を使ったやつでも、クラウドなんちゃらとかで頼むとすごく安い…らしいんですけど、私は、起こされたものを渡されると、それはもう「読むもの」になってしまっているじゃないですか。そうじゃなくて、音声を起こしているときって、追体験というかもう1回再現しているんですよね。その結果気づくこともたくさんあって。その追体験なしにいきなり起こされたものを読んでいると、結局聞き直さないといけなくなってしまうんですね。もちろん、他の方にお願いすることもありますが、私はすごく信頼している音声起こしの人がいて、その人にお願いするか、あとは基本自分で起こすようにしています。キレイに起こしてくれる人もいるんですよ。ケバ取りとかいうらしいんですけど、でも、うまいひとに頼むと、ケバとられちゃうので(笑)。それはそれで結局また聞き直すんですよね。

小竹:ケバに面白いものが入っているもんね。

小泉:最近は技術が発達してストリーミング配信で動画が観れるようになって。でも、文字になることで、ストレージとかに置かないと共有できないような重いデータが、何キロバイトになるって、文字はエコだなって。

小竹:そうですよね。文字のおかげでこれだけ人間の文明、文化が積み重なってきたわけじゃないですか。文字がなければ何も残らなかった。

小泉:アレクシェーヴィチも口語体で文字起こしじゃないですか。インタビュー起こしで。

小竹:聞き書きですよね。Twitterで、アレクシェーヴィチとジュリー・オオツカの屋根裏の仏様の書き方が似ているって指摘していた人がいたんだけど、確かにその通りだなって。ジュリー・オオツカも聞き書き、調べ書きっていうか、他の人が書いたものをモザイクみたいに組み合わせて自分のものにしちゃっているじゃない。

小泉:ジュリー・オオツカのほうがアートっぽいですよね。

小竹:そうそう。アレクシェーヴィチはジャーナリズムに徹してやっている。

小泉:彼女たちに勝手に勇気づけられているところがあります。

小竹:ええ、がんばってください。

きっとみつかる、あなたの一話

小泉:これ、どれが一番好きとかあります?

小竹:なんかね、これ自分で訳しちゃうとね、なんかね、どれもけっこうそれぞれに味わい深く。そうねえ。どれが好きかしら。

小泉:「死者を踏みつけろ、弱者を乗り越えろ」、これまだ話してないですね

小竹:ああ、それはあんまり、私、アメフト、スポーツものがダメなうえに、アメフトなんて本当にわからなくてね、なんでこんなもの書くんだよあんたは!って思って(笑)。これも結局父親の不在と、兄弟ものっぽいじゃないですか。

小泉:腹違いの兄弟を探して。

小竹:でも腹違いの兄弟かどうかはわからないけど、彼はそう思い込んでいて。そういうところは面白いけれど、アメフト自体が…それは、たまたま、友達で、ご主人が中国系の方で、そのご主人と息子さんがアメフト好きって人がいて、アメリカで知り合って結婚していて、ご主人は元は中国の方なんだけど、完全に英語が母国語くらいの感じで、息子さんたちは完全にアメリカ人として育っているんですよ。で、おまけに彼女が翻訳をやっているので、翻訳家としてこういうところがこう聞きたいんだなってわかっている人で。

小泉:アレグザンダー・マクラウドの訳のときに、足の骨の名前を聞いてた人じゃありませんでしたっけ?

小竹:そうだっけ?まあ、とにかくその人に聞いたら、図まで描いて送ってくれて、なるほど、と。

小泉:でもこれ、読んでいてちょっと違うなって思った作品があって「んー」とか思ってもすぐ終わるのがいいですよね(笑)。いや、訳すほうは大変と思いますけれども。

小竹:これで長かったら投げ出してた(笑)。まだ野球とかだったら、自分でネットで調べたりしながら、少なくとも何をやっているのかなくらいは追えるんですけど、アメフトって本当にわからなくて。

小泉:私もアメフト部分は全然わかりませんでした。でも、これ、誰が読んでも、みんな何かしら好きな作品が見つけ出せるんじゃないかと

小竹:これだけあればね。

小泉:女性も素敵な女性ばかり出てきますね。ヒステリックな女性が出てこないですね。テレシコワも、死刑執行人の奥さんも、淡々としている。

小竹:ヒステリックになっちゃっても不思議はないんだけど、そういう風には落さないと。

小泉:女性に対する、尊敬を感じますよね。

小竹:なんか、奥さんも作家なんですって。奥さんのことも尊敬しているし、いいパートナーのようで、女性には恵まれてきた人なんじゃないかしらね。

小泉いい面構えしてますしね。

小竹:いかにも話のおもしろそうなおじさん。YouTubeでいくつか、講演なんかは聴いたんですけど、まじめな感じの、いかにも大学で教えている先生って感じで、エトガル・ケレットみたいなところは全然ない(笑)。それとか、ジョン・アーヴィングみたいな、そういう感じでもなくて、もう、本当にまじめな感じです。

小泉:アーヴィングって、女性がちょっと残念な感じのときがあるじゃないですか。

小竹:ちょっと類型的だったりね。

小泉:それでアーヴィングが嫌いになったりしないけど、なんでかなーとか思いながら読むじゃないですか。

小竹:ええ、ええ。

小泉:この人はそういうのまったくないですよね。それはきっと、女性の描き方に限ったことじゃなくて、観察眼の距離感が一定というか、国も、時代も自由自在、アラスカの話もありますね。日本のことも書いている。すごいですよね。なんでも書いちゃう。

小竹:日本の話なんかも、日本人の私が読んでもそんなに違和感がない感じで書いてあるし。リサーチがすごいんだと思う。

小泉:これも面白かった。「最初のオーストラリア中南部探検隊」。壮絶な旅路みたいなの好きなんですよねえ。これも実際にあったんですかね?

小竹:それも私も調べたんだけど、いくつもそういうやっぱり探検隊が出て、行方不明になったりしながら、やってたみたいよ。

小泉:途中で泣いている白人に会ったりしてますよね。

小竹:そうそう。そういう、なんで泣いているのかもわからないんだけど、きっと、たぶんなんかその人たちもどこかへ行こうとしていたのかもしれないし。そのあたりで引き返していればよかったのが、引き返さないで行っちゃうからお話になるんだけど…。

小泉:こんなにオーストラリア中南部っていうのは何にもないんですか?

小竹:なんかね、本当の砂漠地帯のようです。以前、高松でアボリジニの美術展があって観に行ったら、あのそのあたりの話じゃないかと思うんですけど、なんかつなぐルートができるまでにものすごく大変だったみたい。で、こういうところの話だったのかなと。オーストラリアには行ったことないんですけど、ぽつぽつって、町とかはあるけど、真ん中は本当にがばって砂漠があったり、みたいな。実際にその人みたいに、内陸部の中の海みたいな、そういう広大な水源があるんじゃないか、みたいな説はあったみたい。

小泉:それで思い出したんですけど、オンダーチェの『イギリス人の患者』にも、ゼルジュラっていう、なんかそういうところが出てきたような。私、砂漠ものが好きなんですね。まだ全然読んでないんですけど『ロレンスがいたアラビア』っていうのが出ていて。あ、これも白水社さんだ。とにかく、ロレンスみたいな人があと3人くらいいるらしくて、ロレンスとその他の3人がいろいろ画策していたっていう話らしいんですけど、それはきっと、こういうさらっとした話じゃなくて、もう壮大な大作って感じで、上下巻で、すごく値段も高くて。ロレンスって第一次世界大戦じゃないですか。『イギリス人の患者』って第2次世界大戦前後で砂漠の探検に出ていた、本当はイギリス人じゃなかった患者の話なんですけど、それがスパイだったんじゃね?みたいな話なんですけど、もしかしてオンダーチェってアラビアのロレンスに構想を得たのかしらとか。

小竹:なるほど。

小泉:すみません、話がそれてしまいました。私が、砂漠とスパイが好きなもので……。で、何が言いたかったかと言うとですね、『ロレンスがいたアラビア』はすごく楽しみなんですけど、ジム・シェパードを読んでいると、なんていうか、これくらいにまとめてくれよっていう気もするんですよね(笑)

小竹:読みやすいでしょ(笑)

小泉:これ、すばらしい手法だなと。

小竹:みっしりしているから短いんだけど、そんなに短かったような気がしない。私も訳して後で見直して、あれ、これだけしかページ数がなかった?っていうのが、すごくありましたね。

小泉:だからさっき、テキストデータにすると軽くなるっていう話がでましたが、さらにこの人はですね、

小竹:確かに!さらにまとめて。

小泉:上下巻で出せそうなネタを数ページに。やはり現代人は…、

小竹:みんな、忙しいから(笑)

小泉:観たり聴いたりTwitterやったり忙しいから(笑)

小竹:訳は時間がかかったっていうのはね、実際の翻訳の時間より、調べものなの。調べだすと、なんかこれを調べたらこっちへ飛ぶとか、テレシコワの話でも、結局、ソ連製のロケットの構造から、当時の、なんかテレシコワの、ガガーリンの飛行から始めて、テレシコワのこういう具合だったっていう話から、すごくたくさんいろいろ読んじゃって。

小泉:おもしろいですね。「ポリッジ」はダメ出しされたり、「エロス7」は「エロス7」のまま行こう、とかそういう判断というか匙加減が。

小竹:ポリッジは「粥」で正解でした。アメフトの話はわからなかったんだけど。「エロス7」のロケットについては、ジム・シェパードが物理学を専攻したとかいうような人だったら困っちゃうところだったけど、ロケットの話とかはいまひとつよくわかってなかったと思うんですね。で、なんかね、明らかにこれは間違いだと思うような、だから私もわからないんだけど、その、なんか軌道でも、なんかいろいろ楕円軌道とかいろいろあるんですけど、ちがう、あれはなんだっけかな、ナントカ放物線とかいう言葉が出てきて、いやー、でもロケットがね、一旦軌道に乗っちゃってて、そんな動きをするはずがないし、これはおかしいと思って、ちょっと物理学専門の人に聞いてみたら、いや、これはおそらく作者の勘違いでしょうと言われて。そこはだからそれっぽく直したりとか、あったんですけど。

小泉:原作を直す!

小竹:ロケットは私もわからないんだけど、たぶん、ジム・シェパードと同じくらいのわからなさじゃないかなと思って、できたんですけど、アメフトは困りました。

小泉:そう考えると、この本、ローマの専門家が見たらおかしいとか、いっぱいありそうな気がするんですよ。

小竹:たぶんね。あと、サンソンの話でも、ひとつ、画家の名前を間違ってたの。ローマの執行官が自分の息子に死刑を宣告して実際に処刑の場面を見るっていう絵があるんですけど、私、その絵をGoogleの画像検索でググったら、別の作家のしかなくて、原作にあった作家を探しに探したんだけど、全然そういう絵はなかったからこれはきっと勘違いだろうと思って、それも編集者と相談して、そっちのよく出てくるほうの作家に直した。

小泉:この「ルイ・ダヴィッドが描く」ってところですね。

小竹:そうだわ。そういうちょこちょこしたところが、ね。

小泉:ジム・シェパードさん、入念に調べつつ、ちょこちょこ間違う感じもいいですね(笑)。

小竹:そうなの(笑)。

小泉:え、じゃあ、これも直しているんですね、翻訳で。

小竹:直してます。そういうのは別に作者に承認を得なくてもこれはもう絶対勘違いだわとかいって、勝手に直しちゃったりとか。

小泉:これ、ジム・シェパード本人に「ここを修正させていただきました」みたいなメールを書いたりは……

小竹:ほんとだったら、そうすべきなんでしょうけどねえ…たぶん、アメリカって、日本ほど編集者がしっかりしていないっていうのはよく思うんですけど、日本の場合はけっこう編集者がチェックしてくれて、事実関係っていうのは割としっかりと調べてくれて、チェックしてくれるんですけど、それをやってないみたいな感じで、だから私程度でも、あ、間違っているってわかる間違いがけっこうあったりしますね。

何も啓発しない

小泉:こういうの、いちいち、裏とってくの大変じゃないですか。

小竹:それが、けっこうおもしろくて。知らなかったことを、いろいろと、おかげでさまで。そうそう、ギロチンの話でもテレグラフって言葉が出てきて、「え、電信ってそんなころからあったんだっけ?」って調べたら腕木通信のことだったんですよね。だからそこはテレグラフじゃなしに、腕木通信って訳して。信号っていっても、電気はないので電波は飛ばせない、腕木の向きでもって、何かをずっと伝えるっていう。

小泉:それがテレグラフ?

小竹:テレグラフのもとだったのよ。

小泉:これもフランスの話じゃないですか。すごいなって思うのが、ソ連、要は英語圏以外のこともガツガツ書いて。

小竹:それだけ地域も広いし、時代がすごい広範囲に渡ってるでしょう?あれもちょっとふつうはあり得ないんじゃないかなって思って。

小泉:たとえば、中世が好きな作家って中世のことばっかり書きがちじゃないですか。

小竹:そうよね。だけど古代から現代まで。

小泉:なにを基準にネタを選ぶんでしょうかね?

小竹:変なノンフィクションを読むのが好きなんですって。だからその変なノンフィクションの中で、なんとなく自分にピタッとくるものを見つけたら、それからそれに沿って調べ始めるみたいな。

小泉:テレシコワが子ども用の物語には自分を見つけられなかったけど、大人用の物語に自分をみつけたというようなことを書いているけれども、そういう感じで変なノンフィクションの中に自分を見つける…

小竹:たぶん。なんかそうみたいですよ。なんかあとがきにも書きましたけど、調べに調べた挙句、自分の語りに乗らないと思ったら、バッサリ切り捨てるんだって。だから、それこそ、膨大なデータを捨てながら生きているんだろうなと、この人は。

小泉:膨大なデータを捨てるというか、圧縮するというか、最後に研ぎ澄まされた数キロバイトみたいな。

小竹:贅沢ですよ。

小泉:現代に合っている。

小竹:ジム・シェパードがたくさん読んでくれているおかげで、読者は上澄みだけを、キュキュッと凝縮したものを愉しめる。

小泉:読むべきですよね、時間がなくて、活字離れしている人こそ!

小竹:そうそう、だって、あなた、通勤電車の中で一話読めちゃうでしょう?

小泉:そう、しかもただ読めるだけじゃなくて、

小竹:今まで触れたことのないような世界がそこにバーッと広がるわけじゃないですか。

小泉:映画1本観たようなですね!人間ドックを受けながらにして。活字を読まなくなった人にこそ。

小竹:たしかにね。

小泉:もうね、分厚いのもしんどいんですよね。『ロレンスがいたアラビア』もね、もちろん読みますし、きっと最高に面白いと思うんですよ。上下巻で。ただ、そういう読書が非常に困難な時代にはなっておりますと。

小竹:はっはっはっ(笑)

小泉:そういう意味でも、ジム・シェパードは最先端だということがわかりましたね。

小竹:たぶん、教職っていう定収入を得る道があるから、そういうバカみたいなことができると思うんです。だって、こんなにバカみたいなことはないんじゃないかなっていうようなことをしてくれている稀有な作家だと思いますよ。

小泉:半魚人の一人称とか、売れようと思って書ける小説じゃないですよね。

小竹:ない。だから「どうせいいんだよ、俺の本なんて誰も読んでくれないから」って思いながら書いているんでしょうけど、やっぱりほら、書きたくはあるんでしょうね。そういうものはあるんでしょうね。

小泉:そうでしょうね。書きたいものがあるから書くのであって、職業作家として食っていこうという人の書き方ではないですよね。

小竹:ではない。ええ。だったら、やっぱり1話を400ページとかにして、もうちょっと水増しして。

小泉:なんか今日話したら、膨大な情報を圧縮するっていうところで。

小竹:そういうところで注目されてもいい。

小泉:昨夜、この語らいの事前準備として、カトリックがどうとか、フラナリー・オコナーとの類似とかそういうやり取りをしたじゃないですか。今日の話はあまりそういう方向に行かなかったですね。

小竹:そう、たしかに。いや、なんて言うんですか、葛藤している人間っていうか、フラナリー・オコナーも、根底にキリスト教っていうのがあるはずなんだけど、そういう知識なしに作品を読む限りでは、すごいもうバイオレンスとか暴力とかグロテスクでねじくれたものしかない感じで。でもあれが本当のいわゆるキリスト教の原罪ってそういうものなのかなと。私はカトリックじゃないのでわからないのですが、

小泉:暴力性は似ていますよね。あと二人とも「え、ここで」っていう終わり方するじゃないですか。

小竹:そう。インタビューでね、ジム・シェパードが「文学っていうのは読者の自己啓発のためとかじゃなくて、だから読者がエピファニーを得るとか、そういうためにあるもんじゃない、文学っていうのはそういうためにあるもんじゃない」っていうのが、すごい面白くて、なるほどなあって思っちゃって。アリス・マンローなんかも絶対そういうタイプだし、確かにそうだよなと。だからあんまり読まれないというか。

小泉:なんか啓発してくれないと読まれない。

小竹:本人もそれをわかって書いているんじゃないかなって思って。

(終わり)