母袋夏生さんと、『突然ノックの音が』について語る

小泉 私がエトガル・ケレットを知ったのは、小竹由美子さんが訳されたネイサン・イングランダーの短編集の中で、エトガルの話が元ネタっていうエピソードからで。エトガルはこの話を小説にしない、と。だったらそのネタもらっていいか? みたいなやりとりの末、ネイサンが『若い寡婦たちには果物をただで』という短編小説を書いたという。

母袋 そうそう。あれは、「この話、もらっちゃっていい? 」ってなったときに、自分は歴史的な事実を物語る作家じゃないからいいよって言ってあげたって。第2回文芸フェス(東京国際文芸フェスティバル)のときにエトガルが言ってましたね。

小泉 第2回文芸フェスってエトガルも来ていたんですか?

母袋 もともとは、ネイサン・イングランダーが招待されていたんですって。で、ネイサンが「友達連れてくけどいいか? 」と。文芸フェスのほうで「いいですよ、ちなみにお友達ってどなたですか? 」って聞いたら、それがエトガル・ケレットだったっていう話で(笑)。それで、「あれ? エトガル・ケレットね」ということになってお声がかかったんです。

小泉 じゃあ、その時には『突然ノックの音が』が出るっていう企画はまだなかったんですか?

母袋 これ、ちょっと話がややこしいので説明いたしますね。2014年の3月の文芸フェスに、ネイサン・イングランダーが、正式な招待客として登壇することになった。そしたらネイサン・イングランダーが友達を連れて行っていい? と言ってきて、それがエトガル・ケレットだった。

小泉 はい(笑)。

母袋 で、エトガル・ケレットってそういえば…っていうことで、新潮社の編集部の須貝さんと佐々木さんが、「おや、そういえば」と。これは推測ですけどね。

エトガル・ケレットの翻訳が出るまでの長い長い話

小泉 それが『突然ノックの音が』の原稿だったんですか?

母袋 いいえ。エトガル・ケレットは『突然ノックの音が』の前にも何冊か出していて。『キッシンジャーが恋しくて』(注:日本では未訳)が急に人気になったときに、日本に留学しているイスラエルの学生が「これ、すごくおもしろいから読んでみるといいよ」って、お土産に持って来てくれたんですね。パラパラってめくって、その時にはね、おもしろいと思わなかったの。

小泉 なんと(笑)。

母袋 でも、そのあとも出た作品を、誰かが持って来てくれたり、送ってくれたりして、読んでみたら、「おもしろいかもしれない」と思ってちょこちょこちょこいじっているうちに、「あ、訳そ」って思って。

小泉 すばらしい。

母袋 私、暇なんです(笑)。それで、この『キッシンジャーが恋しくて』の中のいくつかを訳しました。

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ヘブライ語版『キッシンジャーが恋しくて』

小泉 これはヘブライ語版?

母袋 そうです。

小泉 エトガルの作品は、全部ヘブライ語で書かれているんですよね?

母袋 そうです。これが、Pipelinesの次に出た、大人向けの作品なんですけれども、よく読んでおもしろいのだけ訳して。その次に『アニフ』っていうのがあって、その次がこの『クネレルのサマーキャンプ』で。

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ヘブライ語版『クネレルのサマーキャンプ』

小泉 あっ。これ、英語版のペーパーバックを持っています!

母袋 あ、そう?

小泉 あ、違うかも。このマークっていろんなところに使われているんでしたっけ?

母袋 そうそう。エトガルは自分のロゴマークみたいに使っていますね。これすごく洒落た表紙だと思って気に入っているんですよ。で、何冊かから、好みのもの、あるいは日本人に向くものっていうのを訳し溜めたの。で、この中に、『クネレルのサマーキャンプ』という、中編くらいのものがあって。

小泉 エトガルにしては長い。

母袋 日本語に訳しても70ページくらいになるんですよね。で、それが、こんな感じにね……。

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小泉 あ、これ漫画ですか? !

母袋 そう。アサフ・ハヌカっていう、作画家と組んだんです。それで『ピッツェリア・カミカゼ』というコミック・ノベルになって。

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小泉 ちょ、ちょっとこの吹き出し! お手製ですね!

母袋 ふふ(笑)

小泉 あ、ちょっと、はがさないでください!(笑)。これ、日本語では全く出版されていないんですよね?

母袋 残念ながら。この『ピッツェリア・カミカゼ』を出してもらおうと思って、ある出版社に持っていったことがあるんです。そしたら、日本ではフランス風のコミックって好まれないんだって。

小泉 たしかにフランスのグラフィックノベルって独特ですよね。

母袋 そう言われて、もう、ぺしゃん…。でも、これは『Wristcutters – A Love Story』という短編映画になってアメリカで上映されたりしました。

小泉 中編小説『クネレルのサマーキャンプ』から、コミック・ノベル『ピッツェリア・カミカゼ』と映画『Wristcutters – A Love Story』が生まれたわけですね。

母袋 そう。『クネレルのサマーキャンプ』っていうのは、この世とパラレルの来世があって、そこは自動的に自殺した人間だけが送り込まれる世界。で、そこに失恋からリストカットした男が送り込まれて、彼は恋人に未練を残しているのね。でもまあ、そこで割合とのんきにビール飲んだり、カミカゼっていうピッツェリアで働いたりしていたんだけど、あるとき「彼女もこっちに来てるぜ」って情報が入って。そこで友達と一緒に元恋人を探しに行くんですよ。友達の車に同乗して、二人で旅をして、途中でまたちょっと自殺者にはとても見えない美しい女性を拾ったり。その女性は「私、間違ってここに来ちゃったの。だからここの責任者に会って向こうの責任者に送り返してもらわなきゃ」っていうような。いろいろあるんですけど、おもしろいの。すごく風刺があるし、おもしろい。で、ラストもいいんですよ。なんとなしに、いかにもケレットらしい哀感の漂う風で。エトガル、やっぱりおもしろい!と思って(笑)。これを含めて、1冊分の分量になった……。

小泉 ……すでにいろいろ訳されていたんですね。

母袋 この14~5年? ケレットおもしろい!って思って、ここから何篇か、ここから何篇かって訳し溜めていって、何社かに持ち込んだんだけど、没になって。あー、まだケレットの時代は来ていないんだって思って、引き出しにしまった。

小泉 引き出しにしまった。

母袋 没になると凹むんですよね、私。

小泉 そりゃそうですよ!

母袋 凹むというか、忘れようとつとめて1年くらい忘れて(笑)。でもふと思い出して、やっぱりもうちょっとがんばろうかなと、また、読んでいただけないでしょうかと、そんなことの繰り返し。でもあるとき、大きな出版社で、一度、まとまりかけたんです。編集部は大乗り気だった。その頃、私は自分で持ち込むという元気をなくしてしまって、代わりにやるっていう若くてありがたい友達がいて、彼女が私がエージェントになるわってがんばってくれて、それがうまい具合にまとまって、そろそろ重役会議というところで、エージェントとの金銭的な問題でポシャっちゃったんですよ。

小泉 それは版権料で合意せず、とかそういう話ですか?

母袋 なんなんでしょうかね。そういう話が全然私には入ってこなくて、だめになっちゃったもんですから、ああ、もう……と思ってました。2013年の夏くらいかな。その友達が新潮社の佐々木さんのところに持っていって。……あ、これ書かないでね(笑)。

小泉 いや、いますごく大事な話を!新潮社の佐々木さんですね。

母袋 それで、まあ、編集部にはいっぱい持ち込み原稿がありますからね。でもたまたま、秋口から冬にかけてっていうところで、文芸フェスの話が、にわかに持ち上がって。そういえば、エトガル・ケレットの原稿あったなって思い出してくださったらしい。それとは別に、たまたまケレットの、英語からの翻訳を出したいっていう人も現れていたようなんですね。文芸フェスは3月だから、間に合う!となって編集部では、ヘブライ語から訳して出そうという話になったんだろうと思います。で、お声がかかって、新潮社をお訪ねしたら、「この、『突然ノックの音が』を、3月に出したいので、大至急取り掛かってもらえますか」と。

小泉 急な展開ですね!

母袋 でも、私、即座にお断りしたんです。

小泉 え(笑)。

母袋 「できません」って(笑)。だって、ケレットって読むのはおもしろいけれど、1篇訳すのにエネルギーがいるんですね。長編だとダーッと訳していける、ある程度の分量のものは。でもケレットの掌編はひとつひとつの世界が違うし濃密じゃないですか?

小泉 それ、小竹さんもジム・シェパードか、アレグザンダー・マクラウドか誰かのときに、同じようなことをおっしゃっていました。短編でさえ凝縮していますからね。エトガルの掌編となるとさらに。

母袋 世界が全然違うから。1~2篇訳すのが精いっぱいだと思いますと。もちろん、須貝さんも佐々木さんも優秀な編集者ですから訳者の事情をすぐに理解されて、じゃあ、いつまでだったら訳せますか? と聞かれて、1年って。

小泉 最初に2014年3月までにって言われたのはいつだったんですか?

母袋 2013年11月下旬。

小泉 ああ、それはつらいですね。

母袋 おまけにちょっと、たまたま自分で仕込んで形にしなければいけないものがいくつかあったり、発表しなければいけないものが重なっていたんで、ちょっと切羽詰まっていて。

小泉 暇なときはたくさんあったのによりによってこの繁忙期に…!みたいな。

母袋 そもそもがケレットの作品について、ちょっと話したいので……って言われたときには、こっちの持ち込みのほうだと思ったんですよ。

小泉 これまで訳し溜めていたものですね。引き出しにしまわれていた、何年ものですか。

母袋 10年から15年くらい? 今日のために友達が持っていった既訳稿を読み返したらやっぱりおもしろいんです、佐々木さん、思い出してくださらないかしら。

小泉 佐々木さん、きっと思い出してくださいますよ。でも、今回訳してくれと言われたのが、『突然ノックの音が』だったわけですね!

母袋 これがヘブライ語の原書。

小泉 要は、最新刊、みたいなことですよね。

母袋 そうですね。大人向けのものとするとね。

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ヘブライ語版『突然ノックの音が』

母袋 私、読んではいるけど訳し切れていないよという作品集。そうしたら、3月までに2~3篇、仕上げてください、それは大丈夫でしょうっていうことで、ハイっていうことで、4篇くらい仕上げて、お渡ししたんですね。それで、では1年後くらいに全部の訳をくださいねっていうお約束になりました。

小泉 ちょっとまとめますと、文芸フェスにネイサン・イングランダーが友達を連れていってもいいかいと聞いた、その友達がエトガル・ケレットだったということで、新潮社ではクレストから最新作を出すことが検討されて、出版が決まり、母袋さんが訳している最中に文芸フェスが開催され、エトガルも来ました、ということですね。長い道のりでしたが、最終的にトリガーを引いたのはネイサンとエトガル自身でもあったのですね。

文芸フェスにて

小泉 文芸フェスでエトガルが来日したときは、母袋さんはお会いしたんですか?

母袋 ええ。翻訳が決まっていたので。通常、私は暇な人間ですから、全訳してから著者に訊くんですけど、今回は訳す前に会うので、とりあえず原文と英文をつき合わせて疑問点をいっぱい並べて、クリアにしておかないと、彼の意に染まない作品になっちゃう、日本語とのずれが生じたりすると大変だと思いました。だから、文芸フェスの合間に、会ってちょうだいとお願いして、それで宿舎であるニューオータニで、眠いっていうのを(笑)、がんばれ!って励ましてお茶を飲みながら。

小泉 なんだか楽しそうですね。ここはどうなんだ、ここはどういうことだと質問攻めに……。

母袋 どう思ってるの? って。

小泉 贅沢ですね。眠い著者本人に直接「どう思っているの? 」って。

母袋 それに対して、小泉さんももうケレットにお会いになっているからお分かりのように、すごく誠実に答えるでしょう? いちいち、なんだろう? 相手の立場を慮って。

小泉 そうですよね。すごく空気を読むっていうか。小説を読んでいてもそうだけど、こう言ったらこうなりそうだから、こうしようかな、みたいな気配りが。

母袋 傷つけちゃいけないっていう心配りのある人で。イスラエル人では珍しいですよ(笑)。

小泉 そうなんですか(笑)。あの、えっと、ヘブライ語で会話されるんですか?

母袋 ええ。

小泉 なかなか、訳している最中に本人に会ってあれこれ聞けるなんてチャンスないですよね。

母袋 そうですね。私の場合は、さっき申し上げたように、訳しながら疑問点を箇条書きにしていくんです。で、つまらないことでも気になったら訊く。言葉ひとつにこだわっちゃって訊くこともあるんです。それで、会うと、明日1日私のためにとっておいてねって。エトガルの場合は、まだ訳してないので、いくつかピックアップしたものの中の質問が多くなり、まあ、会う前にできるだけ読んでおこうと思って、読んでて、ん? と思ったことなんかを訊いて、クリアにしておこうっていうことでしたね。

エトガルと母袋さんの出会い

小泉 エトガルと母袋さんって、その前から連絡を取り合ったりしていたんですか?

母袋 これが出る2年前に、テルアビブで会っています。エージェントの人と3人で会ったんですけど。さらにそれより1~2年前、イスラエルに行ったときに翻訳協会のボスと話していたら、エトガルがあなたを音楽会に招待したいといっているといわれました。その時は、それはすごくありがたいけど、お断りくださいって。

小泉 なぜ(笑)。

母袋 だって、いろいろと。そしたら、じゃあ、あなたが自分で断ってって(笑)。え、なんで、私知らない人よ? っていうと、いや、彼はあなたにシンパシーを感じているし、ちゃんとあなたのほうからご挨拶してくれない? って。私はシンパシーなんてまだ感じてなかった(笑)。

小泉 感じてください(笑)。

母袋 でも強引に携帯番号を渡されちゃったから、電話したら穏やかな、ゆっくりしたトーンでしゃべってくれて。努力はしているんだけど本を出せなくて、本当にもうしわけないですって言ったら、あなたが努力してくださっているのはよくわかっているし、ありがたいことですって。出ないのは本当に残念だけどって。音楽会はJazzかなにかの人とのセッションでケレットも朗読をしてっていう催しだったかもしれないです。

小泉 もったいない。

母袋 で、その翌々年かな。テルアビブで会って。奥さんが映画の仕事で忙しいから、早く家に帰らないといけないながら、一生懸命話してくれて。でも日本語版がなかなか出ないということに関しては、日本人は僕の作品が好きじゃないのだろうかと不安がってましたね。だからそのあとに、秋元孝文さんのブログを……あれは誰に見せてもらったんだろう? ……とにかく、こういうのがあるのよって見せてもらって。ああ、エトガルの作品を好きな人がいるんだってすごく勇気をもらいましたね。

小泉 秋元孝文さん。『あの素晴らしき七年』を翻訳された秋元孝文さんですね。

母袋 そう。秋元さんの訳、いいですよね。『突然ノックの音が』を英語バージョンから訳したいと編集部に言っていたのも秋元さんだった。でも、これはそもそもがヘブライ語で出ているものだからヘブライ語でいきましょうと、編集の方は決断くださったんだと思うんですね。それは本当にありがたいなと思って。で、文芸フェスが終わって、夏前には仕上げました。実際に動き出したのは秋くらいで、翌年のエトガルの来日に合わせて出版しましょうと。初お目見えの作家を招待するなんてすごいことですよね。普通は有名な作家じゃないと招待されませんよね。その辺がすごいなと。

小泉 前の年はネイサンの友達枠だったのに、一躍。文芸フェスの翌年、早稲田に来たときですね!それ行きました。円城塔さんと、都甲幸治さんと、エトガルっていう素敵トリオでしたね。

母袋 そう。あの会は、完璧に新潮社の招待っていうことでした。初お目見え作家なのにすごく熱いもてなしを受けて、本当に感謝なさいねっていう(笑)。ずいぶん、佐々木さんのお世話になりました。

小泉 エトガルも旅行好きみたいですよね。わりとあっちこっち行っていますよね。

母袋 いろいろな理由を付けているけど、たぶん、あの人は、ただ飛行機の旅が好きなんだと思うの(笑)。

ヘブライ語から英語へ、英語から日本語へ

小泉 今日、聞きたいと思っていたのが、エトガルが早稲田に来たときに話していたことなんです。あの日、エトガルが、ヘブライ語ってすごく古い、いにしえの言葉と、最近の建国後の新しい言葉がいっしょくたになっていて、そのおもしろさがあって、それが英語になると失われてしまう部分が少なからずあるんだけど、まあ、それでもいいと思っているというようなことを言っていたじゃないですか。それを聞いて、英訳から日本語にするのと、ヘブライ語から日本語に起こすのとまったく違うものになるのかと思ったんですけど。

母袋 まったく違うというわけではないです。違うものにはならないけど、どうしたって重訳だから、言語を一つ通ると、そこにその言語の訳者の解釈が入りますよね。だから重訳だと、どうしても少しずれていくっていうことがある。この作品にもそれがあったんですね。そのことを、文芸フェスに来たときに、ニューオータニでエトガルに聞いたんです。

小泉 ニューオータニで捕まえて。

母袋 それを聞いたときにね、どこかにノートが……(ガサゴソ…)(鞄をあさる)。

小泉 なんか、ただならぬオーラを発している…表紙だけ撮ってもいいですか、そのノートは。それはエトガル・ノートですか?

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母袋 いや、これは教文館で朗読会をやった時のノートが半分残ってたから(笑)。で、まず、英語版とヘブライ語版を読み比べたら、ん? 原文と違うんじゃないって思う場所がいくつかあったんですね。その点について訊ねたら、彼は英語ができるから、翻訳者と十分に話し合って、納得して英訳版を出してもらっているけれども、アメリカの読者、あるいはイギリスの読者にわかってもらうために、翻訳者の自由裁量も入ってくる。そうすると、訳者の意図が盛り込まれ過ぎちゃって、ピンボケになるというか、ちょっとずれるというケースもある。でもそれは致し方ないことだと思う、と彼はいうのね。とにかくマイナー言語の場合は、例えば日本語の場合だって、英訳されると、他の言語に広がる可能性が大きくなりますよね。たとえば村上春樹がいい例です。村上春樹の場合は、3人だったか、優れた翻訳者がいて、それでその人による英語版が出て、そこから各国語に訳されていくっていうことが多い。

小泉 なるほど。英語版から訳されていくんですね。

母袋 ……というケースが結構ある。村上作品のヘブライ語版は日本語オリジナルからたいていが訳されてますけど。昨日調べたんですけど、村上春樹って、ヘブライ語版で18作出ているんです。ほとんどが日本語から直で訳されてます。イスラエルには日本語ができる翻訳者が5指を超えるんです。

小泉 そんなにたくさん!

母袋 文学が好きですよね。エイナト・クーパーという翻訳者がいて、彼女が大半を訳しているんですけど、英語からの翻訳もある。たとえば、『ねじまき鳥クロニクル』は英訳から。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も英訳版からですね。そういう点では、もう、しょうがないじゃん!っていうところはある。作家にとっては多くの国のいろんな人に自分の作品が読まれるってことが大切で、そのためにエトガルは諸国行脚をしているわけですからね(笑)。朗読会をやって、言葉を尽くして説明して。すごいと思う。

小泉 エトガルって英語で朗読したじゃないですか。『パイプ』を。

母袋 そうだっけ?

小泉 ええ、確か。『パイプ』の英訳を配って。で、私、エトガルのしゃべる英語が大好きなんですけど。モノマネとか練習しているんですけど(笑)。すごくはっきりしゃべるじゃないですか。

母袋 ネイティブじゃないからね。

小泉 エトガルの英語の朗読が本当に大好きで。自分の書いた言語ではない言語で朗読しているのがすごいなと。

母袋 支障なく英語しゃべりますね。

小泉 あの早稲田の日も英語でやり取りをされていましたよね。エトガルが英語で話して、それを通訳の方が訳して、でも、どうしても、ギャグとかがワンテンポ遅れるじゃないですか。そうすると、おもしろい話なんだけど、英語の時点でちょっと若干わかってプって笑っている人と、通訳を待ってからちょっと笑う人と、なんか笑うタイミングを逃した人と……、

母袋 そう、わからないって人もいるのよ(笑)。

小泉 なんか、みんな時間差で微妙な反応をするので、要は、ドッと笑いが起こる、みたいなことがなかったじゃないですか。それで、休み時間に、円城塔さんが会場に早めに戻ってきて「ええと、ケレットが笑いを取れない、これでいいのかと悩んでいるので、もっと気軽に構えて下さい」とか言って、それが一番ウケたりしていて。

母袋 うん、そうだった(笑)。

小泉 エトガルがまた、ニヤニヤしながら通訳の方を見てるんですよね。ウケるかな? ウケるかな? おもしろいところ、もう訳したかな? って。

母袋 通訳の人もなかなかうまかったですよね。

小泉 あの間がユーモラスでしたね。あの、一番最初に『パイプ』を書いた時のエピソードあるじゃないですか。兵役のとき、コンピュータールームでの仕事中に書いて、シフト交代の次の人に「読む? 」って聞いたら、「Fuck You」って言われたっていう。あれ、ヘブライ語でそれに相当する言葉を言われたのか、それとも本当にFuck Youって言われたのか、まずわからないのと、さらに、通訳の人か「彼は言いました、おとといきやがれ」って真面目な顔で通訳するので(笑)。そうすると、どこでどういうタイミングで笑っていいのか、どうしたものかと。

母袋 訳として「おとといきやがれ」の方がよかったんじゃないかしら(笑)。エトガルの本の中にはけっこう英語がちりばめられているでしょう。でも、それに抵抗がある人もいるのよね。

小泉 エトガルは笑わす気まんまんで話していて、都甲さんも円城さんも、私たちも、笑う気まんまんで聞いていて、通訳さんも上手に訳しているんだけど、みんなのピントがちょっとずつずれて、それをエトガルが「ウケてない…!」って思っているっていう、その全体をひっくるめて、いいなあと。そんな大爆笑にならなくても私はいいと思ったんですよね、あの間合いがおもしろくて。エトガルがニヤニヤしたり、不安そうな顔したりしていて。こちら側もちょっとハラハラしていて。

注を避ける

小泉 なんか、例として、ヘブライ語から英語へのプロセスで変わってしまうっていう、そういうのってありましたか?

母袋 ありました。ただ、まず私、エトガルが、英語版で自分の作品が広まったから、それはすごく尊重したいっていう姿勢がわかった。

小泉 だから英語で朗読もして。

母袋 でも、たとえば、この、『金魚』の場合は、英訳者の付け足しがけっこうあるんです。

小泉 補足みたいな感じですか?

母袋 そう。これはネイサン・イングランダーが訳しているんですけど。まず、原題は『金魚』だけれど、What, of this Goldfish, Would you Wish?って補足している。それ以外にも、ネイサンは作家だから、これじゃあアメリカ人にはわからないよって付け足しちゃったところがあるんですね、けっこう。こういうところ。ほら。

小泉 これは、その線が引いてあるところが付け足された部分なんですか?

母袋 そうそう。だから、必要ないのにっていうような、このあたり。

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母袋 で、私はヘブライ語オリジナルからいきますって言ったら、もちろん、それが一番のぞましいですって。でも、たとえば、原文ではティラとあるが、英訳ではヘブロンになっているが、これはネイサンが意図的にヘブロンにした。ティラじゃアメリカ人にはわからない。だから、よく知られている自治区のヘブロンにするって。ああ、それはそうね、ティラじゃ日本人にもわからない。新聞に頻繁に載るヘブロンならパレスチナ自治区だとわかるものね、と私もいって。

小泉 そこはネイサン案採用、みたいな。

母袋 地名に関してはそんな風に具体的に見ていきました。人名はね、アメリカではポピュラーじゃないから、アメリカ人に通じる名前になったっていうのがいくつかあるんです。日本語版は原文通りです。ただ、「アリ」っていう作品。あの「アリ」はオリジナルでは「イラン」なんです。ああいう場面では、「イラン!イラン! イラン!」より、「アリ! アリ! アリ!」の方がピンとくるだろうと。

小泉 あのシーン…そうなんですか(笑)。

母袋 深読みするんですよ、私(笑)。

小泉 その「アリ」っていうのは、英語版での名前なんですか?

母袋 英語版での名前です。エトガルは作品を、イスラエル人の読者や聴衆を念頭において書いているから、効率よく意味が通じる地名や人名を選んでいるわけですよね。あるいは固有名詞や書名はフィクション世界が広がる象徴的なものを選び出して書いている。だけど、日本人にはのっぺらぼうな地名だと言われれば、ほんとうにその通りだと言うんですよね。だから、ティラがヘブロンに変わったように、ちょっと註釈みたいなものを入れてくれないか、ただし、地の文で、と。

小泉 地の文に入れちゃうんですか?

母袋 入れちゃう。注は避けてほしいっていうのが、彼の一番の意向で。注が入るとなめらかな読みが妨げられるからいやだって言うんです。ところで、カッコ括りであっても本文と同じ級数で入っているのは注じゃないんです。作家のテクニックのひとつです。

小泉 どこですか?

母袋 たとえば、「カプセルトイ」。

小泉 ここのカッコ書きのところですか?

母袋 そうです。「(自爆テロ犯に報復することは事実上不可能で)」っていうところはエトガル本人の文章です。で、それでも注を入れないと日本人にはわからないものもあるのよねって言ったら、そういう場合は最低限にしてなめらかな読みを妨げない程度の短い注にしてほしいと。できるだけ地の文に溶け込ませてくれと。

小泉 けっこう高度な要求ですね(笑)。

母袋 そう。すごくはっきりしているのが、たとえばね、なんだったかな、「青い大きなバス」。166ページのところに「クレンボ!」って出てきますね。

小泉 「クレンボ、クレンボ、クレンボ!」

母袋 そう。これは原文ではクレンボだけ。でもクレンボじゃわからない。通常ならカッコで注を入れるんですけど、「メレンゲクリームをチョコでくるんだ」という風に地の文に入れる。英語ではここはチョコレートバーです。

小泉 おお、だいぶ違いますね。じゃあ、さっき、線を引いていた、ネイサンによる補足も、日本語では削っちゃう場合もあると。

母袋 原文に忠実に、です。

小泉 でも、ここは、英語から訳していたらチョコバーになっちゃっていたということですよね。

母袋 あと、私が地の文に溶け込ませながら補足したところは、「鼻水」の91ページの最後の方。「息子は中国人が『お大事に』を『タルギッシュ・トヴ』と単数形でいわないで、『タルギッシュー・トヴ』なんて複数形でいうのは変だと思う。だって、病人は自分だけなんだから」。これも、「なんて複数形でいうのは」っていう部分は私の付け足しです。「タルギッシュ」と「タルギッシュー」の違いは、ヘブライ語を知っている人にはすぐわかる。けれど、日本の読者にわかってもらうべく、地の文に溶け込ませる。私この作品好きなんですよね。

小泉 これいいですよね。

母袋 哀感があって。450シェケルって、だいたい1万2000円なんですよ。高いでしょ?

小泉 高い。

母袋 なのに、通わなきゃいけないのよ。1週間も。

小泉 しかも漢方でっていうのが(笑)

母袋 彼自身がね、漢方にかかっていたんですって(笑)。

小泉 お、まさかのBased on true event だったんですね(笑)。

母袋 そう。鍼やってて。で、どうだった? って聞いたら、なんかね、ケンカして止めちゃったんだって(笑)。

小泉 『あの素晴らしき七年』を読んでると、けっこう怒りっぽいような気も……(笑)。

母袋 それとね、「サプライズ・パーティ」の英語版ではブロックで入れ替えているんですね。どういう具合かっていうと。217ページの「カードには一言だけあった。ごめん」から、219ページの「『すまない』口髭がいう」に続けちゃってるんですね。

小泉 へえ。

母袋 つまり、「ごめん」もSorry、「すまない」もSorryだから、Sorryつなぎにしようと思ったんでしょう。たぶんね。それでつなげちゃった。英訳は。

小泉 つなげちゃっているっていうのは?

母袋 つまりここの「一本眉」のくだりを後にまわした。

小泉 ああ、ここのブロックが順序が逆になっているっていうこと?

母袋 逆になっている。両方ともSorryだから、くっつけたのねってわかったけど、私はたまたま、英訳に頓着しないで原文を訳していて、「申し訳ない」よりも、この男の感じだと「ごめん」だな、と思ったから、カードには「ごめん」で、一方、口髭は支店長ですからね、「ごめん」なんて言わないだろうということで「すまない」とした。ここも原文通りにしました。でも、行変えなどは英訳を参考にさせてもらいました。

小泉 そうなんですか。

聖書と朗誦文化

母袋 ほら、原文は改行がほとんどないでしょう。

小泉 はい。全然読めませんけど、改行してないことはなんとなく察します。

写真 1970-02-11 12 04 54母袋 これね、エトガルは作品を書いたらそれを朗読するのね。

小泉 それはヘブライ語で?

母袋 ええ。で、朗読して、それで読者がウケるかウケないかという反応を見る。

小泉 やはりウケるウケないが大事なんですね。

母袋 その時の朗読は途切れちゃいけない。

小泉 ああ、早稲田のときは、途切れていたから。

母袋 リズムで持っていかなきゃならない。……っていう風にイスラエル人は思っている。

小泉 落語家か!

母袋 そうね。一番顕著に現れているのがこれ。

小泉 表題作、『突然ノックの音が』ですね。

母袋 リズムがあって、その中にスラングがあって、外来語や借用語が入っててっていう中で、高尚な作家ではなくてその辺の作家が立ち往生しちゃっている状況をこの作品は示したいわけですよね。

小泉 そうですよね。書かなきゃいけない、なんか話をひねり出さなきゃいけない。

母袋 でも無から何も生まれないんだっていう葛藤がある。

小泉 「突然ノックの音が、は、ナシだ」とか言われて(笑)。

母袋 そうそう(笑)。そのリズムを続けていきたいから極力行替えしない。だけど日本語の場合ね、行替えしないと、どうしてもストーリーのつながりが悪い作品もあって。

小泉 場面が転換したのがわからなくなりそうですよね。

母袋 それの、いい例が、どれだったかな。ほら、偽装結婚した話があるでしょ。

小泉 「セミョン」ですね。

母袋 そうそう。28ページ。兵士と女性士官とオリットの立場と人物像をはっきりさせるために英語版に準拠して行を替えた。その方がストーリーが浮かんでくるから。

小泉 これは、ヘブライ語版だと、この、この行が、こことくっついているってことですか?

母袋 ほら。

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小泉 ほんとだ…って、全然わかんないけどくっついている感じは伝わってきます。すごいですね、これ。こういうのがずっと続いちゃっている感じですか?

母袋 そうそうそう。立て板に水っていう感じで。

小泉 落語ですね。

母袋 全部続けていく。切らない。彼の朗読ってリズムをつけて続けっぱなしでいきますよね。リズムがあって、聴衆はそのリズムにも感じるところがあるわけです。ヘブライ語って朗読文化の言語なんです。そもそもが聖書ですね。日本はキリスト教的解釈で聖書を旧約と新約に分けるけれど、ユダヤ人にとっては聖書とは、我々がいうところの旧約聖書。その聖書の最初の五書を「モーセ五書」といい、1年かけて朗誦する。小学校から聖書を習うし、「箴言」や詩を暗誦する。朗読会が盛んだし口承文化が残っている。

小泉 なるほど。

母袋 もうひとつ、イスラエルの義務教育は高校までで、大学入学資格試験というか卒業試験を受けないといけない。フランスのバカロレアみたいなものです。で、高校の授業では「聖書」「国語」「文学」が別々にある。「国語」は学校によってアラビア語の場合もありますね。それで、「文学」では推奨本のリストがある。古典から現代文学まで、翻訳ものも入っているし、戯曲も詩も短篇も入ってる。その中からクラスで先生と生徒が相談して、今年はこれとこれを読もうと決める。そして、読んで自由討議するんです。それぞれがほかより優れた意見をいおうと勉強するから、深い読みができるわけです。この討議の仕方が、タルムードの学習に通じるものがあるんです。

小泉 タルムード?

母袋 タルムードは大雑把にいって聖書の解釈の集大成なのね。モーセがシナイ山で神から授かったといわれている「モーセ五書」を筆頭に、聖書には、歴史書や預言書、詩篇や雅歌などがあるけれど、基本はこの五書です。このへん、わたしは詳しくないんです、ほんとのところ。ともかく、五書を丁寧に読み込み、議論して解釈を深めていったわけですね。学者たちはさまざまに解釈して議論した。そして、議論では質問を重視した。多角的な読み解きをすれば、思考も柔軟になる。この、結論を出さずに討論して解釈を深めるという学習法を「文学」の授業でもやっているのね。たとえば、ケレットの、「アリ」について批評をするとしますね。あり得ないけど(笑)。「アリ」について討論し、いや、それは違うだろう、ここの言葉はこういう意味で使っているんじゃないのか? っていう風に「アリ」をこっちから、あっちから、見る。高校の授業でそういうことをやっている。家庭でも親のいうことを聞いてればいいのよなんてことはない。意見を言い合って育っていくんですね。

小泉 なるほど。エトガルを見ていると、つくづく小噺体質なんだなと思っていたんですよ、ずっと。

母袋 引き出せば、ポロポロ出てきますからね。

小泉 なんか、物事のとらえ方が全部小噺単位で、同じ話をいろいろなところでしていて、エッセイにもしているじゃないですか。それで、だんだん磨かれていったり、ちょっと話変わったりするのかなとか思って。

母袋 そう思います。ブラッシュアップしていくものね。スウェーデンに行った話、インドネシアに行った話、日本に来た話、質問に応じて、あ、これを出そうかなってやってるんだと思う。感心したのは、新刊記念で来日した折のインタビューがいろいろな新聞に載ったんですけど、それぞれの記者さんに、それぞれに違う話をしたらしく、みんな違ったケレット像を書いているんですよね。

小泉 それぞれに違う小噺を……

母袋 それぞれに対して、誠実に、丁寧に答えている。

タルムディック!

小泉 ヘブライ語について、もう少しお聞きできればと思います。

母袋 ええっと、まずヘブライ語はセム語族です。セム語には古代バビロニア語、ハンムラビ法典の言語ですよね。それにアラビア語、これはコーランの言語ですね。ほかにフェニキア語、これはアルファベットの元になっている言語。ヘブライ語は、このセム語族の言語で、22文字の子音で成りたっていて、右から書く。紀元前11世紀頃に起源を求めることができて、聖書時代には3万語くらい使われていたそうです。聖書には約8千語が使われていたといわれている。8千語であれだけ膨大な量と内容を書くということは、それぞれの語の含意が多くて、コノテーションが広いということになりますよね。その後、その聖書の解釈について、何世紀も議論を重ねてきた。解釈も時代に合わせて少しずつ動いていく。それを口伝、つまり口承でやってきた。ところが戦争があると教え自体が途絶えるおそれが出てきた。それでまず解釈をまとめたミシュナーが3世紀に、それをまた深めて、6世紀にタルムードにまとめられたんです。タルムードには聖書の法規の説明をしている説話があって、この説話は、あなたもこないだお読みくださったっていう。それも入っているのね。

小泉 『お静かに、父が昼寝しております』ですね。

小泉 これ、不思議だなあと思って読んでいたんです。そういう背景があっての説話集だったんですね。それで、エトガルも小噺だし、小噺民族なのか? !と。

母袋 そう。そういう要素がエトガルの作品にはありますね。多面的に物事をとらえているでしょ? だから私は、そういう風に、この間読み返して、あ、やっぱりタルムディックだなって。

小泉 タルムディック。

母袋 そう、ユダヤ人的だな、と。ユダヤ人の発想には生き延びていくためには、こうでなければいけない、っていうものがない。とても柔軟に、この場合はどうすればいいんだろう、えー、どうする? みたいな。フレキシブルに考えていくようですね。しかも困ったときほど、ユーモアや風刺を駆使する。

小泉 あの、ネイサン・イングランダーの短編に『曲芸師』っていうのがあって。あれもそういえば、とてもユダヤ的な人たちが出てきて、ユダヤ的にありえない苦境に信じられないくらいのユーモアをもって対応する話でした。あれもある意味、タルムディックかもしれない。

母袋 ケレットの場合は、一人で呻吟して、そして、自分の言いたいことはこれだって書いてみる。人にはしゃべらない。そして、それを、うーん、どうも饒舌だなと思って縮める。っていう風に推敲に推敲を重ねて、彫琢して、掌編にしちゃう。わかってもらえるだろうって期待を込めて書き上げて、出版社に送るか、朗読するか。

小泉 ああ、そうすると、縮めているときは、読んだときのことを考えている。縮めてから読んでみる、そしてまた直す、みたいな繰り返しをしている。

母袋 相手にわかる作品じゃなきゃいけないわけですよ。エトガルは、『The Seven Good Years』の中でも、すごく身近な話であっても、削りに削っているという雰囲気があるんですよね。あの本はヘブライ語で書くけれど、ヘブライ語版では出さないとエトガルは決めていた。なぜなら、家族の目に触れるから。家族のことを書いているから、傷つけてしまう。創作を書く分には構わないですよ。だけど自分の普通の生活のエッセイで書く場合は、傷つく人がいるだろうし、何よりもお母さんの目に触れさせたくないっていうのがあったという。

小泉 なるほど、『The Seven Good Years』はヘブライ語で書かれていて、ヘブライ語の原稿は存在するんだけど、それは出版されておらず、英語版だけが出版されているということですね。

母袋 とりあえずは英語版にする過程で、いっぱい推敲して削ってるんだと思います。決定稿が出るまで、けっこう時間もかかったみたいですね。自分の現実の生活に関してのエッセイであっても推敲し、削って、出版する。

小泉 呻吟して、「あ、ここちょっと長いな、ダレるかも」とかやっているわけですよね。おもしろいですね。

母袋 だから、この『あの素晴らしき七年』自体が、読んでいるとすごく客観的ですよね。すごく主観的なことを書いているにもかかわらず、客観的に物事を眺めているなって。

小泉 俯瞰してみている。

母袋 最初にのめり込んで書いたものから、今度は、客観的に読んでいって、ここは削ろう、ここは付け足してっていうようなことをたくさんする。創作は自己との対峙である、とケレットは言っているんですよね。コミックスとかそういうものは仲間内でふざけあう感じで、映画の製作はパーティにでかけるようなものだと。映画の製作は自分ひとりの意思で決定できないわけですよね。お金の問題や、いろいろな制約の中でものを作り上げなければならない。そういう具合に、工夫しながら、絵本だったら絵本で、自分の伝えたいことは十分に伝えたから絵描きさんからどういう具合にあがってくるかわからないけど、任せよう、任せた上で、やっぱりこれちがうっていう勇気も。

小泉 任せ方、関係性が独特だなと。それが、空気を読むっていうか、あの、早稲田のときもそうでしたね。

母袋 そう、そうなのね。それで、新潮社の佐々木さんが、気づかいの人ですねって。ほんとうにびっくりしてらした。

イスラエル作家としてのエトガル・ケレット

小泉 こうやって聞いていると、イスラエルならではのバックボーンがあって、このようなアウトプットになるんだという思いがある一方で、他の作家、たとえばアモス・オズとか、デイヴィッド・グロスマンなどと比べて、読者として、文章が新しい感じがするみたいなのってありますか?

母袋 やっぱり今のイスラエル文学の先頭を切っている人で、20年くらい前には若手、新人、なんて言われていたけど、今はもう50歳ですからね。若手では決してなくて、それなりに責任も生じてきて、責任が生じた部分で、政治的な発言もしているんだけど、文学に限って言えば、もうジャンルが全然別です。アモス・オズやデイヴィッド・グロスマンとは、全然違う。掌編ですしね、超短編の作家。中身も、グロスマンやオズの扱っているものとは違うし、他の作家とも違う。どちらかというと、彼等はユダヤ人の歴史、あるいは、イスラエル人の歴史、自分たちが抱えている問題に取り組んでいる。たとえば、オズは『愛と暗闇の日々』という自伝を書いているわけですね。その自伝は映画化されて、誰だっけ、有名なハリウッド女優が監督しているの。

小泉 あ、ナタリー・ポートマンの、『A Tale of Love and Darkness』

母袋 で、なにゆえに作家になったかということにも触れている。書いている。グロスマンはホロコーストを経験していないけれど、第2世代の年齢として、ホロコーストの問題を掘りさげて書いています。彼の場合は、2006年の対ヒズボラ戦のとき、アモス・オズとA.B.イェホシュアと3人で停戦合意を呼びかける記者会見をした。その2日後に次男が戦死した。なんか、和平活動をしている人だから、その息子は大丈夫だ、と思っていたフシが我々にはあるのね。でも、そんなことはない。そんなことなくて、兵役には戦死と戦傷の危険がある。そういう危険にさらされている状態でケレットも書いている。イスラエルの存続には兵役がなくてはならない。ジレンマです。兵役反対だけど、国の存続には必要。イスラエルのどの家庭もが抱えている問題なんですよね。それをグロスマンは小説に書いた。母親が息子の戦死通知を予感しておびえて、通知が届かないところに逃げてイスラエル国内を旅する、『女は報せから逃げる』という作品です。そこには、兵役の問題やイスラエル人とアラブ人の問題だとか、イスラエルが抱える問題が盛り込まれてます。それでね、グロスマンもケレットも日常語を駆使するけれど、グロスマンはグロスマンらしい造語をするんですよね。それがまた若い人たちにウケる。積極的に和平活動やデモに参加して、何か起きたらペンを捨ててスクラムを組むっていう人だから。他にもすぐれた作家がいっぱいいるんですよ。日本語になかなか訳されないから、なかなかわかってもらえない。

小泉 もっと出てほしいですよね。

母袋 いま、ヘブライ語翻訳のネックは政治。

小泉 あー。

母袋 トランプ政権になって、イスラエルに歩み寄っていろんなことを言うと、「あー、やめてやめて」ってなる。何かことが起きるとイスラエルは叩かれる。そうすると、開いていた出版社の門も閉じてしまう。私がイスラエルから帰ったときは、石油ショックだったんです。作品を持ち込んでも、見向きもされなくて。私が、日本の読者ターゲットを考えて作品を選んでいなかったことも一因かもしれないし、でも、はっきりと、アラブと戦争をしているイスラエルの本は出さないっていう、老舗の出版社もあるんです。戦争が終わらない限り、イスラエルの本は出しません、と。

小泉 今、ひとり出版社を始められている方もいらっしゃるし、プリントオンデマンドという方法もあるし、どうにかして、出したいですよねえ。

母袋 ねえ。エトガル・ケレットだけじゃなくて、もっといっぱい作家がいるのよ!(笑)。ケレットに集中しないで!(笑)。

小泉 いやあ、なんかもう、エトガルが大好きになってしまって。

母袋 それは本当に、すごくうれしいことですね。

小泉 エトガルってFacebookでの情報発信もたくさんしていて。フォローしていると、いろいろなエトガルの最新ニュースが日々のタイムラインに流れてくるわけです(笑)。そうすると私の世界はみんなエトガル知ってるよね? みたいな錯覚に陥るんですけど、それはあくまで私とその周囲の数人の世界で(笑)。

母袋 それはそうと「カプセルトイ」は英語版にはないの。エトガル本人が気づかなかった。なんで「カプセルトイ」は英語版にないの? って訊いたら、え、そんことないよ?! って(笑)。でも、ないのよ、英語版は37点で、ヘブライ語版は38点でしょっていったら、あ、ほんとだ、って。

小泉 いっぱいあるから1個くらい抜けていても気づかない……。

母袋 でも「カプセルトイ」ってすごく評判がいい。イスラエル国内でも評判がいいし、日本語版でも「カプセルトイ」を取り上げる人がけっこういた。

小泉 これね、これ素晴らしいです。

母袋 テロと、癌と、両方とも癌ですよね、言ってみれば。

小泉 この短さでね。それもすごく削いで、削いで、削いだんだろうなと。

母袋 それで公の人たちが「復讐します」みたいなことを言うのに対して、「だけど…」っていう気持ちもわかるし、検視医の心情、どっちにしても同じことなんだって言うその気持ちもわかるというか、よく書けてる作品だなと思うんですよ。これは残念ながら英語版では抜けちゃった。

小泉 エトガルは、イスラエル本国ではもうベテラン作家として不動の地位を?

母袋 今はね。その評判がちょっと落ちたのは、『The Seven Good Years』が英語版だけで出た時。ヘブライ語版で出ないっていうのは、イスラエルの悪口を言っているからじゃない? みたいなとらえ方をする。私のイスラエルの友人がそういうことを言ったんですよ、スカイプで。

小泉 スカイプ通話で。

母袋 それで、「へ? 」と思って。違うよ、言ってみればエトガルって、今のところ、イスラエルを知ることのできる、いい意味での左派のレプリゼンタティブになっている。代弁者になっている。イスラエルの問題点を伝えてくれている。オズやグロスマンの言わんとしていたところを、新たに引き継いで、世界に向かって発信している。それは、エトガル自身が海外に行って、朗読会だの、フェスだのに出かけて行って浴びせられる罵倒だとか嘲笑だとか質問だとかに誠実に答えようとしていく中から生まれてきた話であって、イスラエルを非難するような中身では全然ないよって言ったら、ふーん、っていう感じだったのね。そういうやり取りをした直後に、世界のユダヤ人に貢献した人に与えられるブロンフマン賞っていうのがあって、それをエトガルがもらっているんですよ。賞金もいいの。1万ドルとか。で、それで、世代が認めてくれるんだと友人も納得してくれた。

現代ヘブライ語のおもしろさ

小泉 こうしてお話を訊いていると、本当に現代ヘブライ語というのはユニークですね。

母袋 現代ヘブライ語は、19世紀の終わりごろにベン・イェフダが、民族の存立のためには固有の言語が不可欠であるという考えを、仲間や家族の協力を得て実証した言語です。それまでどちらかというと書き言葉中心だったヘブライ語を、日常語として、子どもたちが学校で使える言葉にした。各地に離散したユダヤ人たちは通常はそれぞれの土地の言葉をしゃべっていたので、当時のオスマン帝国下のエルサレムは多言語の坩堝だった。そのなかで、ベン・イェフダは聖書や文献を渉猟して、日々の暮らしに合う言葉をつくっていった。

小泉 新しい言葉をつくって子どもたちに使わせる…すごい試みですね。

母袋 「汽車」なんて聖書の時代にはなかったし、「黒板」も「鉛筆」もなかった。ベン・イェフダはそういう言葉を、歴史的な典拠を明らかにしつつ、つくりだしていったんですね。

小泉 ベン・イェフダ亡きあとは、誰がつくっているんですか?

母袋 ベン・イェフダの遺志を継いだヘブライ言語アカデミーというのがあって、そこで討議して決めるんです。それで、こういう言葉ができましたって公示をする。たいがいは、借用語を使っていたから、しばらくせめぎ合いがある。で、そのうち、「アカデミー発の新語、いいんじゃない」となって定着する。

小泉 おもしろい! すごくおもしろいです。それは今でもずっと行われているんですか。

母袋 そうです。そうだ、ここにその例を入れてましたね。あ、これ、『ユダヤ・イスラエル研究』という研究誌ですけど、エトガルについてはね、私ちょっと遠慮して1回しか出さなかった。

小泉 なぜですか!(笑)、なんですかその、エトガルは出せないわ、みたいなアトモスフィアは!

母袋 いやあ(笑)、エトガルのことなんてあんまり知らないかもしれなーいなんて思ってポピュラーな人だけを並べたの。

小泉 私の中では、ネイサンも超える勢いで。ネイサン、素敵ですけど、洗練されているじゃないですか。ネイサンと比べるのもおかしな話ですが、エトガルって、土臭い感じが。

母袋 泥臭いわよね。それがいわゆる、ディアスポラのユダヤ人の雰囲気ね。それでエトガルの風貌自体もイスラエル的じゃないですか。

小泉 おお、そうなんですか。ハンサムに見えるときと泥臭いときがありますよね(笑)

母袋 そう。彼の見た目はすごくイスラエル的。で、その研究誌でこうまとめてみました。

ヘブライ語アカデミーは現代ヘブライ語の語彙拡充をめざして、つぎつぎに新語を発表している。「コンピュータ」を表す「マフシェブ」は「考える」の語根に由来するアカデミー発の名詞である。「画面」は英語からの借用で長いこと「モニター」だったが、現在は「展示する」の語根からの「ツァグ」に、「SMS」もしばらく英語を翻字していたが、「伝達する」の語根からの派生語「マサロン」が定着した。一方、「メール」については、アカデミーは「電子郵便」の意味の「ドアル・エレクトロニ」を推奨しているが、現時点では一部の使用にとどまって、「メール」が一般的である。非常時態勢が日常化しているので、家庭でも移動時でもラジオを聞く。人々は必然的に、国営ラジオ局コール・イスラエルの「ヘブライ語のひととき」を耳にする。新語の是非を問いつつも、その言葉が耳に届く頻度が高くなれば浸透度も高くなるのは道理である。こうしたヘブライ語の拡充と純粋性の保護には、多言語国家ならではの側面もうかがえる。コンピュータ用語を英語のカタカナ翻字で間に合わせている日本とは事情がちがう。

小泉 なるほど。

母袋 以前、イスラエルに行ったときに高名な、ヘブライ文学を英訳している翻訳者のヒレル・ハルキンに、「ねえ、日本語ってコンピューター関係の言葉は英語からの借用なんだって? 」って聞かれて、私、なんの迷いもなく、「そうです」って言ったの。私はカタカナで示すからいいじゃないって思っていたけど、イスラエルの人たちは全部、言葉一つひとつの意味を見極めて使おうとしているんだって、あとで気がついた。日本語のようにカタカナ、ひらがな、漢字があるというのとはちょっと事情が違うんですよね。

小泉 でも、昔は日本も野球の言葉とかね、正岡子規とかが作ってたじゃないですか。でもサッカーはもう、蹴球とか言わないじゃないですか。オフサイドとか、よくわかんないですけど、そのままになっているので、だんだん日本人はやる気をなくしていますよね(笑)。

最近のエトガルのことなど

母袋 エトガルの新作はご存じでした?

小泉 あ、『すばる』に載ってた「ヒエトカゲ」ですよね。これは秋元さん訳ということは英語から?

母袋 そう。でね、あの、ケレットって去年の秋に、エージェントを変えたんです。アンドリュー・ワイリー・エージェンシーに。アンドリュー・ワイリー・エージェンシーってネットで検索したら悪名高いんだって? (笑)

小泉 どういう方向に悪名が高いんですか?

母袋 出版社に対して、要求度が高い、その代わり、著者側に立つっていうんだけど、アンドリュー・ワイリー自身がUKのエージェントだから、おもしろい作品があったらすぐよこせ、英語に訳せばネットに乗っけるからっていうんじゃないかって勘繰りたくなる。これはバズフィードに載っているものなんだって。

etgar_buzzfeed

小泉 バズフィードに載っているんだ。エトガルらしい。これはヘブライ語バージョンはまだ公開されていないですか?

母袋 草稿はあるんでしょうけど。ヘブライ語で1冊にまとまる前に英訳でネットに載っちゃうと、イスラエルの人たちが置いてけぼりになるじゃんっていうような、ヘブライ語の読者との乖離が進んじゃうじゃないかという不安を、私はおぼえるけれども。

小泉 ええ、ええ、わかります。

母袋 でも、これはトランプ政権成立前に出たもので、とてもタイムリーな内容ですね。

小泉 最先端ですね。

(終わり)

投稿者: 小泉真由子

技術系の出版社で編集者をしています。このブログは、インタビュー好きがこうじてはじめた個人的な趣味のようなものです。海外文学の周辺にいる方々、翻訳者のかただけでなく、いろいろな人にインタビューをしてゆきます。

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